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話を盛りすぎて削除された聖書のエピソード

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これはいくらなんでも盛りすぎだろ、的な聖書エピソード 

聖書はイエスや使徒たちのミラクル・エピソードが目白押しです。

死んだ人間を生き返らせたり、たった2匹の魚で大勢の人間の腹を満たしたり、十字架の上で死んだのに3日後に生き返ったり。

我々からすると充分「盛り盛り」なのですが、実は現在の聖書の本編にはない「除外されてしまったエピソード」がいくつかあります。

歴代の聖書の編集者たちにより「いや、いくらなんでも盛りすぎじゃね?」という感じで本編から省かれて外伝扱いにされてしまったようです。

 

 

1. ヨハネ、南京虫に言うことを聞かせる

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このエピソードは、3世紀頃に小アジアからシリア辺りで書かれた「ヨハネ行伝」という書物にあります。

イエスの死後、12使徒の1人ヨハネの宣教の旅を著したものですが、魔術師奇術師の類いかってくらいヨハネがミラクルを連発する「キャー、ヨハネ様すごい!」本です。

南京虫のエピソードは、ヨハネ行伝第60-61章。

 

ヨハネ一行は宣教の旅の途中のある晩、ボロい安宿に到着し、クタクタに疲れていたので半分壊れかけたベッドに体を横たえた。

ところがそのベッドは南京虫の巣窟で、一行は南京虫の攻撃に煩わされてなかなか寝付けなかった。ヨハネはとうとうブチ切れて叫んだ。

「おい、南京虫ども!我は神に仕えるヨハネであるぞ!今夜はお前たちの棲み家から離れて静かにしていろ!」

弟子たちは「ヤベえ、先生が南京虫に何か言ってる」と笑いをこらえるのに必死だったが、ヨハネは寝息を立てて寝入ってしまった。

翌朝、一行が目を覚ますと驚愕の光景を目にした。

なんと、ひとかたまりの南京虫たちが部屋の戸の先に待機しているではないか!

起床してその姿を見るとヨハネは言った。

「うむ、よく私の言いつけを守ってくれた。もう棲み家に帰っていいぞ」

すると南京虫たちはベッドの隙間に消えていった。

ヨハネは弟子たちに向き直って言った。

「小さい虫ですら人の言うことを聞き、言いつけに背かないのだ。人間はいつまで神のいいつけに背き続けるのだろうか」

 

若干コント仕立てになっていて個人的にはいいエピソードだと思うんですが、南京虫が言うことを聞くってのはさすがに盛りすぎと思われたんでしょうか。

 

 

2. ペテロ、犬に人間の言葉を喋らせる

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 このエピソードは180〜190年ごろにローマもしくは小アジアにて成立した「ペテロ行伝」の第9章から12章に渡って書かれています。

この「ペテロ行伝」は、神の使いであるペテロと、悪魔の力を借りて人々を誘惑するシモン・マグスの戦いを描いたもの。神の力が悪魔に勝ることを物語仕立てで描いたものです。

ちなみに、ヒール側で登場するシモン・マグスという男は実在の人物で、イエスと同時代にパレスチナで教団を開き、様々な奇跡を起こして信者を集めていました。言わば、イエスとキリスト教団の「ライバル」であり、熾烈な入信者の奪い合いをしていた間柄でありました。

 

「人々を騙して悪の道に引きずり込んでいる」として、ペテロはシモンを退治することにした。

シモンの家に赴き、門番に面会を求めるも拒否されてしまう。

ペテロは大きな犬が繋がれているのを見ると、鎖を外して解き放してやった。するとにわかに犬は人間の言葉を喋り出し、ペテロにこう言った。

「神の僕よ、あなたは私に何をしろと言うのですか」

ペテロはこう返した。

「中にはいって行き、集まっている者たちの只中にいるシモンに、『あなたにペテロが言っています。皆の前に出て来なさい。わたしはお前のためにローマにやって来たのだ。邪悪者、素朴な心(の持ち主)を扇動する者よ』と言いなさい」

犬は駆けて行きシモンの家の前にいる群衆に割って入り、前脚を立てて大声で叫んだ。

「おい、お前、シモン。お前にキリストの僕ペテロが戸口に立ち、『皆の前に出てこい。わたしはお前のためにローマにやって来たのだ。この上なき邪悪者、素朴な心(の持ち主)を扇動する者よ』と言っておられる」

シモンと取り巻きの者はその光景を見て、驚きのあまり茫然自失になってしまった。

その後シモンは犬に自分が不在であるとペテロに伝えろ、と命令した。

しかし犬はシモンに対し、「お前はイエス・キリストを信じる全ての者の敵であり、ペテロによって外の闇に追い出されるであろう」と言い残し、ペテロの元に駆けて戻った。

犬はこの一連のやりとりをペテロに報告した後、バタリと倒れて絶命した。

 

犬は南京虫よりは知能がありますが、ペテロの言うことを聞くだけじゃなく、会ってすぐにキリストの威光とかを理解してしまってるところが盛りすぎですね。

ペテロもすげえけど、この犬めっちゃ賢い!と尊敬の対象が犬に行ってしまって、犬が崇拝の対象になっちゃったら困りますよね。

 

 

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3. イエス、超巨大になって復活

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新約聖書では、イエスは十字架での磔刑の後墓地に葬られ、3日後に復活して墓石をずらして外に出ていって歩きまわったとされています。

しかしエジプトで1886年に発見された「ペテロによる福音書」によると、従来の復活の話とは少々異なる展開をみせています。

 

彼らは3人の男が墓から出て行ったのを見た。そのうち1人は十字架を携えていた。彼らのうち2人の男の頭部が天国にまで届いているのを見たが、1人はやがて天国すら超えてしまった。そうして天国から声が聞こえた。「汝は奴らに睡眠を諭された者か」すると十字架から答えが聞こえた。「その通りである」

 

墓から出てきたのはイエスと2人の天使で、天使のうちの1人とイエスはどういうわけか巨大化して雲に頭が届くくらいデカくなり、イエスはさらに雲を突き抜けて巨大化してしまった。そして天国の声、つまり神が「お前まだ死んでないんでしょ」と聞く。イエス(十字架)は「そうなんすよ」と言った。

デカイものはスゲーものみたいな感覚で、物理的な大きさでイエスの存在の大きさを表現しようとしたのだと思いますが、起こった奇跡の見聞としては破綻しているというか。そもそも天国での神とイエスの会話とか、どうやって聞いたんだよ?って思いますし。盛りすぎエピソードの典型ですね。

 

 

4. 星の姿をしたイエス、東方三賢者に語る

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マタイによる福音書第2章では、イエスが生まれたときに「星の予言」を見た東方三賢者がエルサレムに訪れ、ヘロデ王に「ユダヤ人の王の誕生」を知らせたとあります。

イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みに来ました」ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。(中略)そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生まれるのかと彼らに問いただした。彼らは王に言った「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています。

ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。お前の中から1人の君が出て、我が民イスラエルの牧者となるであろう

ところが別のバージョンでは、東方三賢者はエルサレムに来る前に「生まれる前のキリスト」と会って会話をしていたことになっています。

東方三賢者は「神秘が隠された宝の洞窟」の中に、小さい人のような形をした光を帯びた星が入っていくのを見た。そうして星は3人に言った。「私はもうすぐ人間として誕生する。私はこうしてお前たちと話しているが、人間になったときも今と同様、私を崇拝せよ」。

その後、生まれる前の星の形をしたイエスは、自分が生まれた後十字架の上で死ぬだろうことなどを詳細に説明し、洞窟内にある宝物を取って、自分が生まれた時に献上せよと命じた。

三賢者は旅の支度をして、「星」が輝く方向に向かって進んだ。星は三賢者を導いてくれたし、食べ物も与えてくれ、また夜になると太陽のように光り輝いたため、三賢者はイスラエルの地に容易に到達することができたのだった。

 

東方三賢者はどうやって「星の予言」を知ることが出来たのか、そもそも星の予言って何だったのかというのは聖書が成立した頃からずっと謎だったらしく、その疑問に答えようとしたのがこのサイドストーリーのようです。

しかし、なんでイスラエルに到達した3人は直接ベツレヘムに行かずにヘロデ王のところに行ったのか、という新たな疑問が出てきてしまいます。ガイドされてたんでしょ、星に。

そういうわけで、新たな疑問が出てしまうため削除されたのだろうと思います。

 

 

5. ペテロ、祈りで魔術師シモンを殺す

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このエピソードは「ペテロ、犬に人間の言葉を喋らせる」の続きです。

聖書の本編である「使徒行伝」第8章によると、シモン・マグスはもともと魔術を使って人々をたぶらかしていたが、キリスト教の様々な奇跡に驚いて入信したことになっています。 

さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行ってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。それで小さい者から大きい者にいたるまで皆、彼についていき、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。(中略)ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとパブテスマを受けた。シモン自身も信じて、パブテスマを受け、それから、引き続きピリポについていった。

ところが「ペテロ行伝」によると、シモンは改心せずにペテロと「魔術対決」をして死んだことになっています。

犬が人間の言葉をしゃべるという奇跡を見せられた後、動揺する取り巻きたちを安心させるために、シモンは自分の魔力を見せつけてやろうとした。

にわかに呪文を唱えるとシモンの体は空中に浮き上がり、かなり高いところまで浮き上がり、このままローマまで飛んでいってしまうぞオレは。などと得意気に抜かす始末。

やっぱりオレたちのシモン様だ!シモン様万歳!

と取り巻き連中が叫ぶ中、ペテロは静かに神に祈った。

「おお神よ、あの男を空中から地上に落下させてください。殺すまではしなくていいから、3箇所骨折くらいさせてやってください」

するとサイモンの魔術が溶けて地上に落下。3箇所骨折してしまった。取り巻きの者は興ざめしてサイモンに石を投げつけた。サイモンほうほうの体で家に逃げ帰ったが、骨折が原因でやがて死んでしまった。

 

ペテロは初代教皇であるから、間接的ではあるけど人殺しをしたというのが都合が悪かったのでしょうか。あるいは、「正史」には、こんなクズでも平和的に仲間に入れてやったのだというストーリーのほうが良かったのでしょうか。それか両方かもしれません。

「使徒列伝」と「ペテロ行伝」どっちが好きかは好みによりますけど、個人的にはペテロ行伝のバトル漫画チックな展開のほうが好きです。 

 

まとめ

聖書が現在の形に落ち着くまでに、結構いろんな数の別バージョンやサイドストーリーが考えだされては、辻褄を合わせるために採用されたり省かれたりしているようです。

前後の文脈との整合性がとれていたら、もしかしたら復活したイエスは巨大だったり、イエスは生まれる前は星の形をしていた、というのが常識だったかもしれません。

聖書見てると、回収されないままの伏線もたくさんあるんですけど、たくさんの人の手による編集がかかってるからしょうがないですね。

それにしても、いろんな人がいろんな意図で書いたストーリーを取りまとめて、前後の文脈を合わせ、主流派の意図にそぐうように編集した聖書編集者は、相当優秀なエディターだったんでしょうね。

 

参考サイト

"5 Miracles Deleted From the Bible For Being Too Awesome" Cracked.com

"学者とヨハネと南京虫と" 研究ブログ Standing on the shoulders of giants

「物言う犬」と「犬の奇跡」ー聖書外典における使徒ペテロ、シモン・マグス、犬― 早稲田大学レポジトリ

 

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