歴ログ -世界史専門ブログ-

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アンクル・サムのモデルになった人物とは?

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アメリカを象徴するキャラクター、アンクル・サム

「I WANT YOU FOR U.S. ARMY」のポスターは高校の美術の教科書で見たことあると思います。

これは1917年にイラストレーターのジェームス・モンゴメリー・フラッグによって描かれたもので、第一次世界大戦の新兵募集のポスターです。絵画作品としても非常に美しく、一度見たら忘れない強烈なインパクトがあります。

この中央に描かれている人物が、アメリカを象徴する人物アンクル・サム。略してUS(Uncle Sam)で、アメリカの愛国心をキャラクター化したものです。

アンクル・サムのモデルは諸説ありますが、最も有力なのがサムウェル・ウィルソンという人物です。

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世界の「短命国家」の国歌かっこいいランキングTOP10

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 カッコイイ短命国歌の国歌を聞いてみよう

国歌が好きです。

「国の歌」ですから、その国の国民がおおよそ納得できるものに仕上がっているはずで、(基本的には)その国の歴史や文化が集約されているものであるからです。

そして、歴史も何も、成立してすぐにぶっ潰れてしまった国にも国歌はあったはずで、これからの国の発展に希望を託したにも関わらず、願い叶わなかったところに哀愁を感じます。

今回は独断と偏見で、世界の短命国家の国歌ランキングTOP10を発表したいと思います。

それではいきます。

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大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策

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 100年前に既に起きていた日本の移民問題

日本では移民問題はかなりセンシティブな話題です。特定のイデオロギーとつながりやすく、冷静で建設的な議論にならず、皆意図的にこの話題を避けている節もあります。

今後仮に日本が移民を受け入れるにしても、

「日本の社会に積極的に馴染む努力をし、日本語が話せ、専門的な技術を有し、生活態度は真面目で勤勉な人」

であればみんな納得すると思いますが、そんな素晴らしい人達がわざわざ日本を選んでくれる道理はありません。

さて、日本は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日本人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日本政府は「朝鮮人移民の日本流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。

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羽地朝秀・琉球王国を大改革した男

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琉球王国の政治改革を成し遂げた傑出した政治家

羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう 1617-1675)は琉球王国の政治家・歴史家。

1666年から7年間、国王を補佐する最高位である摂政に就き、琉球王国の行き詰った構造を打破し変革を成し遂げた人物です。

羽地が摂政に就く半世紀前、琉球王国は薩摩藩の支配下に置かれ、経済的に困窮すると共に、人心は乱れ勤労意欲は薄れ、どこもかしこも問題だらけの社会でした。

羽地は薩摩藩の支配下に置かれた現実を直視した上で、琉球王国の政治・財政・法制度の改革を行い、中世以来の琉球を脱し近代化に着手をしたのでした。

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独裁者を父に持った子どもたちの生涯

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多くの人から好かれ・憎まれた父を持った子どもたち

 独裁者は、常に多くの人の注目を浴びる存在です。

自分が中心にいることが好きな人だからこそできるんでしょうが、賛辞・称賛だけでなく、憎悪・呪詛・怨恨など負のエネルギーも大量に浴びることになります。

そして後継と目される独裁者の子が受ける賛辞・賞賛、そして負のエネルギーも親父に負けず劣らず強いものがあったはずです。

独裁者の子供たちはどのような人生を歩んだのでしょうか。

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コンゴの近現代史(4)- 「アフリカ大戦」地獄のコンゴ戦争

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 アフリカ中を巻き込んだ第一次・第二次コンゴ戦争

コンゴの近現代史のまとめの最後になります。

国内の安定を最優先に掲げた軍人モブツは、反対勢力や政敵を徹底的に弾圧。行政・立法・司法組織を党の一部門にし、また国民全員を党のメンバーとして自らをトップに据える独裁体制を構築しました。

 一方で国外に逃れた反体制勢力は、近隣諸国の政府などと結びつき、戦いの構図が芋づる式に拡大。アフリカ諸国を巻き込んでいくことになります。

 1996年に発生したコンゴ戦争は、560万人以上の死者を出した、最悪の戦争となりました。

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コンゴの近現代史(3)- コンゴ流文化大革命・モブツのザイール化政策

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モブツが進めるザイール化政策の末路

コンゴの近代史のまとめの第3回です。

ベルギーから独立したコンゴは、中央政府の主導権争いと部族間抗争が内戦に発展。

東部が分裂しカタンガ共和国を名乗るなど、国家分裂の危機を迎えました。

国連を始めとした国際社会の介入でなんとか内戦は終結しますが、相変わらず不安定な状態が続きます。前回の記事はこちらをご覧ください。

今回は、再度の国家分裂の危機を迎えたコンゴを救うべくクーデターを起こした軍人モブツが、独裁者となって独自の改革を進めていく様を見ていきます。

再度の分列の危機は、抗争に敗れたルムンバ派残党がゲリラとなって革命を目指した「シンバの反乱」が引き金となります。

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コンゴの近現代史(2)- なぜコンゴ動乱が起こったのか

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 準備不足の独立によってもたらされたコンゴ動乱

コンゴの近代史の第2回です。

前回はコンゴ王国が奴隷貿易によって国力を落とした後にベルギー王レオポルド2世の私領「コンゴ自由国」となり、非道な収奪で多くの犠牲者が出たことをまとめました。

まだご覧になっていない方はこちらよりどうぞ。

ベルギー領となったコンゴではナショナリズムの高揚が始まるものの、ベルギーは暫くの間コンゴを手放す気はまったくありませんでした。しかし国際的な時流はアフリカの民族自決に傾いていき、その流れはコンゴにも押し寄せてきます。

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