歴ログ -世界史専門ブログ-

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外国人観光客が学ぶ日本の歴史とは?(東日本編)

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 海外ガイドブックに掲載されている日本の歴史

円安によって外国人観光客の来日数がうなぎのぼり。中国人観光客による爆買いで百貨店ウハウハとか、インバウンド業界からは景気のいい話がたくさん聞こえてきますね。これを機に日本の事を好きになって帰っていただきたいものです。 

ところで、日本に来る外国人は日本の歴史を勉強してくるのでしょうか?

多分、NOでしょうね。

ぼくたちだってそうじゃないですか。全然勉強しないで漫然とパリとかローマとか観光して、帰国後に「あっ、あれってああいう場所だったの」と知ることが多い。でも飛行機の中で、観光ガイドブックに掲載されてる歴史コラム的なところを読む程度はしますよね。ということは、外国人が読む日本のガイドブックに掲載されている歴史は、理解はされてないかもしれないけど少なくとも読まれてるに違いない。

何が書いてあるか非常に気になりませんか。調べてみました。

以外とたくさんあったので、西日本編と東日本編とに分けることにします。今回は東日本編です。

 

 

0. 参考にするガイドブック

今回参考にするガイドブックはこれ。

外国人バックパッカーが絶対持ってる"Lonely Planet"。通称ロンプラ。

Lonely Planet Japan

Lonely Planet Japan

  • 作者: Chris Rowthorn,Ray Bartlett,Andrew Bender,Michael Clark,Matthew D. Firestone
  • 出版社/メーカー: Lonely Planet
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: ペーパーバック
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もちろん「日本の歴史概要」みたいなコーナーはあるんですが、今回はそこではなく、各地域の観光情報を掲載しているページにコラム的に紹介されている地域の歴史をピックアップいたします。長いところは少し抜粋いたします。

 

 1. 江戸時代の参勤交代

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「すべての道はローマに通じる」という古い諺は知っているに違いない。同じように、江戸時代の日本では、すべての道は将軍の城に通じていたのだ。

「参勤交代」とは、地方の大名が江戸に住居を持たされ、領地と江戸とを行ったり来たりさせられるシステムである。家族は江戸に置かれ、大名が反乱を起こさないための人質となった。地方から江戸へは、東海道、日光街道、中山道などの主要な道路を通った。これらの道は、安藤広重の「東海道五十三次」の浮世絵で有名である。各駅は宿場町として発展し、随行員たちは長旅の疲れを癒した。戦略的な要所には関所が置かれた。普通の旅人は関所で手形(木で出来たパスポート)を出し、武器などの密輸をする者ではないと証明しなくてはいけなかった。(…中略)箱根や木曽福島の関所はもっとも重要な関所で、現在もよく保存されている。

 

2. 善光寺伝説

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Photo by 663highland

日本に寺院は多くあれど、善光寺ほど多くの魅力があるものはない。以下、善光寺の伝説の一部である。

 

一光三尊 

阿弥陀如来を含む3つの銅像で有名な一光三尊は、6世紀にレゾンデートル(自己存在意義)を残しながら朝鮮半島から日本に渡ってきた。 銅像は箱に入れられまるでミイラのようにグルグル巻きにされ、1000年間誰も見ることができなったという。しかし1702年、その箱の中身が空っぽではないかと疑った将軍が、司祭に命じて箱の中身を確認させた。その司祭が一光三尊を最後に見た人物なのだそうだ。

 

雄牛と老婆

昔々、不信心な老婆が着物を洗っていたところ、雄牛が近づいてきて、その角に着物の一片を引っ掛けてそのまま行ってしまった。しみったれの老婆が雄牛を追いかけていったところ、雄牛は善光寺に入っていった。追うのに疲れた老婆は寺の軒下で眠ってしまった。すると夢に先ほどの雄牛が出てきて、実は正体が阿弥陀如来であることを明かした。目を覚ました老婆は、改心して信心深い信者になったとのこと。

 

びんずるさん

仏教の敬虔な信者であったびんずるさんは、治療の鍛錬をしていた。彼は菩薩になり、不滅の世界に到達できた。しかしブッダは彼に地球に残って人々を導くよう説得した。多くの寺院ではそれゆえ、びんずるさんの銅像は本堂の外に置かれていることが多いが、善光寺では中に置かれており、参拝者は銅像に触ることができ、触った箇所がよくなると言われている。

  

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3. 独眼竜・伊達政宗

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伊達政宗は宮城の封建時代の歴史で最も有名な人物だ。ニックネームはOne-Eyed Draonで幼い頃に天然痘にかかり失明したことから来ている。彼は武士の知恵と商業本能を取り入れ、日本の封建武士の中で最も重要な人物の1人に数えられる。彼は唯美主義者であり、能や書道を奨励して仙台を東北で最も文化が進んだ都市にした。

伊達政宗は17歳にして領国のトップになり、すぐにすぐれた軍事能力を発揮して領地を拡大した。1598年の日本は内戦状態で、伊達政宗は徳川家康に味方した。功績を認められ仙台を領有することを認められると、港へのアクセスがいい村に拠点を移して国づくりに乗り出した。

1601年に青葉城を改築し、仙台を塩と穀物の一大貿易地に作り替えた。彼はまた寺院や神社、その他聖地にも手厚く保護を行った。伊達政宗の統治で特筆すべきは、キリスト教徒への関心の高さである。日本の最初の外交使節が貿易を求めてメキシコとヨーロッパに接触し、この話は法王パウロ5世の耳にも入った。

伊達政宗は幕府を信用しておらず、彼自身が優れた指導力を持っていたため、例えばヨーロッパ諸国の武力を借りて幕府を転覆させるなどをするのではと多くの人は疑った。 

 

4. 宮沢賢治

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 宮沢賢治は20世紀の日本で最も知られた作家である。彼は岩手県に生まれ、20代の始めの頃までここで生きた。岩手の町が彼の作品に大きな影響を与えた。東北は日本のバックウォーター(川のよどみ)であり、特に岩手県は新農業技術の導入も進まず、土地は不毛で生きるために必死であった。宮沢は質屋の息子で、実家の商売、貧しい者から者を入れてカネを貸して儲けるやり方を大変憎み、また深く恥じていた。この経験から彼は敬虔な仏教徒になり、作品に反映された。

彼は動物界・人間界・自然界の間の深遠な共感を感じさせる壮大な宇宙観を発展させた。(…中略)宮沢の作品の中にある異なる生物間のコミュニケーションは、異なる文化間のそれにも通じ、日本が戦争に突き進む中で書かれたものだ。

宮沢の作品と遠野の伝説には繋がりがある。貧者が彼を取り巻く世界に挑戦するのはお決まりのパターンで、アミニズムの文脈である。しかし遠野の文脈ではよりカジュアルな暴力と自然界との拮抗した関係が描かれる。遠野の伝説ではキツネを狡猾でよこしまな、人間にとって害悪なものとして描いたが、宮沢はこの人々の認識を覆し、定着したステレオタイプがそのような認識を生んでいることを学術的な観点から暴いてみせた。

 

5. 白虎隊

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 1868年、ホワイトタイガースの名で知られた20人の10代のサムライ少年たちは、鶴ヶ城から煙が上がっているのを見下ろし、天皇の軍が城を陥落させたと思った。彼らは降伏するよりも切腹することを選んだ。しかし実は城は陥落しておらず、会津藩が降伏するのはもっと先であった。20人のうち1人が生き伸び、彼はこの物語を語り継ぐことに生涯を使った。この奇妙な物語は、全くの無駄で冷酷な仕打ちが忠誠心という名前で美化され大衆絵画に描かれ日本人の感性をくすぐった。よそ者にとってはダークサイドだが、独裁者ムッソリーニは当地に壮大なモニュメントを寄贈した。飯盛山の山頂からは、白虎隊が見ることができなかった鶴ヶ城を、白虎隊を偲ぶ日本人観光客に揉まれながら見ることが出来る。

 

6. 松尾芭蕉は忍者だった?

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日本の俳句の名人と称される松尾芭蕉は、禅の悟りの中に、コミックリリーフ(緊張の中にある滑稽なかけあい)を取り入れて評価を上げたとされている。 

芭蕉はサムライの家に生まれ、10代後半の時にサムライ・良忠に仕えた。京都から江戸に登り詩を出版して成功したが、精神的な不合を感じていた。彼は禅と哲学を深く学び、それは彼の作品に大きな影響を与えた。彼の作品は、聞き手に鮮明な情景を思い描かせることを狙ったものだ。彼はまた自然哲学や中国の道教、荘子にも影響を受けた。後年、「寂び(倹約や孤独美といったもの)」というコンセプトに基づき詩作を行った。

40歳になった頃、芭蕉は日本中を巡ることに決め、旅行中に作った作品を出版した。最も著名なものが1689年に出版された、東北を旅した「奥の細道」。(…中略)東北の地は彼を魅了し多くの言葉を吐き出させた。最も有名な俳句が、彼が松島湾を見たときに歌ったものである。

Matushima, ah! Matushima! Matsuhima!

 近年、奇妙な説が流布している。なんと、芭蕉が実はニンジャ・スパイで、将軍の密命を受けて東北に入り、情報を報告していたというのだ。その説によると、彼の俳句は暗号を含んだ書状だそうだ。芭蕉は2500キロの道のりを徒歩で150日間で進んでおり、46歳には到底できっこない。しかしニンジャであれば話は別だ。しかも彼は普通では行けない大名の領地内にも足を踏み入れている。加えて、彼の出身地はニンジャ・スクールで有名な伊賀なのだ。

 

7. アイヌの天才・川村カ子ト

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画像転載元:川村カ子トアイヌ記念館ホームページ

 北海道に暮らしていたアイヌの文化は、日本本土のものとは全く異なるものだ。

アイヌの族長・川村カ子ト(カネト)は、検査官になり北海道への鉄道の導入に尽力した。視力の問題で引退した後、彼はアイヌミュージアムを作った。訪問者はアイヌのコレクションや鉄道にまつわる品物、アイヌの服などを見ることができる。写真撮影はフリーである。

 

 

まとめ

普通の日本人も知らない細かいことが結構書かれていますね。

確かにこれくらい詳しく理解していたら旅ももっと楽しくなるだろうなという気がします。でも、歴史の前後の流れを知っておかないと、あんまりよく分かんないから、断片的にこんなに詳しく書かれても果たしてちゃんと分かっていただけるのかしらと思ったりしました。

ロンプラは、日本人が見落としがちな日本のいい観光スポットが掲載されているし、こういう歴史や文化についても、日本人だからこそ見落としがちな視点が描かれていてハッと気づかされるものがあります。

次は西日本篇をまとめますので、お楽しみに。

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