謎に満ちた "秘境" 国家・北朝鮮
北朝鮮と聞くと、現地からの情報があまりになさすぎてある種の秘境感を感じます。どこか遠い感じ。
にも関わらず、どういうわけか北朝鮮情報があふれていますよね。
たくさん情報がありすぎて、我々が触れる情報にもある種色眼鏡がかかっているかもしれません。
今回は、北朝鮮国家樹立前から金正日が主導する先軍政治までをピックアップし、
北朝鮮国家の成り立ちと歩みを追っていき、現在の北朝鮮のニュースとどのようにつながっているかを明らかにしようという取り組みです。
1. 抗日ゲリラ期
金成桂(後の金日成)登場
金成桂「マルクス主義やべえ。マジ正義。日本ぶっ倒して朝鮮に共産主義の理想国家作るべきやろ。オカンごめんな、おれ兵隊になって戦うわ」
→ 1931年金成桂、19歳で中国共産党に入党。名前を金日成に改名。
中国共産党「うわ、日本軍が満洲に侵攻してきた!ちょ、キミたち、戦ってよ」
金日成「よっしゃ、日本軍ぶっ倒す!」
→ 金日成、東北人民革命軍の幹部として抗日ゲリラ戦に参加(1933年頃)
日本軍「あ痛!んん、なんだこいつらは。一斉に取り締まれ」
→ 日本軍、東北ゲリラへの鎮圧作戦強化(1936年頃)
一路軍の司令官の捕獲、殺害、投降が相次ぎ壊滅状態に
金日成「このままじゃマジでヤバい。いったんソ連に逃げるぞ」
→ 金日成の部隊、越境入ソ(1940年10月)
金日成「うっしゃ、ソ連を拠点にして日本と戦うぞ!」
ソ連「あ、すまんけど日本と中立条約結ぶから、じっとしといてよね」
金日成「…」
→ 日ソ中立条約締結(1941年4月)
ソ連「あれ、日本劣勢じゃん?オレたちもそろそろ参戦するかなあ」(ポキポキ
金日成「ソ連さん、オレたちも加わらせてよ!」
ソ連「うっさい、だーっとれ!いずれ呼ぶから待ってなさい」
金日成「…」
→ ソ連対日宣戦布告(1945年8月9日)
2. 北朝鮮建国期
1945年8月15日、日本無条件降伏
ソ連「ちょっと、そこのキミ、えーと、金日成君だったかね?朝鮮で共産党を作るから、キミが中心になってやりなさい」
金日成「分かりました!」
→ 金日成、ソ連の戦艦で元山(ウォンサン)に上陸(1945年9月19日)
ソ連・沿海州軍事会議委員シトゥイコフ登場
シトゥイコフ「北朝鮮全土に共産主義改革を導入するよ!」
→ ソ連占領軍民生部設立。民生部委員のメンバーが各地から集まる
国内派「日帝占領期に非合法指定されながらも頑張って活動していました!」
ソ連派「ソ連から帰国しました。私たちは政治経験はありませんが、マルクス主義について深い知識があります!」
延安派「中国から帰国しました。古参から若者までいるインテリ集団です!」
満洲派「っしゃー!オラァ!ハアッ?アン?アーッ!?」
ソ連・中国「国内派はあんま信用できないし、満洲派は脳みそが筋肉だし。ソ連派と延安派の諸君、金日成をトップにして支えてあげなさい」
ソ連派・延安派「分かりました!」
→ 金日成をトップとし臨時人民委員会が発足(1946年2月)
土地改革、労働法令、男女平等権法発令
朝鮮人「おお、さすが金日成将軍!万歳!」
スターリン「おいこら、金日成よ、チマチマやるんじゃあねえ。なんでまだ共産党が全土掌握できてねえんだ。急いで党の力を拡大するんだよ、ほら早く」
金日成「は、はい…分かりました、急ぎます…」
→ 北朝鮮労働党設立(1946年8月26日)
党大会では一早い北朝鮮の「民主主義的根拠地」の強固化、
南朝鮮への「民主主義的課業」の拡張と実行が宣言され、
「われらの指導者金日成将軍万歳」が叫ばれた
→ 「労働新聞」創刊(1946年9月1日)
脳筋の満洲派が中心となり軍隊を創設
選挙の実施、北朝鮮人民議会の選出(1947年2月17日)
アメリカ「ちょ、ソ連さんよ、あんたの元で朝鮮北部が何か勝手にやってるっぽいけど、統一政権作らないとマズくね?」
ソ連「朝鮮半島はオレたちに友好的な国にしてえから、そこんとこシクヨロ」
アメリカ「いやいや、何言ってんのよ!ちょっとー国連さん!来て!」
国連「朝鮮のことだから朝鮮の人に聞きましょう。統一選挙の実施だ!」
金日成「はああああああ!?ふっざけるな!オレたちがこれから頑張って南北を統一しようとしてんのに、余計なことしてくれんじゃねえ」
→ 朝鮮南部、国連の監視のもと単独で選挙を実施。
北部の議席を空席とし、全朝鮮を版図とする大韓民国の成立宣言(1948年8月15日)
北朝鮮「マジでふざけとるわ。オレたちのほうが正統なのに!」
→ 全朝鮮を版図とする朝鮮民主主義人民共和国の設立宣言(1948年9月9日)
3. 朝鮮戦争勃発
大韓民国初代大統領・李承晩登場
李承晩「アメリカさん、マジで北の連中ぶっ倒したいんですけど」
アメリカ「おい、こら、早まるんじゃあない」
金日成「スターリンさん、毛沢東さん、マジで南の連中ぶっ倒したいんですけど」
毛沢東「ああ、軍事援助はしたげるよ、いつやればいいすかね、スターリンさん」
スターリン「やりたいならやればよくね?援助したげるよ」
金日成「うっしゃ!許可もろた!」
→ 朝鮮人民軍、38度線越境。朝鮮戦争勃発(1950年6月25日)
李承晩「ほらああああ!もうううううう!」
→ 韓国政府・韓国軍、首都ソウル脱出
アメリカ「ちょっとー!国連さん!北朝鮮ひどいよ!何とかしてよ!」
→ 国連加盟国による韓国援助決定、アメリカ軍地上部隊派遣決定
金日成「え、ウソ!?アメリカ参戦?聞いてない!」
→ 国連軍、インチョン上陸作戦(1950年9月15日)
金日成「ぎゃーー!逃げろ!」
→ 国連軍、平壌占領(1950年10月20日)
李承晩「うっしゃああああ、このまま全部行ったれー!」
金日成「スターリンさん!助けて!マジ!ヤバい!」
スターリン「毛沢東!すぐに援助せよ!命令だ!」
毛沢東「我が党内にも反対が多く、意見を汲み取った上で調整し…」
スターリン「いいから急げ!!」
毛沢東「は、はい!」
→ 中国人民志願軍18個師団投入(1950年10月26日)
国連軍、38度戦から退却。中国軍、平壌奪回(1950年12月6日)
金日成「いいぞいいぞ!全力前進だ!」
中国軍「うるさい」
金日成「…は?」
中国軍「うるさいと言ったんだ。この戦争はこれからオレたち中国軍が主導でやる。キミは待機してなさい」
金日成「…」
→ 中国軍の聯合司令部が主導権を握り、実質的な米中戦争に突入
スターリン「この戦争、終わらねえよ。戦火がソ連に飛び火することだけは勘弁してくれよ。ねえ、アメリカさん、そろそろ潮時じゃないすか?」
米大統領トルーマン「ねえ。ちょっと我々もしんどいんですよ」
スターリン「と、いうわけだ金日成。不本意かもしれんが、ここで停戦してくれ」
金日成「……分かりました」
トルーマン「李承晩さん、停戦するからね」
李承晩「え?いや、何で?絶対反対!」
→ 停戦会談(1951年7月10日〜1953年7月23日)
スターリン「あーあ、散々派手にやってこのザマかよ。これ誰のせいなのかなあ?」
金日成「南労働党系のヤツらの裏切りのせいです!」
→ 党内大粛清開始
副首相・許ガイ、党ナンバー2・朴憲永、内相・朴一禹ら、有力者が死亡・失脚
労働党内における金日成の求心力が一段と高まる
4. ソ連派の弾圧
金日成「さあ、国作りだ!まずは経済発展をしないとね。我が国には日帝時代からの工業施設がたくさんあるから、重工業優先で進めるよ」
ソ連・マレンコフ首相「これからの時代、軽工業・大衆消費物が重要だよね」
金日成「軽工業・大衆消費物優先で進めるよ。えーと、農業はどんな感じ?」
農業相・金一「何とかなるんじゃないすか?農民たちヤル気あるし」
金日成「OK!じゃあそれで」
→ 食料不足発生、工業生産の落ち込み(1955年)
金日成「おいこら、テキトーな仕事をやってんのは、どこのどいつだい?」
幹部たち「ソ連派のヤツらでーーす。あいつら無能なクセに偉そうにしてるし、あとソ連国籍のまま我が国の政治を執ってるのって問題じゃないですかね」
金日成「そりゃ問題だ。ソ連派のみなさん、ちょっと心入れ替えた方がいいんじゃないかねえ」
→ 55年12月党中央委全員会議で朴一禹・許ガイ(ソ連派)批判
ソ連系要職の人に全て朝鮮国籍を取得するように促す(12月5日)
朴憲永(ソ連派)非公開裁判、死刑判決(12月15日)
朴昌玉、朴永彬(ソ連派)南文学者作品を褒めた罪で自己批判(12月27,28日)
3月20日中央委全員会議の人事で、ソ連派幹部の多くが排除される
ソ連第20回党大会でスターリン批判が起こる
一部の幹部「いや、これウチと同じやん。金日成個人崇拝が進んでるよ。この批判精神を見習わなければ」
5. 反・金日成派閥の内乱
金日成「ちょっとソ連行ってくるわ」(6月10日)
→ 金日成の長期外遊中、反・金日成の幹部(※)らが金日成の更迭を目指し結集
※副首相・崔昌益(延安派)、ソ連派・朴昌玉、建設部長官・金承化(ソ連派)、商業相・尹公欽、元内務副相李弼ギュ(国内派)、ソ連大使李相朝など
李弼ギュ「ソ連さん、実は我々金日成を排除しようとしてます。その際はお手伝いよろしく頼みますね」
ソ連代理大使ペトロフ「…お、おう…」
金日成「ただいまー」
崔相益「ちょっとよいかな。あんたの取り巻きである朴正愛、朴金喆、鄭一龍、金昌満らは昔日帝に協力していたらしいと聞いた。どうも信用できんのだが」
金日成「(こいつやりよったな…)」
8月30日、31日中央委全員会議開催
尹公欽「今の我が国にはソ連の共産主義スピリットが足りん!」
議員たち「うるせえ!黙れ!ソ連の犬どもが!」
崔相益「いまの党の方向は正しいが、個人崇拝に向かっているのでは?」
議員たち「何を!貴様、いま何て言った!?」
金日成「あー、ゴホン、静粛に静粛に。どうやら党指導部に対する不満があるようですな。その中心にいるのは、崔相益、朴昌玉、キミたちであるようだね。ソ連と接触しているという情報もあるのだが…」
朴昌玉「…そ、そんなことは断じてない!」
議員たち「この野郎!売国奴め!」
金日成「あー、静粛に、静粛に。決まりましたな。反対派は処罰する」
→ 尹公欽、徐輝、李弼ギュ、その日のうちに中国亡命
反・金日成派「ちょっと、ソ連さん、中国さん聞いて!金日成ひどいんだよ!」
ソ連・中国「分かった、話は聞こうじゃないか」
→ ソ連・中国代表団訪朝 (9月23日)
ソ連・中国「…というそうじゃないか。ダメだよ、仲良くしないと」
金日成「はあ、サーセン、処分取り消しますわ」
ソ連・中国「じゃあ、今後反対派の人たちをどうしたのか報告してよね」
金日成「分かりました」
1956年10月ハンガリー事件勃発
→ ハンガリーで起こった反スターリニズム・反ソ連暴動にソ連軍が介入。
しかし直ちに「介入をしすぎだ」として撤退。
金日成「あれ?ソ連が社会主義国家への介入をしないって言ってるよ?ビッグチャーーンス!」
→ 反・金日成派の延安派・ソ連派大弾圧
延安派はほとんど全員が逮捕・投獄
ソ連派は約50人が処刑、約250人がソ連に帰国
この粛清により反対派が一掃され、金日成の党内の求心力は一掃強まり、個人崇拝がますます強まっていくことに。
繫ぎ
金日成がゲリラ部隊を率いて抗日戦争を繰り広げた後に北朝鮮のトップとして担ぎ出され、その後国内の派閥を統一するところまでを見ていきました。
これまでの金日成は常にソ連や中国にいちいちお伺いをたてて行動しています。この時点ではある意味コントローラブルな国ではあったのかもしれません。
後編では主体(チェチュ)思想の元、独自の歩みを始めます。
参考文献:北朝鮮現代史(岩波新書) 和田春樹 岩波書店