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ドイツ社会が軍隊のように規律的な理由とは?

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軍隊が媒介となったドイツ社会の統合化と規範化

ぼくが以前海外留学していた時、スクールの授業でクラスメイトの出身国のステレオタイプを言い合う、みたいなことをやりました。

日本人は「礼儀正しくて賢いけど同族で群れる」、イタリア人は「女好きでテキトーだけど社交的」みたいな議論をしてやんやと盛り上がったのですが、

ドイツ人に関しては、「規則正しく信頼が置けるが冗談が通じない」みたいなイメージをみんな持っていました。

個々人を見れば、くっそテキトーで下ネタばっか言うドイツ人もいるにはいるのですが、

ぼくのドイツの友人の多くは「しっかり者」が多い印象だし、実際にドイツに遊びに行ってみたら交通システムや組織は実にパキッと整然としていました。

マクロで見れば、ドイツはEU圏内で稀な財政が健全な国であります。

その「官僚的」とも揶揄されるドイツ社会ですが、ずっと昔からそうだったわけではなく、18世紀以降にプロイセンが強大な軍隊の力で対外拡大し、また軍の力で社会の統合化と規範化がなされたからであります。

 

 

1. 近代的軍隊の発生

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1-1. 近代以前の戦争と軍隊

近代以前のヨーロッパの戦争と言えば国王が起こすもの。

領土拡大や利権獲得・王座を巡る争いなど、商人から借金をし傭兵を雇って行われるものでした。

まぁ、十中八九カネのために行われるもので、様々な利権集団が王の周りを取り巻いて、隙さえあれば戦争を起こしてひと儲けしようと息巻いてるような感じです。戦争は儲かるのです。

そのような時代の軍隊は傭兵が中心ですが、彼らは真面目に戦おうなんざ、これっぽっちも思っちゃいない

できるだけ戦争を引き延ばしてお給金をたっぷりせしめたいし、小金を貯めてそうな村や町があればぶっ殺して奪い取りたいし、もし戦況が悪くなって命が危険になればさっさとトンズラしたい。

こんな軍隊が強いわけはないし、三十年戦争では不良傭兵の暴走によってドイツはめちゃくちゃに荒廃しました。

 

1-2. オランダの軍制改革

それに対し、君主に従属して絶対的に命令に従い、厳しい訓練に耐えて規律を重んじるのが近代的軍隊の特徴です。

このような軍隊の必要性は、ルネサンスの時代の思想家マキアヴェリから唱えられていたものでしたが、これを最も早く取り入れたのが16世紀末オランダのオラニエ公マウリッツでした。

オランダは少ない兵力を最大限活かしてスペインからの独立を成し遂げるため、全く新しい戦術を2つ取り入れました。

1つめは塹壕を掘ること。2つめは火力を最大限発揮するための射撃訓練です。

後者は一斉に並んで横一列で一斉射撃をし、打ち終わったら後ろにに並び直し弾を補填するというもの。これは日常の訓練を怠ると絶対失敗する戦術。兵士たちに日常の訓練をさせるには、強い統制力と規律が欠かせません。

 

1-3. 近代軍の拡がり

オランダの近代的軍隊を次に取り入れたのは、スウェーデンのグスタフ・アドルフ。彼は歩兵のみならず、騎兵や砲兵をも組み入れた規律正しい軍隊に改変し、三十年戦争で破竹の勢いで南ドイツまで侵攻しました。

これらの近代軍はやがて、イギリスのクロムウェルのニュー・モデル軍、ルイ十四世のフランス軍、ピョートル大帝のロシア軍、そしてフリードリヒ・ヴィルヘルムのプロイセン軍に次々と導入されていくこととなります。

では、このような軍隊の存在が、ドイツ社会にどのように影響を与えていったのかを見ていきましょう。

 

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2. 軍隊の衣・食・住

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18世紀のプロイセンでは、基本的に軍隊は都市に駐屯していました。

現代のイメージだと町の外れに兵舎があって、軍隊はそこに半ば孤立したように存在する感じがしますが、当時はそんなものは存在せず、堂々と都市の中に軍隊が居座っていました。

 

2-1. 住

将兵はすべて、都市の住民の家に下宿していました

将校ともなれば富裕層の家で、キッチン付きの立派な下宿で暮らすことができましたが、末端の兵士は庶民の家の4人1部屋の部屋をあてがわれました。ベッドと椅子とテーブルがある程度の質素なもの。

4人のうち1人は必ず老兵が付き、若い兵士の面倒を見ると同時に、逃亡しないように監視する役目を果たしました。

 

2.2. 衣

近代以前の軍には軍服という概念はなく、みんな自前で適当なものを着ていました。

近代軍は規律を重んじるため、階級・連隊・兵種ごとに決められたユニフォームを支給するようになります。

軍服は外出の際はおろか、休暇をもらって田舎に帰り農作業に従事するときも、決しては脱いではならなかったそうです。

 

2-3. 食

兵士は5日間で8グロッシェンの給金を与えられました。

食事はすべてこのカネで買いますが相当カツカツ。

朝に塩パン、夜に1杯の薄いビールと豆のスープを飲めばもうスッカラカン。下宿先はメシは出してくれない

そのため親に仕送りをもらったり、中隊長に小遣いをせびったり、内職で小金を稼いだりしながら何とかやりくりしていたようです。

腹を空かせた貧乏な若者たちがたくさんいる場所で食品が値上げした日にゃあ、即暴動につながってしまう。

そこで軍は町の代表者と共同で委員会を設置し、公定価格を策定することで不測の事態を未然に防いでいました。

 

3. 軍隊の日常

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軍隊勤務といっても一年中ずっと駐屯しているわけではなく、毎年4~6月に行われる閲兵式のために2か月程度軍務に付けばよく、それ以外の期間は普通に故郷で農作業をしていました。ずっと駐屯しているのは主に外国人から成る傭兵ですが、彼らも交代で休暇を与えられました。

というわけで結構頻繁に人が入れ替わっていたわけですが、普段何をやっていたかというと、「歩哨」をやっていました。

 

歩哨勤務

夜明けとともに起き身の回りのことを済ませ、10時半には全員揃って点呼。

軍事訓練を夕方までミッチリ行い、最後に兵士の規則・心得などを唱和する。夜は市壁や要塞の周りに立ち警備勤務。5分に1回「誰何(すいか)」がリレーで回ってくる。

全ての事柄が細かく規定され、正確に遂行することを求められました。

 

兵士の逃亡問題

そのような厳しい軍隊生活に嫌気がさし、逃亡する者も中には出てくる。

特に外国人の傭兵は契約金をもらった後、隙さえあれば逃げようとする。

それを防ぐために日中は歩哨でクタクタになるまで体を酷使させ、夜は監視付きの下宿部屋に泊まらせているわけですが、それでも逃げようとする。特に行軍中は監視も緩くなっているため、逃亡のチャンスでした。国は彼らを雇うために多額のカネを払っているわけなので、みすみす逃すわけにはいかない。

ということで、都市や近隣の村まで巻き込んで逃亡兵の対処に当たりました。

 

逃亡兵士を捕まえろ!

逃亡が発覚したら、備え付けの非常号砲が打ち鳴らされ、厳戒態勢の合図が出る。

近隣の町や村の塔からも、非常事態を告げる鐘が一斉に打ち鳴らされる。

すると田畑で働いていた農民も、作業に励んでいた職人も、手を止めて逃亡者の捕獲に協力しなくてはなりませんでした

農民は鋤や鍬をもって路地や間道の警備にあたり、馬を持つ者は軍に貸出さねばならない。

仮に逃亡者を取り逃がした場合、その村には100ターレルの罰金が科せられ、長老2人が石運びの刑に処せられる。軍は再度逃亡者にカネを払って再契約を結ばねばならない。

一方の逃亡者。

国境を越えたら自由。手に入れたカネでしばらく遊べる。カネが尽きたら再契約してもう一回契約金をもらえばいい。でも捕まったら酷い懲罰があるから捕まるわけにはいかない。

追う方も追われる方も必死だったのです。

 

規律違反・懲罰

逃げて捕まった兵は、規律違反で懲罰処分となります。

逃亡以外に、飲酒、歩哨の違反行為、暴力など各種規律違反を犯した者は厳しいペナルティがありました。

軽犯罪の場合は、背中の尖った木製のロバに乗せられて晒される「ロバの骨」や、右手と左足・左手と右足を結んで縛られて晒される「屈伸刑」などがあります。

中規模の犯罪によく行われたのが「列問鞭刑」。逃亡犯が受けたのもたいていこれ。

兵士が手に鞭を持って2列に並び、その間を違反者にゆっくり歩かせる。兵士が持つ鞭で違反者をビシャビシャと叩くわけです。通り抜けたらもうフラフラ。即病院送りになるほど手厳しく、非常に恐れられた罰でした。

 

4. 軍隊による都市・農村の規律化

4-1. 都市の規律化

このように都市の中に軍隊が駐屯することで、これまで独立的性格を持っていた都市は、軍隊を介して「国家という規律」の中に統合されていくことになります。

民衆は家に兵隊が居候することで、兵隊がいかに規律を順守するかを身近に知る。

町の経済に関しても、軍が価格統制に関与したため、もっと上の国家的レベルの統制への発展が容易になった。

さらには、これまで自分たちで行っていた警備や巡回、さらには裁判や刑執行も軍が担うようになっていきます。

また、退役軍人が馴染みのある駐屯先で都市住民化することも多くあり、町の郵便局員から徴税官、警察の下級役人などは彼ら退役軍人の第二の職業になりました。

骨の髄まで軍隊の規律が染みついた中年男性がそういう要職につくとなると、自然と都市自体も軍隊的に規律化した性格を帯びていったことは想像に難くありません。

 

4-2. 農村の規律化

状況は農村も似たようなものでした。

農村の若者は国に兵隊として徴兵され数か月の軍務に就き多くの期間は農作業ができるわけですが、その期間も「準軍務期間」のような形で軍隊に所属しました。農村にも軍事裁判権や支配権が及んでくるわけです。

そうなると軍務の若者は農村だからといって羽目をはずせず、いつも通りパキッと規律正しい生活をしなくてはいけない。軍務に就かない女性や子どもはそういう規則正しい若者を間近に見て、それに影響されていったでしょう。

また退役軍人は都市と同じように農村にもやってきて、村の教師になったり教会の下僧になったりなどして、村の教育と規律化に大きく貢献しました。

 

このように、軍隊を媒介としてドイツの都市と農村は国家という大きな「規律」の中に統合されていき、軍隊出身者が都市生活の中で大きな役割を占めることで、都市や農村自体の規律化も成し遂げられていったのでした。

 

 

まとめ

「真面目で勤勉なドイツ人」というイメージも、直接繋がっているかどうかは定かではありませんが、いちおうその根拠的なものはあるんですね。

ドイツの社会が持っている規律の大本の由来は軍隊にあるってのは、いかにもありそうな話ではないでしょうか。

社会的システムが軍隊式だから、ちゃんと出すべきところから指令を出せばヒト・モノ・カネを容易に動員できるし、男たちは幼いころから規律慣れしていて軍隊向きだし、女たちも銃後の守りをしっかりできる。

他にも要因はたくさんあるでしょうし、直接の因果関係は薄いかもしれませんが、こういう社会背景があるからこそ、ドイツが戦争が強かったのかもしれないと思ったりしました。

 

参考文献:シリーズ世界史への問い5 規範と統合

規範と統合 (シリーズ世界史への問い 5)

規範と統合 (シリーズ世界史への問い 5)

  • 作者: 柴田三千雄,二宮宏之,後藤明,浜下武志,板垣雄三,川北稔,小谷汪之
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  • 発売日: 1990/06/05
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