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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

中国の女海賊・鄭夫人の「海賊経営術」とは

中国

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海の荒くれ男たちをマネジメントした女経営者

海賊と言えば、自由な海の男たちの集団というイメージがあります。

奔放に商船を襲ってはカネを奪い、

陸に上がっては酒に女にバクチに明け暮れ、

文無しになったらまた獲物を求めて海をさまよう、みたいな。ある種理想家された自由人の姿です。

ただ、やっぱりそんな放漫なやり方じゃあ「経営」はできません。

19世紀中国には、そのような自由な海の男たちを束ね、極めて合理的なマネジメントで「海賊経営」を実戦した敏腕経営者がいました。

その名は鄭夫人、本名は鄭一嫂(チェン・シーイ)

本エントリーでは彼女が実戦した合理的な「海賊マネジメント」を紹介します。

 

1. 清王朝時代の中国の海賊

清の前の王朝であった明の時代、 東シナ海の海賊の主役と言えば倭冦でした。

倭冦については以前の記事「グローバル武装貿易グループ "倭冦"の男たち」で紹介しましたが、禁じられた海外貿易に打って出て一儲けしてやろうという中国の男たちが、日本を含む東アジアを縦横無尽に行き来して海上の一大流通ネットワークを築きました。

16世紀末になると、海禁政策は解かれて海上貿易が自由化されたため海賊は減っていきました。

しかし17世紀初頭の明末の時代には、国力が衰えた政府の影響下から抜け出し、自前の武装集団を設けて暴れ回る者がたくさん出てきます。

陸上ではそれが馬賊や山賊になり、海では海賊になったわけです。

 

当時の有名な海賊で日本人にも知られている人物と言えば、鄭芝竜(チェン・チ・リン)でしょう。

武装商人として東南アジアや台湾との貿易に従事。一時は長崎県の平戸に本拠地を構え、当地で日本人娘と結婚し息子・鄭成功を授かっています。

その後本拠地を台湾に移し、相変わらず乱暴狼藉を働いていましたが、明王朝から福建の武官に任ぜられるとかつての海賊仲間たちを攻撃。

明王朝が清王朝に駆逐されると、明の復興を掲げて息子の鄭成功と共に清王朝に抵抗。

鄭芝竜は後に清王朝に降伏しますが、息子の鄭成功は台湾を拠点に抵抗運動を続けました。

 

2. 海賊王・鄭乙(チェン・イー)

その後も中国沿岸では大なり小なり海賊たちが出没しその都度、清政府による討伐隊が組織され、という「トムとジェリー状態」が長い間続いていました。

時は移ってアヘン戦争勃発の直前。

インドで生産されるアヘンが中国南部から大量に清国内に流入し、海上貿易は活気に湧いていました

この状況に海賊どもが指を加えて見ているはずありません。

清政府はアヘンの流入を禁止しましたが、アヘンの密貿易は年々と拡大。おそらく海賊たちも密貿易に一役買っていたでしょう。

すると密貿易に加担する海賊たちの政府の取り締まりが厳しくなってきた。

 

「これまでのようにバラバラに行動しいがみ合っているようでは、いずれ1つずつ潰されていくに違いない。我々も団結しなくては」

1805年頃、海賊の首領で鄭乙(チェン・イー)という男が現れ、このように唱えました。

鄭乙は海賊たちを説得して周り、とうとう複数の海賊団を1つの連合体に取りまとめてしまった

この海賊連合の武力は脅威的なものがあり、艦隊数は合計で6。それぞれ赤旗艦隊、黒旗艦隊などの色がつけられ(その他にも黄・白・青・緑があった)、一艦隊につき少ないもので70隻を保有していました。

中でも最大・最強だったのは赤旗艦隊で、保有する船は300隻、戦闘員は2万〜4万という規模

清朝側からすれば、突如現れた一大武装勢力で脅威以外の何者でもなかったでしょう。

 

3. 鄭夫人の組織改革

1807年11月、鄭乙はベトナムで急死してしまいます。死因は不明。戦死したとも、暴風に飛ばされたとも言われています。

この大海賊団の頭領を引き継いだのが、鄭乙の妻・鄭夫人でした。

鄭夫人は16歳の頃に海賊に拉致されて広州の小島にある売春宿で働かされていましたが、そこで鄭乙と出会い、意気投合し結婚したと言われています。

夫の死後、海賊の頭領となった鄭夫人は夫以上の敏腕っぷりを発揮し、海賊団をますます精強に作り上げていきました

その秘訣は以下の3つです。

  1. 掟を厳正化する
  2. 経営を効率化する
  3. 地元とWIN WINの関係を作る

以下で具体的に説明します。

 

3-1. 掟を厳正化する

もともと別々の海賊の寄り合いである海賊連合をまとめあげ、言うことを聞かせるには「恐怖の力」が必要でした。

すなはち掟を厳正にし、守らない者は容赦なく首をはねた。

大まかな掟は次の通り。

  • ボスの命令に従わない者は斬首
  • 自分勝手に命令を出した者は斬首
  • 組織のカネをくすねた者は極刑
  • 食料をいつも提供してくれる村で盗みを働いた者は斬首
  • 女性の捕虜を強姦した者は極刑
  • 合意の上でも女性捕虜と姦通した者は斬首。女性捕虜は海に沈める

この他にも、細かな掟が数多くあり、鄭夫人はこれらを極めて厳密に実行しました。

そのため海賊たちは恐怖し、ただの荒くれ者の集団から、上の命令をよく聞く秩序ある武装集団へと変貌していきました。

 

3-2. 経営を効率化する

海賊はもともと、例外もいますが、社会から落ちぶれた落伍者やヤクザがなるもので、物事を計画的に進めることと無縁の存在。

気が向いたら商船や村を襲い、好き放題暴れてカネや女を奪い、酒を痛飲してバクチを打ち、文無しになったらまた次の襲撃をする、といったような究極の自由人です。

鄭夫人はこのような従来の海賊たちのやり方だと長続きしないと考え、極めて合理的な「経営」を持ち込みます。

 

 例えば、彼女は奪ってきた品物を「略奪品」と呼ぶことを禁止。必ず「積み替え商品」と呼ばせました。

「商品」はどんな小さなものでも必ず提出させ、監査員に見積もりをとらせる。

そしてその見積もりの20%の金額を獲得者に支払いました。海賊たちにとってはこれが給料だったわけです。完全歩合制ですね。

商品は各地にある倉庫で厳重に管理。常駐の番頭に「商品」の販売を担わせ、地元の商人相手に売りさばきました。

売上金は組織のカネとなり、武器の購入や船舶や倉庫の維持費、食料の購入など組織運営のために使われました。

 

3-3. 地元とWIN WINの関係を作る

鄭夫人は配下の海賊が、これまでのように農村や港の商店や倉庫を襲うことを禁じ、地元住民と良好な関係を作ることを重視しました。

それは掟にもある「食料をいつも提供してくれる村で盗みを働いた者は斬首」という項目を見ても分かりますが、乱暴狼藉は厳禁だった上に、食料品や生活必需品は必ず地元住民から買い上げました。

そうすると地域住民から信頼され組織の運営上必要な品が集まりやすくなる上に、彼らは自分たちの商品も買ってくれるようになります

お互いが経済的に依存し合い、お得意様同士となることでヒト・モノ・カネが極めて大量に流れるようになったでしょう。

地元の人々にしてみれば海賊団がいなくなるとオマンマの食い上げだから、モノもそうですが兵の拠出も積極的に手伝ってくれたと思われます。

マカオから広東の一部の村々では、海賊は村に税金を課す代わりに海賊を派遣し、防衛の責任を担っていたようです。

すげえ。もはや独立国みたいなもんですね。

 

4.  "南シナ海の恐怖" 

鄭夫人の組織・経営改革により視野が開けて極めて合理的に動くようになった海賊団は、清朝の沿岸警備隊をことごとく粉砕。

清朝にはまったく手に負えない存在となっていました。

海賊団はアメリカやイギリスの商船も無差別に襲ったため、イギリス人からは「南シナ海の恐怖」と恐れられました。

清朝は何度も討伐隊を組織しますが、その度に負けて合計で63隻もの船が沈められ、ポルトガルやイギリスですら彼らを捕獲できなかったと言います。(The History of Piracy, 1932)

 

5. 清政府による討伐隊

この厄介な海賊に困ったポルトガルとイギリスは、清朝に海賊討伐の協力を申し出ますが、仮に海賊がいなくなったらいなくなったでその穴を列強が埋めるだけなのは分かりきっており、清朝はかなり及び腰でした。

中国人の海賊が中心の経済サイクルを壊すと、それを列強が奪ってさらに国力が弱体化しますからね。

しかし、1809年8月に海賊がシャムの朝貢船の入港を封鎖するに及んで、とうとう清朝政府は海賊の撲滅を決意

イギリスとポルトガルから最新鋭艦を借り、海賊連合に乾坤一擲の攻撃を仕掛けました。

この攻撃でも海賊たちは生き延びたものの受けたダメージも大きかったようです。

海賊団は今後の方針を巡る意見の対立から分裂状態に。

とうとう鄭夫人は未武装のまま、17名の女性と子どもを連れて広東の行政館に出頭し許しを乞いました。

政府はこれ以上海賊が復活しないように、一部を除き海賊たちに恩赦を与え、堅気の生活に戻るように指示。

その他、海賊のリーダー格の有能な者たちは清朝海軍の将校に任命されました。

当の鄭夫人も恩赦を与えられ、故郷の広東に戻りギャンブル場をオープン。

1844年に69歳で死亡しました。

 

 

まとめ 

配下の者にルールを厳密に守らせる。

厳密なルールを守ってでも得て納得感のある「褒美」を与える。

民から一方的に収奪するのではなく、お互いが利益を生む関係を作る。

現在の経営者やリーダーにも実に参考になりはしませんか?

そしてかつての中国では、このようなお互いが繁栄する知恵というのがあったはずなのですが、今の中国はどうしてこう、自分の利益しか考えない利己的な国になってしまったのでしょうね。

 

参考文献:

海賊 新紀元社 森村宗冬 

Most successful pirate was beautiful and tough, CNN, August 28, 2007 

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