歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

なぜピンクは女の子の色なのか

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 女の子専用と言ってもいい色ピンク

女の子を表す色と問われれば、誰しも「ピンク」と答えると思います。

可愛くて、繊細で、無邪気な色。

男でピンクが好きと言ったら変態扱いされそうな雰囲気すらあります。

ピンクが似合う男といえば、hideと林家ペーくらいです。

なんで、ここまで強烈にピンクは女の子の色になってしまったのでしょうか?

 

 

1. ピンクが与える印象

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色にはそれぞれ、無意識的に見る者に特定の印象を与える効果があります。

青は「沈静させる」、赤は「高揚させる」、オレンジは「調和」などなど。

ピンクは「心を落ち着かせる」効果があるのだそうです。

なので、色彩心理的には部屋の壁紙やインテリアをピンクにすることで、リラックス効果が期待できます。

女の子の部屋にピンクのモノが多いのは、可愛いからという以外に落ち着くからという心理が働いているのかもしれません。

ただし、色にどういう印象を持つのかは文化によって大きく異なるらしいです。

具体的なモノだけでなく,例えば“幸福”という項目もあります。日本やアジアはピンクを挙げますが,欧米は黄色になる。

あるいは“家庭”。日本やアジアはピンク,他の国は青も選ばれる。

このことから,アジアは家庭や幸福に母性的なものを,欧米は父性的なものを求めることが見えてきます。また宗教観の違いも感じます。キリスト教では青が多用されていますからね。鹿島建設ウェブサイト 特集:カラーコーディネートの探求より

こういう、色による印象の違いはアート、デザイン、ファッションなどそれぞれの国の特色となっていくのでしょうね。

 

2. 芸術に描かれたピンク

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バラ色=ピンク色

ピンク色は古代から芸術に描かれてきました。

ホメロスのオデュッセイアでは、夜明けが

「朝のまだきに生れ、指ばら色の曙の女神が姿を現す」

と表現されています。

昔は「ピンク」という色は具体的には存在せず、ラテン語の"Roseus"、つまり「バラ色」が今で言うピンクに近い色だったようです。

 

絵画に描かれたピンク

中世ではピンクのような淡い色はポピュラーではなく、赤や青などのはっきりした色が好まれました。

数は少ないですが一部の宗教画にピンクが見られ、特に13世紀イタリアの画家・ドゥッチョが描く聖人はピンクの衣をまとっています。

「マエスタ(荘厳の聖母)」

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「受胎告知」

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ルネサンス期になると、生き生きした人間らしい絵が好まれ、ピンクは「血流のよい」肌や手を表現するために使われました。

転じて「聖母マリアとキリストの精神的な結びつき」を象徴し、「結婚」のシンボルカラーと見なされていきます。

1506-1507年 ラファエロ作 「カーネーションの聖母」

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1504-06 ミケランジェロ作 The Doni Tondo

 

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「ピンク」の普及

ピンクという言葉が一般的になったのは17世紀。

それから絵画をはじめファッションの世界でもピンクが多く使われるのですが、最もピンクが流行したのは18世紀のロココ調の時代です。

当時はパステルカラーがヨーロッパの宮廷で大流行し、絵画だけでなくファッションでもピンクが席巻しました。

フランス王・ルイ15世の女官ポンパドゥール夫人は、当時のファッションリーダーでしたが、彼女はパステルカラーのピンクを大変好んだそうです。

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ロココ調末期の絵画には、退廃的な雰囲気が漂い始めます。

パステルカラーのピンクはそんな中で「セクシーで誘惑する女性」を象徴するカラーとして、ポートレイトに多く描かれました。

1782年-1784年 ジョージ・ロムニー作 「ハミルトン夫人」

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この作品は、1794年にイギリスの画家トーマス・ローレンスがサラ・モルトンという11歳の少女を描いた絵。

この絵、見てるとなんか心がザワつきませんか。作者の少女を見る目つきがヤラしすぎる。

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3.ピンクとファッション

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 ピンク=子どもの色

19世紀に入ると化学染料が発明され、どんな色も自由自在に染めることが可能になりました。

それまでピンクの染料は高価で、高貴な身分の者しか手に入れることができませんでしたが、化学染料によって安価にピンクの服を生産できる。それまで子どもの服と言えば多くは白でしたが、これにより可愛いピンクの服を子どもに与えることが可能になり、男の子・女の子を問わず、ピンクと言えば小さくて華奢で可愛い子どもの色とみなされるようになっていきました。

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ショッキング・ピンクの発明

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1930〜40年代に特に活躍したイタリアのデザイナー、エルザ・スキャパレッリ。

彼女の大胆でアヴァンギャルドなデザインは、イタリアのみならず瞬く間に世界を席巻しました。

彼女はマゼンタにほんの少量の白を足した「ショッキング・ピンク」という色を発明。これまでの「可憐で可愛い」ピンクという概念を覆し、「ビビッドで大胆な大人のピンク」を作り上げたのでした。

エリザ・スキャパレッリの手がけたデザインはこちらでいくつか見れます。

Elsa Schiaparelli (1890–1973) | Thematic Essay | Heilbrunn Timeline of Art History | The Metropolitan Museum of Art

 

フェミニズムとしてのピンク

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画像転載元:www.sessions.edu

 女性の「気づき」のシンボル

アメリカのグラフィックデザイナー、シェイラ・レブラント・デ=ブレットビルは、1973年に"Pink"と名付けた作品を発表しました。

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Worked by Sheila Levrant de Bretteville

この作品で、デ=ブレットビルはピンクという色で連想される女性像、「ピンク=子どもらしい・可愛い・セクシー」であり、それは裏返すと「無知・隷属」に繋がることを提示しました。

ピンクは可愛い色ですが、一方でそれを身にまとうことはそのような社会的に認知された女性像に身を委ねることになる、と警告したわけです。

 

4. 自己表現・帰属意識としてのピンク 

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Photo by Greg 

現代日本では、特に欧米が育んできたピンクの文脈、つまり「子どもらしい・愛らしい」「誘惑する・セクシーな」を独自に解釈して昇華させたロリータファッションの愛好家が数多く見られます。

ぼくはあまり詳しくないので具体的な言及は避けますが、おそらくこれまで見てきたような欧米の「ピンク・カルチャー」と繋がりはなく、その文脈を取り入れて日本のマンガやアニメのエッセンスを足して膨らませ、独自に意味を持たせたものだと理解しています。

1990年の半ばあたりから現れ始めたようですが、その外見のインパクトもあり好奇の目で見られることも多く、未だにあまり一般受けするものでは正直ありません。

その「過剰さ」は言うなればある種、反・社会や抵抗の象徴であり、一般の人から見れば、言葉を選ばないで言うと「ちょっとアブないヤツ」に思えるからです。

ただ、社会に受け入れられるよりも「自分の好きな服を着る」「自分のなりたい自分でいる」ことのほうが重要だと、愛好家は思っています。

2004年の映画「下妻物語」では、主人公の「竜ヶ崎桃子」はロリータファッションの愛好家であり、賛否はあるようですが、この作品を通じてロリータファッションの存在は広く一般に知られるようになりました。

www.youtube.com

 

 

まとめ

ざざっと、ピンクの社会史を紐解いてみました。

17世紀ごろに確立したピンクは、18世紀のロココ時代を通じて「可愛い」「妖艶な」色として定着していき、「ピンク=女性」と認知されるに至りました。

長い間をかけて発展してきたこれらの文脈は、今や女性による「社会への抵抗」にまで発展しています。

現代日本は、そういう点で、新たなピンクの文脈を作り出しているのかもしれません。

 

 参考文献

特集:カラーコーディネートの探求|鹿島建設

Pink - Wikipedia, the free encyclopedia

WACK! Art and the Feminist Revolution

Sheila Levrant de Bretteville - Wikipedia, the free encyclopedia

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