聖書物語のクライマックス、磔刑・復活
全3回でお送りします「西洋美術で学ぶ聖書」シリーズ今回が最終回です。
ユダの裏切りでイエスは捕らえられ、十字架で磔刑にされる。聖書物語のクライマックスシーンなだけに、描写はかなり細かく、また描き手によって様々な切り取られ方・イマジネーションのされ方をしており、大変おもしろくなっております。
前回の「新約聖書バージョン」の前半はこちらからご覧ください。
それではどうぞ。
26. オリーブ山上での祈り、イエスの捕縛
晩餐を終えた一行は、祈りを捧げるためにオリーブ山の中腹にあるゲッセマネの園に向かった。イエスは弟子たちを置いて1人で祈りをはじめた。しばらくして戻ってみると、弟子たちは皆寝ていた。2回目も、3回目も弟子たちは寝ていた。
イエスは「まだ眠っているのか。時が近づいた。人の子は罪びとたちの手に引き渡される。行こう」とつぶやいた。
マンテーニャの作品には、祈るイエス、眠りこける3人の弟子たちの背後に、ユダを先頭にした兵士たちがやってくるのが見えます。いよいよクライマックスが近づいてきました。
▼アンドレア・マンテーニャ「ゲッセマネの園の苦悩」1460年ごろ
ユダが大勢の兵士を引き連れてやってきた。ユダは事前に「わたしが口づけをするのがその人だ。その人をつかまえるのだ」と兵士たちに言っていた。ユダは言った。「先生、こんばんは」そうして口づけをした。それを合図に、兵士たちは一斉にイエスを取り押さえにかかった。弟子たちは驚き、みな逃げ出してしまった。ユダはその後、裏切りを後悔して銀貨30枚を神殿に投げ捨てた後、首を吊って自殺した。
ジョットの「ユダの接吻」は、まさにユダが接吻をし、兵たちがイエスを取り押さえようとする直前を描いたもの。ユダの複雑な心の葛藤、そしてそれを全て理解し受け入れるイエス。非常にドラマチックな一枚です。
▼ジョット「ユダの接吻」1304〜1305年
27. ピラト謁見、この人を見よ(エッセ・ホモ)
兵たちはイエスを捕らえ、大司祭カヤパの元へ連れてきた。カヤパはイエスを死刑にしようと様々な証言者を連れてくるが、みんな言うことはバラバラで立証できなかった。そこでこう質問した。「お前はメシアなのか」イエスは答えた。「あなたの言う通りである。あなた方は間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。カヤパは「神を汚した」と叫び、周囲の者も「死刑にすべきだ」と答えた。大司祭カヤパは、ユダヤ総督ピラトの前にイエスを連れて行った。
ピラトはイエスが無罪であることを理解しており、群衆に問いかければイエスを救い出せると思った。そこで群衆の前にイエスを連れだし、「この人を見よ(エッセ・ホモ)」と叫んだ。ピラトの予想に反し、群衆はイエスの死刑を望んだ。
ピエロ・デラの作品では、ピラトの目の前でイエスが鞭打たれていますが、登場人物は無表情で、遠近法で描かれており、あまり緊張感がない不思議な絵になっています。
▼ピエロ・デラ「キリストの鞭打ち」1455年
ティントレットの作品でピラトの前にたつイエスは、白い衣をまとっており、熱狂的にイエスの死刑を望む興奮した人々に取り囲まれている。ピラトは顔をそむけ、死刑が決まったことに複雑な感情があることがわかります。
▼ティントレット「ピラトの前のキリスト」1566〜1567年
クエンティン・マサイスの「この人を見よ」では、手前のピラトが群衆に冷静に語りかける一方、群衆は殺気に満ちた異様な興奮状態にあり、今にもイエスをなぶり殺しにするんじゃないか、と思えるほど。
▼クエンティン・マサイス「この人を見よ」1515年ごろ
29. 十字架運び
捕縛した翌日にイエスは死刑となる。イエスの罪状は「ユダヤの王の自称」であったので、イエスは罪になぞらえられて王の色である紫の衣を着せられ、月桂樹の冠ではなく、茨の冠を被せられた。十字架を担がされてゴルゴダの丘を目指して歩き始める。
ジャン・フーケの作品では、聖書の記述通り紫の衣をまとって十字架を担ぐイエス。その向こうには、首を吊って死んでいるユダが見えます。
▼ジャン・フーケ「十字架を担うキリスト」1450年代
ボスの描く「十字架を担ぐキリスト」の周囲にいる者はみな醜く憎悪に満ちており、ディズニー映画に出てくる悪役みたいです。画面の左下にいて目を下に向けているのは聖ヴェロニカ。彼女はイエスの額についた汗を布で拭った。すると奇跡が起きて、布にイエスの顔が浮かんだ。
▼ヒエロニムス・ボス「十字架を担うキリスト」1515〜1516年
ティッツァーノの作品はもっとシンプルで、1人の老人がイエスに食って掛かっている。「テメエ!オレたちを騙そうとしたな!」とでも言いたげです。イエスは達観した表情で、もはや老人の声すら耳に届いていないようです。
▼ティッツァーノ「十字架を担うキリスト」1505年
30. 磔刑
とうとう十字架に磔になったイエス。十字架の上には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と罪状を書いた板が掲げられている。この時、イエスと他に2人の強盗が十字架にかけられた。金曜日の朝9時に刑が執行された。異変が起こったのは12時頃。昼間なのにあたり一面が暗闇に覆われ、そのままの状態が3時間も続いた。午後3時過ぎ、イエスは行きを引きとった。すると突然、エルサレムの神殿が真二つに割れ、地震が起こり、岩は裂け、墓が開いた。兵士たちはこのときになって、自分たちは神の子を殺したのだ、と気づいたのだった。
ミケランジェロの作品では、イエスが気を失う前、「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶシーン。後ろにいる天使はずいぶんノンビリしてますが、イエスが死ぬのを待っているのでしょうか。イエスに上に掲げられた板の「INRI」は、Iesus Nazarenus Rex Iudemorum(ナザレのイエス、ユダヤ人の王)の略です。
▼ミケランジェロ「キリストの磔刑」1540年
アンドレア・マンテーニャの作品では、イエスの他の2人の強盗も描かれています。
下では兵がゲームをしており、ゲームでイエスの衣を誰がもらえるかを争っている。
▼アンドレア・マンテーニャ「キリストの磔刑」1457~1460年
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31. 十字架降架
イエスが息を引き取ったその夕方、アリマタヤのヨセフという金持ちの信者がイエスの遺体を引き取ると申し出てきた。ヨセフは遺体を降ろし亜麻布に包んで、イエスと親しかった議員ニコデモや、マグダラのマリア、最期を看取った女性たちとイエスを墓に葬った。次の日、パリサイ派の人たちが総督ピサロに「あの男は生前自分は3日後に復活すると言っていたので見張りをおくように命令してください」と言う。ピサロは同意した。
名作「フランダースの犬」でネロ少年が見たいと熱望し、最期に愛犬パトラッシュと共に死ぬのは、このルーベンスの「十字架降架」の前でした。
イエスの亡骸の重量感が感じられます。ジイサンが右手を離したら、仰向けにドサッと落ちてしまいそう。バロック期らしい重厚な絵です。
▼ルーベンス「十字架降架」1612年
ラファエロの描く「十字架降架」では、ゴルゴダの丘を降り下の方まで亡骸を運び出しているシーンです。左側のイエスを運ぶ人たち、右側の気絶したマリアを運ぶ人たち、奥のゴルゴダの丘、奥の遠景のバランスの均衡がよく取れています。
▼ラフェエロ「十字架降架」1507年
一風変わった少女漫画のような「十字架降架」は、ポントルモの作品。マニエリスムの手法で描くとこうなるのかあという感じです。色もパステルカラーだし、全体的にフワフワしています。右側のオッサンすら可愛く見えてくる。
▼ヤコポ・ダ・ポントルモ「十字架降架」1525〜1528年
32. ピエタ
ピエタとはイタリア語で「慈悲、敬虔」のような意味で、イエスの遺体を抱き悲しむマリアのことを言います。このシーンは聖書にはないので、画家たちが「きっとこうだったに違いない」と想像を膨らませて描いたテーマです。
「ピエタ」の基本は、マリアが膝の上にイエスの遺体を載せている姿。あとは、上から眺めて泣く、抱きしめる、手を合わせるなど、画家たちは思い思いのシーンを切り取って絵にしています。ヴァン・デル・ワイデンの「ピエタ」は、十字架から降ろした直後のようです。マリアが膝の上に遺体を載せて慟哭している様子が描かれています。
▼ヴァン・デル・ワイデン「ピエタ」1441年
一方で、ピエトロ・ペルジーノの描く「ピエタ」は、登場人物が全員無表情。イエスを膝の上に載せるマリアの姿はお決まりですが、まるで物でも見るかのようなマリアの表情はどうしたことでしょう。完全なシンメトリーで描かれているのでバランスはいいのですが、ちょっと不気味です。
▼ピエトロ・ペルジーノ「ピエタ」1483〜1493年
33. イエスの復活
死後3日たってイエスは復活します。詳細な記述は聖書にはないので、このシーンもまた画家たちの想像力に委ねられているのですが、お決まりは総督ピラトの命令で墓を見張っていた兵たちが眠っている時に、イエスが墓の中から立ち上がる、というもの。
フランチェスカの作品は、石棺の中から身を起こすイエス、手前に眠りこける兵士。背景の木は、左は枯れていますが右は青々としており、死と再生を表しています。
▼ピエロ・デッラ・フランチェスカ「復活」1406年ごろ
一方、ラファエロの描く「復活」は、復活し宙に浮くイエス、舞う天使、畏れおののく兵士たち、という構図になっています。後ろの女性はマグダラのマリアでしょうか。左の兵士の足元にいるヘビは「悪徳」を現し兵たちと紐付かれており、イエスに紐づく天使と対比されています。
▼ラファエロ「復活」1499〜1502年
このテーマをルーベンスが描くと「ムクリ」という擬音が付きそうな感じでイエスが起き上がっている様子になっています。兵たちは描かれず、イエスの神々しさが強調された大胆な構図です。
▼ルーベンス「復活」1616年
34. 我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)
さて、墓にイエスの遺体がなくなっていることに気付いたマグダラのマリア。嘆き悲しんでいると天使が現れ、話をしていると、そこにイエスが現れた。始めマリアは気づかず、園の管理人か誰かだと思い「あの方をどこに運んだのですか?教えて下さい。私が引き取ります」と頼んだ。イエスが「マリア」と声をかけると、マリアはそれがイエスだと気づき体に触れようとする。するとイエスは「わたしに触れてはなりません。また神のもとに上がっていないのだから」と答えた。
この「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」は登場人物がイエスとマリアだけであり、画家の自由な想像力が効くため人気のあるテーマです。
ティッツァーノが描いた作品のイエスは鋤を持っており、マリアが園の人だと間違えた様子を示唆していますが、まさか全裸の園の人もいないでしょうに。
▼ティッツァーノ「我に触れるな」1511〜1512年
35. エマオの晩餐
イエスが復活した日、二人の弟子がエマオ村を歩いていると1人の男が歩いてきた。男はイエスの復活を知らなかったようなので、弟子2人は説明しながら宿屋に連れて行き食事をする。男が祈りながらパンを2人に分け与えたため、弟子2人はこの男がイエスだと気付いた。しかし次の瞬間イエスは姿を消した。
カラバッジオの「エマオの晩餐」では、これはきっとパンを受け取り2人がイエスだと気付いた直後でしょう。右の男は「せ、先生かよ!?本当かよ?」とでも言っているような驚きのポーズをしています。左の男は驚きのあまり言葉すら出ない様子です。
▼カラバッジオ「エマオの晩餐」1602〜1603年
36. 聖霊降臨(ペンテコステ)
イエスは復活後、再び弟子たちの前に現れ神の国について話して聞かせた。その後、改めて弟子の中から12人を選び使徒とし、40日後に使徒たちの前で天に上がり、やがて見えなくなった。
エル・グレコの作品では、聖霊が降臨し弟子たちに異国の言葉を話す能力を与えたシーンを描かれています。その後使徒たちは、ヨーロッパ、中東、インドにまで布教の旅に出かけ、目覚ましい成果を上げていくことになるのでした。
▼エル・グレコ「聖霊降臨」1605〜1610年
37. 最後の審判
世界の終末が訪れたとき、キリストと殉教者たちが支配する「千年王国」がこの世に現れる。そこにサタン(アンチ・キリスト)が現れて人々を惑わすが、神によって滅ぼされ、その後「最後の審判」が行われる。
裁きを行うために天使たちを引き連れ、キリストは栄光の玉座に座る。そして全ての民族がその前に集められる。羊飼いが羊と山羊を分け、羊を右に、山羊を左に振り分ける。右の羊は「神に祝福された人たち」で、「神が用意した永遠の楽園、エデンの園」に再び入ることを許される。左の山羊は「呪われた者ども」で、「悪魔のために用意した地獄」に入り永遠の罰を受ける。
「最後の審判」と言えば、ミケランジェロの絵を思い浮かべる人も多いでしょう。
中央にいる体格の良いイエス、祝福された人たちが上空に引っ張りあげられる一方で、悪人どもは地獄に落とされている。右下には炎が見え、悪人どもは今からここに投げ込まれるのでしょう。
▼ミケランジェロ「最後の審判」1536〜1541年
一方で、聖書の記述通りに規則正しい姿で配置されているのがフラ・アンジェリコの作品。中央の玉座に腰掛けたイエス、それを取り囲む天使と殉教者たち、右には祝福された人たち、左には呪われた者ども。遠近法は地上のみに用いられています。神の国は宇宙の物理が通用しないということでしょうか。
▼フラ・アンジェリコ「最後の審判」1425〜1430年ごろ
もっと露骨に「天国」と「地獄」を描き分けているのがステファン・ロッホナーの「最後の審判」。右側の祝福された人たちはエデンの園に通じる扉に天使に導かれて入っていく。一方で呪われた人たちは、すでに悪魔たちになぶり殺しにされている。
▼ステファン・ロッホナー「最後の審判」1435年
まとめ
全3回で聖書の物語を簡単にまとめてまいりました。
これ以外にも、細かなサイドストーリーや、聖書以外の聖人たちに逸話など、色々な題材があります。全部をまとめると大変なことになるのでやめておきますが、これくらい知っておけば絵画の楽しみ方も拡がるのではないかと思います。すでに知っていた逸話でも、実は知らなかった話やお決まりの形があることもお分かりいただけたと思います。
ヨーロッパに旅行に行った時でも、あるいは最寄りの美術館の展示を見に行くときでも、メモがてら本記事を参考いただけますと幸いです。
参考文献 西洋美術で読み解くキリスト教の謎 田中久美子監修 宝島社