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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

失敗に終わったアメリカからの独立運動

アメリカ

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いろいろあった連邦や州からの分離運動

アメリカ合衆国は傍目から見る限り、確固とした意思を持ち、一枚岩で動いているように見えます。

しかし過去アメリカの歴史は、連邦派(共和党)と反連邦派(民主党)の戦いの歴史であり、中央集権的な文脈を嫌がる集団や人が理想郷を求めて分離独立を求める動きが数多くありました。

代表的なものが南北戦争ですね。

合衆国は多大な犠牲を払い、よろめきつつも1つの連邦国家として統一を維持し、50もの州を統合して大国にまで成長し現在に至ります。

今回はそのような、合衆国から分離しようとして失敗した「幻の独立国・独立州」をご紹介します。

 

 

 1. フランクリン国(ノースカロライナから独立)

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画像転載元:Iamvered

ノースカロライナの売却領土が独立宣言

アメリカ独立戦争後、多額の負債を抱えたノースカロライナ邦は、返済のために西部の2900万エーカーの土地を、独立13州を束ねる連合会議に売却することにしました。

このニュースは土地に住む開拓者たちを驚かせました。

もし連合会議がこの土地をフランスやスペインといった外国に売ってしまわないとも限らない。

そもそもここ西部はノースカロライナ邦の指導層の連中とも疎遠だし、ましてや連合会議は別にオレたちのために何かやってくれるでもない。この土地はオレたちのものだ。オレたちの進むべきはオレたちで決める!

ということで、1784年8月23日にノースカロライナからの独立と新州「フランクリン」の設立を宣言

名前は独立の父の1人ベンジャミン・フランクリンにあやかったものですが、当のベンジャミン・フランクリンは支援を拒否したそうです。

フランクリンの指導層は住民投票を実施し、賛成多数でフランクリン邦の連合会議への加入を要望しましたが、規定にあった2/3の賛成がなかったために拒否され、事実上の独立国となってしまいました

想定していなかった独立を成し遂げてしまったことによって、通貨を発行する能力も持っていなかったフランクリンでは、物々交換の経済に陥り発展が著しく低下。

さらにはインディアンからの襲撃もアメリカからの援助を受けられず治安が極度に悪化。

結局1790年にフランクリン政府は瓦解し、ノースカロライナの一部に戻ってしまいました。

 

2. おおざっぱ共和国(カリフォルニアから独立)

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金坑夫が酔っぱらった勢いで作った国

「おおざっぱ共和国」はぼくが名付けた意訳で、正式名は"Rough and Ready"と言います。

19世紀末のカリフォルニアはゴールドラッシュで多くの金坑夫がやってきて、大いに湧いていました。ところが、金坑夫たちはカリフォルニア州政府が課す「採掘税」の高さに不満を持っており、1850年4月7日の日も酒でも飲んでクダでも巻いていたのかもしれません。

彼らはカリフォルニア州西部のグラスバレーの周辺約100キロをもってラフ・アンド・レディの設立を宣言。ラフ・アンド・レディとは日本語で「おおざっぱ」という意味で、設立時宣言に由来しています。

我々人民はラフ・アンド・レディの町を、必要に迫れ、カリフォルニア州ならびにアメリカ合衆国から分離させ、出来る限り平和的に、必要なら力づくでも、「大おおざっぱ共和国」を設立することとする

おおざっぱ共和国では採掘税が廃止され、住民は勝手気ままに、それこそおおざっぱに暮らしていました。

ところが3ヶ月後、カリフォルニア州で開かれた愛国者集会に出席したラフ・アンド・レディの指導者たちは、愛国的な「U・S・A!U・S・A!」の熱狂にすっかり飲み込まれ、感極まってラフ・アンド・レディの解散とカリフォルニア州への再統合を決めてしまったのでした。何じゃそりゃ!

設立理由もおおざっぱなら、消えた理由もおおざっぱですね。

 

3. スコット州(テネシー州から独立)

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 画像転載元:ck12.org

貧しい田舎が南部の金持ちどもに反発して独立

アメリカ南北戦争では、奴隷の労働力に支えられた大規模農業プランテーションに経済依存する南部と、商工業が進展した北部との経済的なイニシアティブを巡った争いが根本にありました。

ただ南部は南部でも、現在のテネシー州スコット郡は奴隷を保有する余裕がないほど貧しい土地でした。

豊かな南部の農業経営者の一存で自分たちの将来が決定されてしまうことに反発したスコット郡の人々は、農夫アンドリュー・ジョンソンをリーダーとして、テネシー州からの独立とスコット州の設立を宣言

テネシー州政府の首脳たちはこの田舎町の政治決定に対して関心を持たず「あ、そう。好きにすれば?」って感じでずっと放っておかれました

スコット州はその後独自の統治を続けますが正式に州として認められるでもなく、かと言って他の州と政治的統合をしているでもなくの状態が125年もの間続き、正式にテネシー州に併合されたのが何と1986年!

なんかめっちゃゆるいですね。

 

4. トランス・オコニー共和国(ジョージア州から独立)

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独立戦争の英雄が勝手に作った短命の国

アメリカ独立戦争の英雄エリジャー・クラークは、連邦政府は自分と部下の功績を認め、ジョージア州の一部、オコニー川西部の土地を自分にあてがうべきだと思っていました。

ただその思惑は、オコニー川西部のジョージア州への統合を連邦政府が定めたことにより消えてしまいます。

クラークはしょうがないので、自分自身で領土を獲得すべく兵を挙げ、スペイン領フロリダに侵攻しますが、散々に負けて逃げ帰ってきてしまいました。

兵を挙げて自分たちの土地の獲得を部下に約束した手前、解散することもできない。

ってことで、彼らは勝手にオコニー川西部の土地に侵入して乗っ取り「トランス・オコニー共和国」の独立を宣言してしまいました。

ジョージ・ワシントンはこの行為を危険視し、ジョージア州政府に命令して叩き潰すように命令。 ジョージア州政府のジョージ・マシューは1200名の兵を率いてトランス・オコニー共和国に侵攻。「投降すれば許す」という言葉を信じて、クラーク配下の兵は次々と投降。

トランス・オコニー共和国はわずか5ヶ月で崩壊してしまいました。

 

5. ビーバー島(ミシガン州から独立)

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画像転載元:beaverislandhistory.org

落ちこぼれが作った湖上の宗教君主国

ビーバー島は五大湖のひとつミシガン湖に浮かぶ最大の島で、現在はリゾート地として有名です。かつてこの島は、モルモン教徒の流れ者たちが移り住んで事実上の独立国を築いていました。

「国王」ジェームス・ストラングは若い頃に司法試験に失敗。説教者として食っていくべく、モルモン教に入信しました。

1848年にモルモン教の創始者ジョセフ・スミスが死亡。多くの信者は後継者をブリグハム・ヤングだと思っていましたが、ストラングはこれを批判し自分こそ後継者にふさわしいとする手紙を送りつけました

多くの信者はこれを鼻で笑いましたが、一部の者はストラングを熱烈に支持。

彼らはモルモン主流派と決別し、共に理想社会を築こうと集団でビーバー島に渡り国づくりに乗り出しました

ストラングは自らをトップとする宗教君主国を築き、島だけで通用する法律を独自に制定したり、道路など島のインフラを整えました。

彼は小舟を率いて湖の近隣に打って出、周辺の職人や木こりなどを拉致ってきては無理矢理ビーバー島に住まわせたりしました。れっきとした海賊行為です。

1858年、君主として絶大な権力を振るったストラングはトーマス・ベッドフォードという男に暗殺されてしまいます

理由は、ベッドフォードの妻をストラングが寝取ったため。

君主の死後、島から住民がまるで潮が引くように去って行き、1877年に正式にミシガン州の一部として編入されてしまいました。

 

 

まとめ

アメリカの建国自体、独立心旺盛な自営農民からスタートしているから、こういう野心に溢れた独立勢力がポコポコ出てくるのは歴史の必然なんでしょう。

それは国家主義と地域主義のつばぜり合いの一端であって、極東の島国から見ると一枚岩に見えるアメリカも、未だにこの国家主義(=共和党)と地域主義(=民主党)に戦いの中で揺れているのです。

何百年先か分かりませんが、もしアメリカの国力が絶望的なほど低下した場合、これらの取組みが引っ張り出されて正当化され、アメリカから分離しようという連中が出てくる可能性もあるかもしれませんね。

 

参考・引用:

10 Failed Attempts To Create New US States

9.4: Standard 8.75 Lesson, ck-12.org

BEAVER ISLAND HISTORICAL SOCIETY

James L. Ermin, Declarations of Independence, P152

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