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李氏朝鮮の税制改革100年の歩み

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「改革の抵抗勢力」とどう戦ったか

以前、「なぜ李氏朝鮮は社会発展が停滞したか」 という記事を書きました。

これは李氏朝鮮の政策の概要を連ね、それがどのような結果になったかを書いた記事です。

この記事の最後のほうに「大同法」について言及しました。

そこで1608年には農産物の代わりに布や銭で税金を治められる「大同法」が成立。戦争によって疲弊した農民層の負担を軽くして生活を安定させることを目的としました。またこれは、農業に適さない土地で商品経済を発展させる狙いもありましたが、農作物を取り立てる中間搾取層が反発し、普及させるのに100年もかかってしまいました。

李氏朝鮮時代の財政の一大改革と言える大同法は、税収をアップさせつつ農民の負担を減らし、なおかつ国内の商品流通の促進をもたらすという優れた制度だったのですが、全国に普及させるのになんと100年もかかっています。 

どういう理由から求められた制度で、どのようなプロセスを経て実施に至り、なぜこれほどまでに時間がかかったのか。

紐解いていこうと思います。

 

 

1. 李氏朝鮮が行った財政改革とは

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もともと李氏朝鮮では、建国当初から税を「現物徴収」していました。

これを「貢納制」と言います。

米、布、人参、林産品、海産物等々…

それぞれ中央政府・王室で使用する物資をそれぞれの地方に割当て、地方の税務官が現物のまま徴収して中央に納品する。

中央政府は納品された品々を、例えば国軍の兵糧として配布したり、宗主国の明王朝に納品したり、諸外国の接待に使ったりと、まんま現物消費をしていました。

まあ、シンプルっちゃあシンプルな仕組みです。

 

ところがこの方法だと、地方税務官などの不正や癒着によりエゲつない中抜きが起こったり、環境の変化や緊急事態に対し柔軟な対応をしたりできず、疲弊してしまうことが分かってきました。

そこで採用されたのが、

大同米(あるいは代替物の布や銅銭)という地税を上納し、中央は必要な物品を地税を元に商業ルートで買い求める、という制度。

ではこの制度の何が優れていて、どういうところが守旧派の反発を喰らったのでしょうか。

堅苦しい税制のことなので、柔らかく分かりやすいように書いてみることにします。

 

2. 貢納法とはどういったものだったか

朝鮮政府「ようし、やっと朝鮮統一したぞ。さあて、どういう税制にすっかな」

 

朝鮮政府「田税。これはマル必やで。これがないと官僚にお給料支払えんからね。全国各地の稲田、畑、大豆畑、それが取れない地域は布、油、蜜を国の出先機関を通じて収めさせる、っと。」

 

朝鮮政府「豊作凶作あるだろうから、毎年官仕を派遣して作柄調査して課税額を決めさせたほうがええよね」

 

 朝鮮政府「基本は田税でOKやけど、ほら、ワシらグルメやん?フルーツもお魚も食いたいし、飴ちゃんも舐めたいのよね。イベント開く時にも欠かせんし、中国の使者の接待にも必要やしね」

 

朝鮮政府「ってことで、果実・水産物・鉱産物・鳥獣畜産物等々、これまた国の出先機関を通じて進上させる、っと」

 

朝鮮政府「あっ!賦役を忘れとった。いつ北の騎馬民族や南の倭冦が襲ってくるか分からんしな。国内の身体の健康な男たちは軍役の義務がある、っと」

 

朝鮮政府「あんま長期間拘束して農業生産力が落ちると元も子もあらへんから、1〜2ヶ月ごとの交代にしようか。あとは必要に応じて、陸上輸送やインフラ整備にも駆り出すことができるよ、っと」

 

朝鮮政府「さあ、どうや!これ完璧やろ!さあさあ、いってみよか」

 

3. 弊害出まくり!

3-1. 官仕と農民の癒着・接待強要

農民A「ああ…今年は凶作だべ…。家族全員無事に冬は越せるかのう…」 

 

官仕A「よおっす、みんな。今年も作柄調査にやってきたよー」

 

農民A「か、官仕さま。今年は昨年の半分以下の収穫でございます。どうか減免をお願いします」

 

官仕A「マジ?おいおい、オレの取り分がねえじゃねえか。どうしてくれんだよ」

 

農民A「どうか…村をあげて官仕さまとご家族を接待いたしますから」

 

官仕A「しょうがねえなあ。とびきり贅沢な接待にしろよ。もし満足しなかったら減免しねえからな」

 

3-2. 納入先が複数あり煩雑、出先機関が勝手に取り立てる

朝鮮政府「はい、今年の徴税予定一覧はこれね。それぞれの各機関が持っている徴税先で公平・公正に取り立てるように」

 

各機関の代表たち「ははーっ」

官仕B「そういえば、ウチのボスにこの間お子さんが生まれたじゃん?」

 

官仕C「おー、そうだった。そろそろ半年になるよね」

 

官仕B「パーっと盛大にサプライズパーティやろうぜ。きっと喜ぶよ」

 

官仕C「やろうやろう!じゃあ、政府から提示された額よりもっと多めに取り立てないとね〜」

官仕B「えー、農民諸君。この村からは今年これだけの量を収めてもらうので、はげむように」

 

農民B「ええっ!今年はそんなにいい作柄じゃないのに、何で?」

 

官仕C「うっさい!黙れ!いいからよこせ!」

 

3-3. 金持ちの賦役逃れ・守令による任意の徴発

農民C「ああ、今年賦役行きたくねえなあ。おふくろが病気してるから心配なんだよなあ」

 

守令「さあ、出発は明日だ。準備は整ったのか?」

 

農民C「ねえ、守令様。出来れば見逃していただきたいんですけど。…ホラ、美味しいお饅頭を差し上げますから」

 

守令「…うむ、旨そうな饅頭じゃ。(パク、ゴリッ)よし、目をつむってやろう」

 

守令「おい、そこのお前。明日から賦役に来い。人が足りん」

 

農民D「ええっ!この間帰ってきたばっかりなんですけど」

 

守令「うるさい!いいから来い!ちなみに今回は、ウチのボスの家の増築作業をしてもらうから、プラス2ヶ月追加だからな」

 

4. 貢納制改革論の展開

朝鮮政府「入ってくる税収は不安定だし、疲弊して小作人に転落していく農民が後を断たない。なんでや!」

 

儒学者・李珥(イ・イ)登場 

李珥「直接物産を納品させるからいい加減なことになるんじゃ。まずは全国の田地の面積を調査して、それぞれ賦課額を調査させる。ほいで、その時価を米と綿布に換算して産出して割り当てるんじゃ。徴収した米と綿布を財源にして、決められた額を収めさせれば、徴税官の中抜きは減るじゃろう」

 

官僚たち「確かに、そうやって成功している邑もあるようですが、本当にうまくいくのかしら…」

 

秀吉の朝鮮出兵(壬辰倭乱)勃発

領議政・柳成龍(ユ・ソンニョン)「緊急事態だ!貢納制は一旦停止!とにかく軍事予算の確保が最優先。全ての税は米と布に換算して全部国庫に収めさせる。それを財源にして国が必要な物資を調達する」

 

地主層「おいおい、オレたちはどうやって食っていけというんだよ?」

 

柳成龍「やかましい!自分たちで何とかしろ!」

 

地主層「分かった。じゃあ勝手にやるわ。おいこら農民!米よこせ!」

 

農民「日本兵に畑が荒らされて農作業どころじゃないのに、国と地主から二重に取り立てられるなんて、鬼かよ!もう逃げるしかないわ」

 → 田畑を捨てて逃げる農民が相次ぎ、税が全然回収できなくなる

 

大同法の施行決定

朝鮮政府「ふう、ようやく日本軍が撤退したよ」

 

朝鮮政府「うわあ、田畑荒れ過ぎ…このまま問題のある貢納制取り入れても無理やろ。まずは農村を立て直さないと。以前から議論があった税制改革やろう」

 

朝鮮政府「まずは国が田地の量を把握するんや」

→ 1601年〜1604年 全国規模の量田実施

 

朝鮮政府把握した田地にそれぞれ課税額を設けて、全て米と布で納品させる、管理は中央に新設する官府で一括で行う、守令や地主はその内の1/8でやりくりしなさいね、っと」

 

朝鮮政府政府や王室は納品された米と布を財源にして、必要なものを国内外から買い付ける、っと」

 

朝鮮政府「これで平和な世の中になってほしいもんや。その願いを込めて、この新法を大同法と名付けよう」

→ 1624年 「大同之法」初見

 

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5. 大同法の全国実施に向けて

5-1. テスト実施をしてみよう

朝鮮政府「さて、早速全国で実施したいとこやけど、中抜きやってきた連中は絶対反対するやろなあ。まずはテストやな。まずは京畿道でやってみっか」

→ 1608年 京畿道で大同法実施

 

京畿道農民「一気に税負担が軽くなった!ありがとう国王様!」

 

朝鮮政府「イケるやん!よしよし、次は江原道いってみよか」

 

江原道の地主・守令・郷史「オレたちが美味しい汁吸えなくなる!反対!ゼッタイはんたーーい!」

 

戸曹(財務省)の官僚・趙翼(チョイク)「国王様、大同法は優れた法律です。ほら、京畿道の農民たちの声をお聞きください」

 

京畿道農民「大同法になってから、ずっと暮らしがよくなったべ。おかげで家族が飢えずに冬を越せたべ」

 

国王・仁祖(インジョ)「そうか、じゃあ大規模に実施せよ」

 

朝鮮政府「おら、国王様がこう言っておいでだ!江原道で実施する」

 → 1625年 江原道で大同法実施決定

 

江原道農民「いやあ、うれしい!以前よりずっと楽だよ」

 

政府内の大同法懐疑派「…ずっと大同法の効果が疑問だったが、確かに効果が出ているな」

→ 1751年忠清道、1758年全羅道で大同法が施行

 

一部地主・在郷勢力「私たちの農民は大同法なんて望んでません。とっても従順な農民たちですから。なのでこれまで通り貢納制を続けますよ」

 

農民「ウソだ!国王様!大臣様!大同法を是非取り入れてください!」

 

一部地主・在郷勢力「やかましい!ゴタゴタ抜かすな!というわけで、政府のお偉いさんよ、どうするよ。ウチが税金払わなくなってもいいのかい?」

 

朝鮮政府「…実力のある地主は本当に厄介だ。この地域はもう少し様子見だな」

 

5-2. 全国導入

慶尚道観察使・李奉淵「国王様!ぜひ我が慶尚道でも大同法を実施させてください!」

 

国王・粛宗(スクチョン)「是非やるがよい。ただし、豊作を待って実施しなさい」

 → 上申から12年後の1779年 慶尚道で大同法導入

 

慶尚道農民「ついに大同法がワシらの土地に!やったやった!」

 

地主・在郷勢力「…反対したいけど、大同法はもう全国的なトレンドになりつつある。反対したら農民が反乱起こしそうだ…」

 → 黄海道、平安道、咸鏡道でも17世紀までに貢納の地税化が実施

京畿道での最初の実施から100年以上を経て、全国規模で税制改革が達成される

 

6. 大同法がもたらしたもの

6-1. 政府

大同法はこれまで様々な形での現物貢納だったものを、広範囲に渡って地税化し、中間搾取層の中抜きを最小限に防ぐことで、農民たちに重くのしかかっていた地方政府の財源を新たに確保しました。

また、凶作や戦乱などの緊急事態に備えた余剰経費を蓄えることもでき、朝鮮政府の財務状態は向上します。

 

6-2. 農民

大同法により農民の税負担は軽くなり、結果として商品作物栽培を始めとした営農活動は活発化し、余剰生産物が多く作れるようになりました。

また、政府が必要な物資を民間から調達する方式になったことで、都市を中心とする商業の発展が促されました。

結果的に、農民たちが作った余剰生産物が商業ルートを通じて各地に流通し、農民の小商品生産が活発になりました。

 

7. 大同法の形骸化

朝鮮政府「えーと、今年の必要予算は、っと…。げ!昨年度比110%?あー、最近王室機関が新しく出来たからか。しょうがないよね」

→ 時代が下るにつれ、中央政府・王室諸機関の組織の肥大化に伴い、必要経費が増加

 

地方政府「げ!今年も中央政府への上納額が増額しとるやんけ!貯金切り崩すしかないやん…」

→ 中央政府への上納金が年々増えていったため、地方政府はこれまで凶作や緊急事態のために蓄えておいた「余剰財源」に手を付け始める

 

地方政府「貯金半分以上も切り崩してしまった。占い師が言うには来年は凶作らしいし、減った分の貯金を補填しなくちゃ」

 

守令「おら農民ども。これから田植えだろ?コメの苗を貸してやる」

 

農民「え、いや、苗は充分あるからいらないんですけど…」

 

守令「いいから受け取れ!あ、ちなみに利息は150%だからな?収穫時に返せよ?」

勝手に農民に穀物の貸し付けをして収穫時に利息を付けて返還させる「環上」を強要したり、無名雑税と呼ばれる勝手な名目の税を新設

 

朝鮮政府「おいおい、何か勝手に税を作って農民から徴税してるそうじゃないか?」

 

地方政府「そうですよ、何か気に入らないことでも?私たちが上納しなくなったら、政府ぶっ倒れますけど、よいのですか?」

 

朝鮮政府「…し、しょうがないな」

→ 中央政府は地方の独断をコントロールできず、以前のような財政の個別分散化が進み、各機関や地主が勝手に好きなだけ農民から税を取り立てる状態に陥っていく

 

 

まとめ

塩野七生の「ローマ人の物語」で、

「全ての制度は始められた意図は善である」

みたいなことが書かれていたと記憶しています。

後に悪評となる制度でも、始められた時はその時代のニーズに合わせて、「正義」の意図をもって導入されたものであって、それが機能しなくなるのは時代に合わせて環境が変わるからである、みたいな意味です。

李氏朝鮮でも、時代のニーズに合わせて、強い在郷勢力をなるべく刺激しないように、実績を出した上で徐々に制度の拡張を進めていき、最初の頃は効果が出ていましたが徐々に制度が機能しなくなっていきました。

それも時代の変化によってなのですが、李氏朝鮮の場合は政府内部の対立を始め、地方や地主層との対立などなにかと身動きが取りづらく、1つ実施するのにとにかく時間がかかってしまった。

結局、財政の不健全さを引きずったまま黒船の時代を迎え「内患外禍」状態に突入し、国を滅ぼすことになってしまった。もちろん、要因は財政だけではありませんが。

現代に生きる我々にも、充分教訓になる話ではないでしょうか。

 

参考文献:朝鮮王朝の国家と財政 六反田豊 山川出版社

朝鮮王朝の国家と財政 (世界史リブレット)

朝鮮王朝の国家と財政 (世界史リブレット)