歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

歴ログ-世界史専門ブログ-は「はてなブログ」での更新を停止しました。
引き続きnoteのほうで活動を続けて参ります。引き続きよろしくお願いします。
noteはこちら

史上最も有名な7組のゲイ・カップル

f:id:titioya:20151210022523p:plain

今後はもっと普通になる同性愛の歴史

2015年はアメリカ最高裁が同性婚を認めたり、東京都渋谷区で同性愛パートナーシップの発行が認められたりと、LGBTの歴史上偉大な進歩の年となりました。

今後はよりLGBTに対する一般の理解が進み、同性愛が特殊なことと考える人が減っていき、身の回りに同性愛の人がいるのが普通のことになるでしょう。

ということで、今回は世界史で特に有名なゲイ・カップルを集めてみました。

 

 

1. ハドリアヌス&アンティノー(ローマ帝国)

f:id:titioya:20151212224806j:plain

 偉大な皇帝の寵愛を受けた稀代のイケメン

ハドリアヌスはローマ帝国が最も繁栄した時代の皇帝と言われる「五賢帝」の1人。

 先代のトラヤヌス帝が拡大した帝国の領土を、インフラ・法・軍備・経済面から整備し、帝国の維持を図った偉大な皇帝です。

アンティノーは小アジアのビュティニア出身の男で、経緯はよく分かっていませんが、10代前半からハドリアヌス帝の寵愛を受けることになりました。

ハドリアヌスはことのほかアンティノーを愛しますが、紀元後130年にエジプトの視察旅行に赴いた際、アンティノーはナイル川に転落して死亡してしまう。事故か他殺か、原因は不明。塩野七生は「ローマ人の物語」の中で、「年をとって若々しい美しさが失われ、他に能力がない自分がこれ以降愛されることはないと悟り、自らの存在を永遠のものとするために自殺を図ったのではないか」と、自殺説に言及しています。

 ハドリアヌスはアンティノーの死を嘆き悲しみ、生前のアンティノーの彫刻を作りまくって帝国中に配置しまくりました。

 

2. アレクサンドロス大王&ヘファイスティオン(マケドニア王国)

f:id:titioya:20151212225158j:plain

大王の側近かつ最愛の親友 

漫画「ヒストリエ」では、ヘファイスティオンはアレクサンドロスの別人格ということになっていますが、史実では大王の最も忠実な幕僚の1人でした。

少年時代からアクレサンドロスとは親友で仲がよく、アレクサンドロスが王位につくとヘファイスティオンは側近になり大王の身辺に常にいました。

当時は極めて親しい間柄にあった男性同士はそのような関係を持つことが珍しいことではなかったこと、そして2人がトロイ遺跡を訪れた際に、アクレサンドロスがギリシア神話の英雄アキレスに献花し、ヘファイスティオンがアキレスの親友パトロクス(アキレスの身代わりになって死んだ)に献花をしたという事実から、2人が男色関係にあった可能性が高いとされています。

ヘファイスティオンはアレクサンドロス大王と共にインド遠征にも従軍し、その後ペルシアのダレイオス3世の娘ドリュペティスを娶っていますが、突然病に倒れて病死。

 大王は嘆き悲しんで治療できなかった医者を殺し、エジプトのアレクサンドリアに大規模な霊廟を建設し、ヘファイスティオンを神として称えるように指示を出しました。

その1年後、アレクサンドロスも同じように病死してしまいました。

 

3. ソクラテス&アルキビアデス(古代ギリシア)

f:id:titioya:20151212230016j:plain

誘惑するアルキビアデス、つれないソクラテス

ソクラテスは言わずと知れた、古代ギリシアで最も偉大な哲学者。

ソクラテスにはプラトンやクセノポンなど後の世に聞こえ高い弟子が多くいますが、後にデマゴーグ(衆愚政治)の典型とされるアルキビアデスもソクラテスの弟子の1人でした。アルキビアデスは高い家柄に生まれ、頭の回転も早く、しかもイケメン。当然めちゃモテる。それゆえ滅茶苦茶プライドが高い男で、自分より優れた者はこの世にいない、という態度を取るような高慢な男でしたが、唯一ソクラテスの言葉には心酔して涙まで流すほどでした。

人びとはあのアルキビアデスがソクラテスに懐いている、と驚きましたが、ソクラテスはアルキビアデスの才能を評価し、教えを授けるとともに、一緒に食事をとったり、戦争に参加してともに戦うほどの仲でした。

アルキビアデスはソクラテスの愛を欲しがり、その美貌をもって何度もアピールしたようですが、ソクラテスは最後までつれない態度をとったようです。

アルキビアデス「私に本当の愛を与える資格があるのはあなただけです」

ソクラテス「私は私が無知であることを知っているのだ」

そう言ってアルキビアデスを抱きしめて眠ってしまった。

哲学的でよく分かりませんが、知を共有することがそういう関係より深い愛情を与えることなのだ、と言いたかったのでしょうか。 

 

PR

 

4. レオナルド・ダ・ヴィンチ&ジャコモ・カプロッティ(イタリア) 

f:id:titioya:20151212231440j:plain

レオナルド・ダ・ヴィンチが愛した「小悪魔ちゃん」

ジャン・ジャコモ・カプロッティはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子の1人。レオナルドの家で10歳の頃から住み込みで学び、死亡する直前まで一緒に住んでいました。

彼は西欧では「サライ=(小悪魔)」という名前のほうがよく知られており、レオナルドはいたずら好きで奔放なサライの性格と、天然の巻き髪をことのほか愛して側に置いたそうです。

サライはレオナルドの助手として働き、絵画の下書きをしたりデッサンのモデルになったりしています。

2人が男色関係にあったことの明確な資料は存在しませんが、レオナルドが残したスケッチやドローイングにはそれを匂わせるものがいくつかあり、例えば1555年「人間の姿をした天使」のスケッチですが、これはサライをモデルにしていると考えられています。下半身を見ていただくと…まあそういうことです。

f:id:titioya:20151213140618j:plain

 

5. ノエル・カワード&グラハム・ペイン(イギリス)

f:id:titioya:20151212231909j:plain

銀幕の大スターと彼に愛された三流役者

ノエル・カワードは20世紀前半のイギリス映画界を代表する俳優・脚本家。

彼が出演した「80日間世界一周」や「ミニミニ大作戦」は日本でも有名ですよね。1942年は『軍旗の下に』でアカデミー特別賞を受賞しました。

ノエルは交友関係が広く、また大変オシャレで戦前のイギリスのファッションに影響を与えたとされています。確かに、超カッコイイですよね。

f:id:titioya:20151213142832j:plain

Photo by Allan Warren

彼はゲイであることを公言しており複数の愛人がいましたが、特に愛したのが俳優・歌手のグラハム・ペイン。ノエルはグラハムを愛し、彼が映画界で活躍できるように支援を惜しみませんでした。ノエルが出演する映画を中心に、グラハムを出演させるよう関係者に頼んだりしていましたが、グラハムは自分自身で認めていたように才能に乏しく、1949年から1968年までいくつか作品を残しますが、最後まで評価されることなく俳優としてのキャリアを終えました。

1973年にノエルが亡くなると、グラハムはジャマイカにあったノエルの邸宅を守ることに残りのキャリアを使ったのでした。1988年、グラハムはジャマイカ政府に邸宅を寄付してスイスに移住し2005年に87歳で亡くなりました。

1994年にノエルとの関係を描いた「My Life With Noël Coward」を出版しています。

  

6. エドガー・フーバー&クライド・トルソン(アメリカ) 

f:id:titioya:20151212232222j:plain

 絶大な力で米国に睨みをきかせたFBI初代長官とその片腕

エドガー・フーバーは1935年に開設されたFBIの初代長官で、1972年に亡くなるまでその職につき続けた男。

フーバーはFBIに科学的な捜査を導入して世界で最も優秀な捜査組織に育て上げ、また司法を政治から完全に独立した組織として確立させました。

フーバーの権力は絶大でその捜査の対象はアメリカ大統領も例外でなく、たびたび大統領や有力政治家と衝突しました。その度にフーバーは「コチラが握っているあなたのスキャンダル情報を公開するが、よろしいのかな?」と言って脅しをかけたそうです。

フーバーは生涯独身で、生前から同性愛者でその相手は片腕だったクライド・トルソンだというウワサは広く知れ渡っていました。

明確な証拠はありませんが、クライド・トルソンは仕事ではいつもフーバーの側におり、出張でも常に一緒だし、休暇も2人で出かけるほどの仲だったため、2人は恋仲であったと信じる人が多いようです。

フーバーの死後、トルソンは遺産約50万ドルと邸宅を相続しました。

これは休暇中の2人の様子。楽しそうですね。

f:id:titioya:20151213152642j:plain

 

7. ゴア・ビダル&ハワード・オースチン(アメリカ)

f:id:titioya:20151212234624j:plain

Photo from Elisa - My reviews and Ramblings, Gore Vidal & Howard Auster 

 過激な小説家が選んだバイセクシャルという生き方

ゴア・ビダルはアメリカの小説家・エッセイスト。

1949年に同性愛をテーマにした小説「都市と柱」を出版し、「背徳の書」とまで批判されるほど一大論争を引き起こしました。

後にアメリカ史や古代史をテーマにした壮大な歴史小説や、カルト宗教をテーマにした小説を精力的に発表し商業的にも成功しましたが、人類が化学兵器で滅亡したり、キリスト教をカルト宗教になぞらえたりと、その作風は挑発的で物議を醸すことが多く、評価が別れる人物でもあります。

f:id:titioya:20151213162703j:plain

彼はバイセクシャルであり、作家アナイス・ニンや女優のダイアナ・リンと愛人関係にありましたが、最も深く愛したのが1950年に出会ったハワード・オースチンという人物。以降53年間、ゴア・ビダルはハワードと一緒に暮らしました。

彼は自分自身が「ゲイ」であるとは思っていないとし、

「ゲイという言葉は、何というか、束縛された状態を指していると思うんだ。私は自分自身が奴隷だと思ったことはないし、あとこれは雑誌やテレビのインタビューで何回も言っているように、人はみんなバイセクシャルなんだと思うよ」

と語りました。

2003年に2人はイタリアのアマルフィに移住しますが、オースチンが体調を崩してアメリカに帰国した後すぐの11月に死亡。2012年にゴアもハリウッドの自宅で亡くなりました。2人はワシントンDCにあるロック・クリーク共同墓地に一緒のお墓で眠っています。

 

 

まとめ

だんだん認められ始めているとはいえ、やっぱりまだ世間の同性愛への偏見は根強くあります。僕自身、ゲイの方と飲んだりする時は結構警戒してしまいます。

ですがこうやって歴史の同性愛のカップルを見てみると、とても自然というか、決して特殊なことではないことが分かると思います。

ピエロ的な同性愛というキャラを演じて受け入れられる人もいるでしょうが、多くの人はとてもそんな芸当ができるはずなく、世間の好奇の目と偏見にさらされて耐えているのが実情だと思います。

排除するでもなく特待するでもなく、多様な価値観を受け入れる寛容な社会を目指していきたいものです。

 

参考文献

Antinous - Wikipedia, the free encyclopedia

Hephaestion - Wikipedia, the free encyclopedia

Salaì - Wikipedia, the free encyclopedia

Noël Coward - Wikipedia, the free encyclopedia

Graham Payn - Wikipedia, the free encyclopedia

J. Edgar Hoover - Wikipedia, the free encyclopedia

Gore Vidal - Wikipedia, the free encyclopedia

 

PR