フィリピン革命、達成せず
フィリピンの歴史と言われても、多くの人は何も知らないと思います。
実際フィリピンが歴史の舞台に登場するのは16世紀以降で、それ以前は村落単位での社会で統一した王朝が発生しませんでした。
フィリピンは東南アジアにやってきたスペイン人によって植民地化されますが、フィリピン社会の記録が始まるのはそこからで、フィリピンの歴史はいきなり植民地からスタートします。
つまり、フィリピンの歴史は抑圧と抵抗の歴史なのであります。
さて今回は、ロシア、メキシコと続く、革命まとめシリーズ第3弾。
「未完の革命」ことフィリピン革命を取り上げます。
1. 抵抗運動のはじまり
スペイン人「さあさあ、せっかく植民地にしたんだもの。フィリピンでがっぽり儲けまっせ!」
イギリス人「おっ、なかなか質がいい麻じゃん?」
アメリカ人「しかも安い。買う買う!」
→ アバカ麻やサトウキビなどの貿易が盛んに。マニラなどが国際貿易港として栄える
スペイン人「やべえ、ガッポガッポ!売れすぎて農地が足んねえよwwww」
中国人「移住させてくれねえかな?カネならあるぜ」
スペイン人「おお!是非是非!がんばってくれよ!」
→ 1850年中国人移民奨励法
中国移民による農地の大量買い上げと原住民の小作人化が進行し、伝統的村落社会が破たんする
司祭ゴメス、ブルゴス、サモラ登場
フィリピン農民「おお神よ。働いても働いても苦しくなるばかりだ。あなたは私たちを見捨てたのですか?」
フィリピン人神父「そうではありません。全てはスペイン人どものせいです。あいつらは我々を差別し、富を牛耳る悪いヤツらなのです」
フィリピン農民「神父さま、スペイン人をやっつけよう!」
→ ゴンブルサ事件勃発(1872年)
カビテ州で起こった原住民と司祭の抗議行動を植民地政府が大弾圧
2. 文学を使った抵抗運動
マルセル・デル・ピラール登場
ピラール「スペイン人の我々への差別は信じられないほどひどい。しかし問題なのは、それを我々自身が問題視していないことだ。人々の目を冷まさなくては」
→ ピラールの植民地改革運動開始
スペイン人「おら、テメエ、余計なことするんじゃねえ」
→ 植民地政府による運動弾圧。ピラール、マドリードに逃亡
ホセ・リサール登場
リサール「我々は人間だ!なぜ差別があるのだ。スペイン人と対等の権利を持つはずではないのか?!フィリピンの人々にこれを気づいてもらわねば」
リサール「修道会の腐敗もひどい。オレの親父はドミニコ会の重税に抗議して弾圧されているんだ。フィリピンの社会から腐敗を取り除かなくては」
→ 政治小説「ノリ・メ・タンヘレ」「エル・フィリブステリスモ」発表
フィリピン人インテリA「涙出るわ。リサールさんこそホンモノの愛国者やわ」
フィリピン人インテリB「オレたちみんなで社会改革に乗り出さなだめやね」
→ フィリピン人インテリ層に改革運動の熱量が高まる
リサール「くそ、こうやってスペインの地から呼びかけても無駄だ。実際に行動を起こさないと」
→ リサール、フィリピンに帰国し秘密結社フィリピン同盟を設立する(1892年6月)
スペイン人「はい、逮捕。死刑ね」
→ リサール、銃殺される(1892年12月)
3. 武力闘争、内ゲバ
アンドレス・ボニファシオ登場
ボニファシオ「あああああああ!リサール先生が死んだ!死んだ!あああああああああ!なんてことを!なんてことを!許さん!スペイン人め!ぜったいに許さん!!」
都市サラリーマン層「ボニファシオさん、もう私たちも我慢の限界です、戦いましょう!」
→ サン・フアン・デル・モンテの蜂起(1892年)
ボニファシオ率いる秘密結社「カティプナン」武装闘争を開始
都市サラリーマン層「うおー!スペイン人ぶっ殺す!」(ドンパチ
地方有産階級層「ほう!サラリーマンの連中ががんばってる。これに乗じてオレたちの権益の拡大も期待できるよねえ。加勢するか」
→ 資金力・民衆動員力を持った地方の有産階級層が闘争に参加
エミリオ・アギナルド登場
アギナルド「ボニファシオはん、カティプナン内輪もめしてはおらへんか?困るりますさかい、一枚岩にならへんと」
→ テヘロス会議開催(1897年3月)
アギナルド「カビテ州のカティプナン内部での争いは良くありまへん。ほな、誰が闘争を指導していきまひょか」
ボニファシオ「スペインとの闘争だけではなく、同時に貧困問題を解消する社会改革も進める必要がある。社会改革にはあんたら、有産階級は全然参加してくれないじゃないか」
アギナルド「お黙りなさい!闘争が先でっしゃろ!実際に植民地政府軍相手に成果を出してるのは我々でしょう?あんた、足の引っ張り合いをしてるだけやさかい」
→ 会議の投票の結果、革命全体をアギナルド率いる有産階級層が指導することに
ボニファシオ「話にならん!このままではリサール先生の精神が葬られて金持ちどもが支配してしまう」
→ ボニファシオ、革命軍再編を狙う
アギナルド「裏切り者、ボニファシオを捕まえなさい」
→ ボニファシオ、反逆罪で処刑される(1897年5月)
植民地政府軍「おっ、なんかゴタゴタしとるな。一気に行ったれ!」
→ 植民地政府軍、カビテ州総攻撃
アギナルド「ぎゃーー!逃げろーー!」
→ 革命軍、ブラカン州ビヤックナバトの山中に逃亡(1897年7月)
植民地政府「どうだ?参ったか?降参か?」
アギナルド「…降参はせえへんで!…けど、独立という目的を放棄してやってもええがな」
→ アギナルド、植民地政府と休戦協定を結ぶ(1897年12月)
植民地政府「よしよし、話の分かるやつだ。じゃあ、お金あげるから、フィリピンから出て行ってね」
アギナルド「はーい」
→ アギナルド、170万ペソを受け取って香港に自発的に亡命
地方の民兵「はあ?!降参?するかよボケ!」
→ 一部の民兵は休戦協定に応じず戦闘を続ける
4. アメリカの介入、フィリピン共和国成立
所変わってキューバ
アメリカ「OOOOPS!!スペインの野郎がキューバのミーの戦艦メインを攻撃しましたネ。これ問題ネ。しょうがない、スペインぶっ潰シマース」
→ 米西戦争勃発(1898年4月)
アメリカ「スペイン野郎はぶっ殺シマース」
→ マニラ湾海戦(1898年5月)スペイン艦隊壊滅
アメリカ「Oh, アギナルドサーン、一緒にスペインをぶっ潰シマショウ」
アギナルド「ええがな〜。アメリカはん、乗ったろうやないかい」
→ アギナルド、アメリカ船で帰国。対スペイン戦闘を再開
アギナルド「うはっ!アメリカはんが加勢してくれて、武器もようなったし、仲間も一気に増えたでえ。一気にスペイン潰したる!」(ドガバギグチャ
スペイン植民地政府「ぎゃーーーー」
アギナルド「同時に独立準備進めまっせ!フィリピンの独立が見えてきたでえ」
→ 革命政府による内閣成立(1898年7月)、革命議会開設(1898年9月)
アメリカ「Hey, スペインサーン」
スペイン植民地政府「ハア…ハア…」
アメリカ「Heeeeey!! スペインサーーーン」
スペイン植民地政府「なんじゃい、聞こえとるわい」
アメリカ「ミーにフィリピンを譲りマセンカ?悪い話ないデスネ」
スペイン植民地政府「このまま全て失うよりはいいだろうな。分かった、乗ってやろう」
アメリカ「Owesome!!」
→ パリ条約締結(1898年12月)
アメリカ、秘密裏にスペインとフィリピン譲渡の約束を交わす
アメリカ・マッキンレー大統領「フィリピンは輝かしき我が合衆国の一員になったぞ、喜べ!」
アギナルド「おいおいおい、どうなってんねん!?ここまで来たのに、独立の歩みを止めるわけにはいかへん。最後までやり遂げるねん」
→ 革命軍、ほぼフィリピン全土を掌握(1899年初め)
マロロス憲法公布(1899年1月21日)
フィリピン共和国(マロロス共和国)設立宣言(1月23日)
アギナルド「世界のみなさん、わてら独立しましてん。今後ともよろしゅうに」
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5. アメリカの介入、共和国崩壊
アメリカ「フィリピン共和国ってナンデスカー?それはデリシャスデスカー?HAHAHA」
→ アメリカ軍、革命軍に発砲。フィリピン・アメリカ戦争勃発(1899年2月)
革命軍、アメリカ軍の物量の前に圧倒される
アギナルド「ハアハア…もうオシマイや…」
アメリカ「Hey, アギナルドサーーン」
アギナルド「何や、降伏ならお断りでっせ」
アメリカ「Kidding!! 悪い話シマセーン。アナタたちに自治権あげマース。資産家のYouたちのマネー奪いまセーン。だから降伏しなサーイ」
アギナルド「…アメリカはん、あんたに忠誠誓いますわ」
アメリカ「Oh…」
→ アギナルド、アメリカに逮捕される(1901年3月)
アメリカ大統領ルーズベルト「フィリピンは平定されたよ」(7月4日)
一部革命軍残党「ふざけんな!革命の理想はどこにいった!オレたちは抵抗を続ける!」
※サマル島ではルクバン将軍、ルソン島ではマルバル将軍がゲリラ戦を継続。
サカイ将軍がルソン島で独自にタガログ共和国を建設するなど、1910年代まで抵抗運動が続いた。
フィリピンエリート層「せっかく金持ちのアメリカの植民地になったんだもの。この機会に乗じて、ガッポガッポ儲けてやるぞ〜〜」
フィリピン貧困層「おいおい、革命政府が掲げていた階級格差の是正とか、貧富の格差はどうなったの?」
フィリピンエリート層「知るかーーー。悔しかったら金持ちになってみろーーー」
→ フィリピン革命で掲げられた格差の是正は、アメリカ植民地下で完全に頓挫。
フィリピン革命はここにおいて、完全なる失敗に終わった。
6. アメリカがもたらしたもの
6-1. 政治
アメリカ「フィリピン人の金持ちのミナサーン、私たちはYouたちの味方デース。Youたちに特権あげマース」
フィリピンエリート層「ああ、アメリカ様!我々にカネを与えてくださりありがとうございます!」
※アメリカはフィリピンエリート層の社会的地位を保障し、スペイン人が握っていた州政・国政へ参加させアメリカ植民地の協力者とした
6-2. 経済
アメリカ「農産物でガッポガッポ儲けるネ〜〜」
フィリピンエリート層「そうでやんすね!(クルリ)おら、おめえら、もっと働け」
小作人・労働者「うう、いくら働いても食えない…。スペイン時代と変わらないじゃないか…」
→ ココナツ製品、マニラ麻の大部分をアメリカに輸出。一方で、工業製品・食料品をアメリカから輸入するというアメリカ依存の経済下部構造に組み込まれてしまい、自立した産業が発展しない社会構造に。
6-3. 教育
アメリカ「スペイン語なんて古いヨー。これからは英語ネ」
→ 英語での初等教育、中高等教育の整備(1902年)
アメリカ「アメリカのカルチャー最高ダヨ。COOLデショー?」
→ フィリピン社会に急速にアメリカ文化が浸透。
フィリピン大衆「Oh, Yes! アメリカ最高!」
→ アメリカン・ドリームに憧れ有能な知識人層がアメリカ本国に流出
まともな産業が発達せず、英語を武器に海外に出稼ぎ労働者として移住する者が相次ぐ
まとめ
フィリピン革命が失敗に終わった理由として、
革命の指導者がアギナルドをはじめとした有産階級が中心であって、彼らが自分たちの富や地位、名声を失いたくないため、不利になったらすぐに敵の「ニンジン」に食いついてしまった点にあります。
そしてそのような日和見主義者にとって変わる指導者を輩出しなかったのは、フィリピンがそもそも過去に自分たち独自の王朝を持った経験がなく、他民族を追い出したりし征服したりしたことがなかったため、受け身的に環境に身を委ねることしか知らなかったし、自分たちがとって変わって「王になる」文脈を構築することができなかったためであると思われます。
革命に失敗したフィリピンの貧しい産業構造と貧富の格差は現在のフィリピンでもずっと尾を引いており、また我々日本人も大規模農園の開発などで大きくフィリピン経済や産業に関与しています。
それはまた今度書きたいと思います。
参考文献:未完のフィリピン革命と植民地化 早瀬晋三 山川出版社