独自路線を突き進む北朝鮮の歩み
ニュース見ていると
「孤立を深める北朝鮮」
などアナウンサーがよく言いますが、何も今に始まったことではありません。
金日成が党内からソ連派と延安派(中国派)を粛清し、主体(チェチュ)思想を発表した時から、その孤立化の歩みはスタートしていたと言えるかもしれません。
「よくわかる北朝鮮の歴史」後編では、独自路線を突っ走る北朝鮮の歩みを追っていきます。
5. 主体(チュチェ)体制の発表
国民経済発展第一次五カ年計画スタート(1957年)
金日成「みんな、近い将来に肉のスープと白米をたらふく食えるようになるよ!」
→ 1949年比で、約3.6倍の経済成長を達成(1960年)
主体(チュチェ)宣言(1960年)
金日成「もはや外国に学ぶ必要はない。我が国はウリ(我々)式の革命をやるのだ!」
→ 国内のソ連派・延安派を一掃し、これからはソ連・中国と対等であることを宣言
金日成「ソ連さん、中国さん、これから我々は対等な関係です。相互援助条約を結ぼうじゃありませんか」
フルシチョフ「ああもう、ケネディとの会談準備で忙しいのに。分かったよ」
毛沢東「はいはい、分かったから帰れ」
→ ソ朝友好協力相互援助条約、中朝有効協力相互援助条約締結
労働党第4回大会開幕
→ 農業協同組合化の完成
工業部門で4カ年計画を2年半で達成
金日成「いい感じ!超いい感じ!」
中ソ対立激化
ソ連「ああ?中国何だテメエこの野郎」
中国「おお?やんのかコラぁ?」
北朝鮮「中国ガンバ!中国ガンバ!」(コソコソ
ソ連「おい、そこのチビ、そうだテメエだ。どうなるかわかってんだろなあ」
→ ソ連援助削減、7カ年計画難航
北朝鮮「ソ連さん、そんな怒らんといてな〜。中国も悪いよ!うん悪い。中国は悪い!ほんと悪い!」
→ 中国の文化大革命批判(1966年)
ベトナム戦争勃発
金日成「ベトナム戦争ヤベえ。激アツ。これから革命の時代入るやろ。そうだ、思いついた!ベトナムみたいに南朝鮮にゲリラ送り込めばええんちゃう?放っとけば勝手に南朝鮮のヤツら蜂起するやろ。やべ、オレめっちゃ頭いい!」
→ 金日成、戦時独裁体制の構築を始める
6. 金日成独裁体制の構築、対南ゲリラ闘争開始
Photo by Nicor
中央委第16次全員会議開催
「満洲で抗日武装闘争を戦った伝統に則り、革命を推進しよう!」
ワーパチパチパチパチ
※「全員会議は党員たちと勤労者を党の路線と政策、抗日武装闘争時期につくられたわが党の栄光ある革命伝統によって継続してしっかりと武装させ、彼らの労働者階級化、革命化を促進し、全党に唯一の思想体系を一層徹底して確立することにより、北半部革命力量を一層強化しなければならない」(1967年7月4日「労働新聞」)
→ ソ連、中国帰りのエリートが中央から完全追放
金日成の独裁体制が確立
スローガン「抗日遊撃隊員のように革命的に生き抜こう!」
→ 金日成を司令官とする国民の「遊撃隊員」化の推進
金日成「さあ、舞台は整った。いよいよ朝鮮のベトナム化のはじまりはじまり〜〜」
→ 北朝鮮遊撃隊31名、韓国大統領官邸襲撃事件(1968年1月21日)
結果:1名を除き全員死亡
→ 米軍情報収集艦プエブロ号拿捕。アメリカ激怒。
金日成「オラオラ、どうしたアメ公よ、かかってこいよ〜〜。もし戦争になったらオレたちにはソ連兄貴がいるんだからね〜」
ソ連「おい!テメエ!勝手なこと抜かすな!今すぐプエブロ号の乗組員を解放しろ」
金日成「あーー聞こえない聞こえない。戦争だ戦争だ!銃を持ってこい!弾を準備しろ!」
※「全体人民軍将校よ!党の唯一思想で徹底的に武装して、金日成同志に無限に忠実な革命戦士となろう」(「労働新聞」2月4日)
14名の遊撃隊が済州島に上陸(1968年8月20日)
→ 12名が射殺、2名逮捕
100名の遊撃隊員が韓国東海岸に上陸(1968年11月2日)
→ 全員射殺される
金日成「なんで!?なんで南ベトナムみたいに、みんな蜂起しないわけええええ?」
→ 韓国を南ベトナムのようにする金日成の戦略は失敗に終わり、
そのために作り上げた「遊撃隊」式国家体制のみが残る結果に
6. 金正日登場、経済がんばろう期
photo by Nicor
1974年党中央委全員会議にて、金正日が党政治委員に選出される
→ 事実上の後継者認定
経済がんばろう期スタート
副首相・朴成哲、韓国訪問
朴成哲「はあっ!?なにコレ、何で南はこんなに成長してんの?おれらヤバくね?」
→ 西欧諸国との国交樹立開始
スイス、日本、イギリスと通商関係確立
金日成「南はめっちゃ発展してんだって?ヤバいじゃん。こっちも経済がんばるぞ!」
→ がんばり始めた直後にオイルショック発生
外貨収入は激減したが、支払い額は急増。海外に多額の負債を抱える事態に
金正日「このピンチを乗り切るには、気合いだ!気合いだ!気合いだー!!」
→ 新スローガン「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式で」採択
経済建設の「速度戦」をとなえ(1974年2月)
「70日間戦闘」を提案(同10月)。後に、「電撃戦」「殲滅戦」へと変化
第6回党大会開催(1980年10月)
→ 金正日、中央委員選出、後に政治局委員、軍事委員会委員に選出
第二次7カ年計画発表、12.2%の経済成長を見込む
※10大展望目標(鉄鋼1500万トン、石炭1億2000万トン、電力1000億キロワット時、セメント2000万トン、化学肥料700万トン、非鉄金属150万トン、繊維製品15億メートル、水産物500万トン、穀物1500万トン、干拓地30万ヘクタール)
→ 非現実的な数字だったため未達成
チュチェ農法の導入
金日成「農業も電撃戦だ!植えれる場所はどんな場所でも植えるんだ!」
→ 山頂まで段々畑を作りトウモロコシを栽培
土砂の流出を考慮しなかったため、山々から土砂が流出
農業不振に加え、川の氾濫が頻繁に起こるようになる
→ 後の北朝鮮の食料不足のきっかけに
6. 経済危機、孤立化へ
1988年、ソウルオリンピック開催決定
韓国「世界のみなさんようこそ!我が国でオリンピックが開かれるよ!」
金日成「許さん!断じてあってはならない!我が国でなくて南でオリンピックなんて!」
→ 金日成、ソ連訪問
金日成「ゴルバチョフさん、東側諸国みんなでボイコットしちゃいましょうぜ!」
ゴルバチョフ「は?何いってんの?ちゃんと出ろよな」
金日成「え…………ち、中国さーーん!」
中国「ボイコット?しねーし。オメーらもちゃんと出ろよな」
金日成「……………南の軍事政権が民主化したら参加をします」(ピキピキ
→ 大韓航空爆破事件発生(1987年11月29日)
韓国「何してくれてんねんコラぁぁ!!」
金日成「陰謀だ!南の陰謀だ!」
韓国大統領選、盧泰愚当選(12月16日)
金日成「ほら、軍政が続くじゃないか。やっぱり爆破事件も陰謀だった。南は信用できん。我が国はボイコットする!」
→ 北朝鮮がボイコットした状態でソウルオリンピック開催(1988年9月)
韓国大統領・盧泰愚「このままじゃマズい。戦争になったら韓国の国際的な信用ガタ落ちだ」
→ 南北首脳会談の開催打診
北朝鮮「オレたち朝鮮労働党が政治主導する連邦制を将来的に採択して南北統一するなら、会ってあげてもいいよ」
韓国「(…バカじゃないの、ニュース見ろや)」
東欧で共産党政権が相次いで瓦解(1989年)
ポーランド、非共産党国家成立(6月18日)
ハンガリー、非共産等国家成立(10月23日)
ベルリンの壁崩壊(11月9日)
チェコスロヴァキア、民主化革命で共産党支配終了(11月27日)
ルーマニア、チャウシェスク政権崩壊(12月25日)
ソ連、韓国と国交樹立(1990年6月5日)
北朝鮮「…………(さすがにマズい…孤立してしまう)」
金日成「韓国さん、日本さん、仲良くしましょう」(ニコニコ
→ 韓国・日本との関係改善を進める(南北高級位会談開催、自民党金丸・田辺訪朝)
金日成「これまでソ連の核の傘に入ってたけど、もうソ連はオレたち守る気あらへんやん。じゃあ、自前で核を持たなあかんよねえ」
→ 核開発に着手(1990年ごろ)
日朝交渉開始(1991年1月13日)
- 賠償請求について
北朝鮮「日本よ、おメエはオレたちにほんっとにヒドいことしてくれたよねえ。そりゃ、賠償金いっぱいくれるんだよね」
日本「いやいや、我々は戦ってないから賠償責任なんてないよ」
北朝鮮「なに言ってんだよ!散々植民地下で酷いことやってくれたじゃないか。それに我が金日成同志が日帝と戦っていた歴史を無視するんじゃねえ」
日本「いやいや、1910年の韓国併合は法の下で行っていたわけだし、金日成だって連合国の一員じゃなかったでしょう」
- 核開発について
日本「何か裏でコソコソ核開発やってない?IAEA(国際原子力機関)の査察入れんとヤバいぜあんた」
北朝鮮「何もやましことはないからいいぜ。だけどもし査察入れるんなら、在韓米軍の核を全部不使用な状態にすることが前提な」
IAEA「いやいや、核の無秩序な拡散に責任を負ってるのが我々ですから、査察はアンタのとこだけですよ」
北朝鮮「話にならねえ。ヤクザかお前らは」
日本「話にならねえ。ヤクザかお前らは」
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7. 北朝鮮経済崩壊、戦争の危機
ソ連保守派クーデーター失敗、ソ連共産党解体、ソ連崩壊へ(1991年12月)
金日成「けっ!ざまあみさらせ!もはやウチしか正統な社会主義国はないね!」
→ 最大の貿易・援助国だったソ連の崩壊で、北朝鮮経済に大打撃
原油含む輸入の大幅縮小。慢性的な電力不足の発生。
核問題に端を発し日本からの人と資金の流入が制限され合弁会社が大量倒産。
金日成「やばい!外貨入れないとマジで崩壊する」
→ 土地賃貸法、外国投資銀行法成立(1992年11月)
金日成「さあ、どんどん北朝鮮に工場作ってよ!」
→ 進出企業数ゼロ
金日成「………おい、こらアメリカ!オレが核をぶっ放してもいいのか!してほしくないなら交渉のテーブルにつけ!そして資金援助しろ」 ノドン発射(バコーン
→ "瀬戸際外交"のスタート
アメリカ「分かった、軽水炉の導入検討してやっから、核放棄しろよな」
金日成「オッケーオッケー。IAEA査察受け入れるよ(うっひっひ、大成功。これ使えるわ)」
韓国第14代大統領・金泳三登場(1993年2月)
金泳三「核持ってる連中とは握手すらできんね」
北朝鮮「けっ!戯れ言ぬかしてろ!オレたちはアメリカと和解し始めてんだからね」
IAEA「そいえば、もうすぐ査察行きますからね」
北朝鮮「いいけど、前からある施設だけね。新施設は見ちゃダメよ」
アメリカ「おいこら、ふざけんな。新施設こそ核開発やってるとこやろ。そこ見せろ」
北朝鮮「ダメ、そんなこと聞いてない」
アメリカ「見せなければ経済制裁するけど、ええの?軽水炉援助もやらないよ」
北朝鮮「あー!約束やぶった!査察受け入れたら援助するって言ったのに!嘘つき!!」
南北実務者会談開催(1993年3月)
北朝鮮・朴代表「お前たち、パトリオットミサイルをアメリカから買うらしいじゃん?アレ撤回しないともうこれ以上交渉できないよ?」
韓国・宋代表「いやいや、そもそもアンタらが核を持ってるから問題なんでしょう?交渉続けないと、経済制裁するよ?」
北朝鮮・朴代表「は?お前、死にたいの?」
※北朝鮮の朴代表が「ここからソウルは遠くない。戦争が起これば火の海になってしまう。宋先生も生き残れないだろう」と威嚇し会談破綻
→ アメリカ、パトリオットミサイルを韓国に導入決定
IAEA「ちゃんと査察させないと、制裁マジでやるよ」
北朝鮮「いいのかなあ?制裁するとマジで戦争始まるよ?」
カーター元米大統領「ちょっと、みなさん落ち着きましょうか。金日成さん、いまからそっち行くわ」
→ カーター元大統領訪朝(1994年6月16日)
カーター「NPT留まって、IAEAの査察も受け入れましょうね」
金日成「分かったよ、そのかわり軽水炉提供しろよな」
→ 戦争回避および瀬戸際外交のさらなる成功
8. 先軍政治のスタート
Photo by Presidential Press and Information Office
金日成、心臓発作のため83歳で死亡(1994年7月8日)
北朝鮮国民「うわああああああああああ」
金正日「みなさん、私がこの国を引っ張ってきます!」
→ 軍の掌握を図るために、全国の駐屯地への歴訪を開始
北朝鮮軍人「ああ、首領さまぁぁぁ」
→ 金正日、軍人のハートをガッチリキャッチ
平均300ミリの豪雨が全土に降り、河川の氾濫が相次ぐ(1995年7月30日〜8月18日)
→ 全土の畑が被害を受け、深刻な食料不足、大量飢餓の発生
北朝鮮国民「金正日の代になってから踏んだり蹴ったりだ。ひどいよ」
金正日「ヤバい。かなり不満が溜まってきてる…そうだ、軍隊を使って国民を統括しよう」
→ 「苦難の行軍精神で生き、闘争していこう」スローガンの発表
軍人精神を理想とし、最高司令官(金正日)と軍隊が国家を管理する体制への移行
軍が人民を導いていく宣伝活動が積極的に行われる
例)ある郡では人民軍指揮官が郡の指導部と話し合って「地区ごとに戦闘指揮所を組織し、田植え戦闘を機動的に覇気あるように組織指揮している」
先軍政治宣言(1999年6月16日 労働新聞)
金正日「すべての面において軍隊を優先するからシクヨロ」
※「軍隊こそ党であり、人民であり、国家だという革命哲学に基づいている」「党、国家、社会生活のすべての分野で軍重視思想を徹底的に具現していかなければならない」
社会主義強盛大国宣言(1998年9月9日 労働新聞)
金正日「北朝鮮はすでに強え軍隊と、気合いの入った国民がいる国で、人々はみーんなハッピーに暮らしてる。けど経済が、もうちょっと足りないかな。経済がんばろうね」
※「偉大な先軍革命路線があって、敬愛する金正日同志の洗練された領導があるかぎり、金日成朝鮮の尊厳と偉容は万邦になりひびき、この地にかならず社会主義強盛大国が出現するにいたるだろう」
その後
金正日は周辺各国との関係改善・経済交流に乗り出します。
アメリカとの交渉、ロシアとの国交樹立、南北首脳会談、日朝首脳会談…
軍の力を利用して国内政治を抑えた金正日は、アメリカ、日本、韓国から援助や投資を呼び入れてけっこう本気で経済を改善しようとしましたが、
核問題、拉致被害者問題、国境銃撃事件などなど、様々な問題が立ちふさがり進展せず、失意の中で金正日は死亡(2011年12月17日)
後継者の金正恩は、かつて父と祖父がやったように、国内勢力の統一を5年以上かけて実施しました。実兄である金正男をマレーシアの空港で暗殺するなどの非人道的な手段も取り、弾道ミサイル開発で成果を上げるなどして国論の統一を図り、2021年1月にとうとう父・金正日と同じく「朝鮮労働党総書記」に就任しました。
一方で自身の健康問題や経済問題など課題は山積みで、今度どのように北朝鮮が国際社会に対応するか、見通しが立たない状況です。
まとめ
かなり長くなってしまいましたが、ざっと北朝鮮の歩みと各種懸案事項の根本原因が見えたと思います。
金一家を中心とする政治抗争。
指導者の君臨を正当化するための社会体制の構築。
実情を無視した卓上の空論で疲弊する国内。
国際関係にモロに影響を受けた社会・経済構造。
路上で刃物を振り回すヤベえ奴を見たら
「何だこいつ、ヤベえ」
と思いますが、刃物を振り回す方にも事情がある。
そうしないと死んじゃうです。
いったい、この狂った体制が刷新されるタイミングが来るのでしょう。
我々が生きている間に、南北が統一される日は来るでしょうか。
今のところ、その道筋はまったく見えません。
参考文献:北朝鮮現代史(岩波新書) 和田春樹 岩波書店