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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

エジプト農村がブラック搾取社会となるまで

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グローバル経済の下部構造と化したエジプト

「エジプトはナイルのたまもの」

とは古代エジプト世界の豊かさを称した言葉ですが、あまり豊かすぎるのも考えものかもしれません。 

エジプトは16世紀初頭から19世紀初頭までオスマン帝国に組み入れられ、「辺境」の豊かな生産地としてオスマン帝国各地へ農作物などを供給しました。

しかし伝統的な農村社会と労働様式を有したまま近代を迎えたエジプトは、ムハンマド・アリー朝とその後のイギリスによって、グローバル資本の下部構造に組み込まれ、出口の見えないモノカルチャー地獄に突入。

畑いっぱいに実る綿花は、ヨーロッパ資本による独裁とエジプト農民の塗炭の苦しみを象徴するものとなりました。

今回はなぜ豊かなエジプトが、ブラック社会に転落していったのか、その過程を追っていきたいと思います。 

 1. イギリス綿工業の世界展開

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 インド綿を駆逐するイギリス綿

18世紀以前、世界最高の綿と言えば、それはインド綿でした。

当時のヨーロッパの繊維品は、インド綿とは比較にもならない低品質。

滑らかな手触りと鮮やかな色合のインド綿は、当時の貴族のみならず一般大衆にも広く消費ブームを巻き起こしました。

イギリスはこのインド綿の品質に打ち勝つべく、産業革命を背景とした機械の開発で技術革新を進展させます。

そしてとうとう、綿製品の低価格・高品質・大量生産を実現

この安価なイギリス製綿製品は、瞬く間に世界で爆発的なヒットを飛ばしました。

すると、インドを始め世界各地の伝統的綿工業は崩壊。貴賎問わず衣服といえばイギリス製のような、超絶独占市場を築き上げます。

アメリカの代替地として注目されたエジプト

綿製品で莫大な資本を蓄積したイギリスは、この資本を元に外国国債と為替手形を扱う資本輸出に着手。

後にこの金融資本主義により、数多くの国を債務不履行に追いやり植民地に組み込んでいくことになります。

このイギリスの綿による資本蓄積は、アメリカ南部の黒人奴隷による綿花栽培によって支えられていましたが、南北戦争とその後のリンカーンによる奴隷解放令により、イギリスに納品される綿花の量が極端に下がってしまいました。

綿花の仕入れが滞ると、綿製品の供給が滞り、資金繰りが悪化し、英通貨の信用が下がり、イギリスの覇権が脅かされかねない。

 イギリスは血眼で代替地を探し求め、とうとう発見したのがエジプト。

当時エジプトは量こそ少ないものの高品質な綿を生産しており、ここに活路を見出したイギリスは当時のエジプトの支配者サイード・パシャに圧力をかけ、綿花の増産を促しました。

 

2. 浸蝕されるオスマン帝国の経済システム

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オスマン帝国の経済システム 

1517年にマムルーク朝が崩壊し、エジプトはオスマン帝国の傘下国となります。

オスマン帝国の王はスルタン=カリフを名乗り「イスラムの盟主」であるという強力な支配正当性を持ち、

奴隷身分出身の軍事カーストを基盤とする強力な軍隊・警察組織によって社会を秩序だてるという、典型的な帝国システムを保有していました。

帝国内ではそれらに裏打ちされ、秩序だった農業余剰の収奪と帝国内への配分が実行されました。

地域によって担当する産業が異なり、例えば塩、小麦、鉄、綿、木材など特定の産物を納め、それらは商人の手により帝国内の様々な地域に運ばれて売られ消費されました。

外部から浸蝕を受ける帝国の経済

ところが16世紀からオスマン帝国の無敵神話は崩れ始め、領土拡張によって成り立っていた軍事カーストによる地方支配と税金徴収が困難になってきました。

軍人の衰退によって台頭した地方有力者層は独自に資本を蓄えて換金作物の生産を行い、帝国外のヨーロッパ世界と結びつき始めます

国内向けに売るより、そっちのほうが儲かるから。

するとその地方はヨーロッパ世界の商業ネットワークに取り込まれ、経済的に帝国から切り離されてゆく。

 例えばエジプト南部は、かつては小麦の一大産地で帝国の穀倉庫でしたが、

土着の領主がフランスから生糸や綿花を取り入れて栽培し始め上手くワークすると、フランスや仏領西インド諸島と経済的に強く結びつき、フランスの世界的な商業ネットワークの一翼として取り込まれてしまったのです。

 

3. ムハンマド・アリー朝の開発独裁と失敗

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独裁体制による経済成長を目指したムハンマド・アリー

エジプトは帝国システムの破綻と産業構造の変化から来る財政危機に直面。

ムハンマド・アリーは1805年にエジプトを自立させると、独裁による強権的な開発でヨーロッパ製品との価格競争に打ち勝ち、貿易を黒字化させることで財政危機を乗り越えようとしました。

まずは旧システムである税制度(徴税請負制)と軍事カースト(マムルーク体制)を解体。

そして豊かな農地を背景とした綿花の大規模生産と、大規模綿花加工工場の建設、そして製品を流通させるためのインフラ整備に着手。

その上でイギリス製の綿製品の輸入を禁止するという政策を採りました。

これは言わば、イギリスに対抗する「エジプト発グローバル経済システム」の建設を目指す壮大な取り組みでした。

しかしこのエジプトの野望は、覇権体制の維持拡大を目指すイギリスにとっては邪魔な存在。

早くも列強による軍事干渉を招き、1838年の英土通商条約によって早くも独占の一角が崩され、次に関税自主権を剥奪され、エジプト自身の手による経済システム構築は早い段階で失敗に終わってしまいます。

「中間管理職」層の形成

政府は軍隊の力を使って女・子供含む農民を強制的に労働に狩りだし、また生産力拡大のための大規模インフラ開発にも農民を多数動員します。すると農民は困窮し、一家総出で離散する農民が相次ぎ、無人耕作地帯が多数出現

政府はそれらを王族やトルコ人支配層(ザワート層)に下賜する。さらに農民の中の「やり手」な者たちは、ザワート層に取り入って特権を手に入れ、村落の有力者となる者が出現(アーヤーン層)。

彼らは各村落を支配して農民を支配下において綿花栽培の経営層となり、マクロに見ると綿花経済システムの「中間管理職」として、 より厳密に管理された支配網をエジプト各地に隅々にまで張り巡らしていきます

 

4. グローバル経済システムの下部構造化

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財政赤字の累積、英仏の経済植民地へ

先述の通り「大規模な農業&工業&インフラ」は有機的にワークしませんでした。

そのためコストに見合っただけの充分なリターンを得られず歳出のみが拡大

すると財務赤字のしわ寄せが、支配層を介した農民への無茶なノルマや重税として降りかかる。すると土地を売って逃亡したり、ギリシア人高利貸しにカネを借りまくって破産する農民が相次ぐ。

上は政府から下は農民まで、外国へのカネの「シャブ漬け」状態となったエジプトは、1864年〜73年には公的債務は6520万ポンドにまで膨れ上がり、とうとう1876年、借金が国庫の45%にも達しエジプト政府は英仏両国による財政管理下に入ることになったのでした。

イギリスが支配する「搾乳式」収奪システム

このエジプト経済の破綻に深く関与していたのは、治外法権によってヨーロッパ式商習慣をエジプトに持ち込んだ金融業者

彼らはエジプトが進めるインフラ整備に投資することで、有利な条件でインフラの使用を任ぜられるようになり、エジプトが借金まみれになると特権的に港湾施設を利用する権利を得て、綿花の輸入業を独占的に行うようになります。

さらに金貸し業で上は国王から下は農民まで、カネをとことん絞り上げる。

マクロに見ればこの金融業者はグローバル金融資本の末端組織であり、中心部はイギリスの大銀行や証券会社

彼らは同じようなことを世界中で行っておりあたかも「乳牛の搾乳を行うかのごとく」富の収奪を行っていました。

 

5. エジプト農民の労働形態

伝統的価値観を拡充した強制労働

エジプトでは伝統的に「アウナ」という名の、共同体のメンバーが集まり地域のために無償で働くという慣習がありました。

例えば、村々を囲む灌漑用水路を掘ったり、川の氾濫を防ぐ堤防を築いたり、その地域の農業に深く根ざしたものでした。

ムハンマド・アリー朝ではこの慣習を拡大解釈させ「エジプトという故郷のために」農民たちを遠方に派遣し土木工事に当たらせました。 

この労働に対し報酬は支払われず、村に残った女たちは男たちのために弁当を作って届ける必要があったため、農民にとっては大きな負担となりました。 

この強制労働を避けて家族ぐるみで都市部に流出する農民が相次ぎ、農業生産人口の減少を恐れたイギリスは、強制労働を禁止し有償労働に転換します。

 正社員型労働 "タマッリーヤ"

政府は強制労働などで流動的になった農村人員を集めて効率的に生産をすべく、

大規模農場の近くに「イズバ」と呼ばれる農民の集団生活のための「分村」を作り、農民を住まわせて農業労働に当たらせました。

イズバはザワート層が経営しており、モスクや墓地、学校なども備えられた人工的な村で、安定的な生活を求めて、長老に率いられた一族集団や村の衆が家畜を連れて流れ込みました

生活に必要なものは全て備わっているため以前と比べれば安定的な生活を送ることができましたが、受け取るお給料からそのカネで買う生活必需品も全てザワート層から提供されるものだったので、結局富の全てはザワート層に入る仕組みとなっていました。

非正規雇用 "タラーヒル"

一方で繁忙期である収穫シーズンは「正社員」の人手だけでは足りず、タラーヒルと呼ばれた「非正規雇用」の労働者に手を借りる必要がありました。

これをコントロールしたのがムカーウィルという名の「人材派遣会社」で、ギリシャ人などの外国人高利貸しや、ザワート層が経営していました。

ムカーウィルは各村落にネットワークを張り巡らし、繁忙期になると各地で呼びかけて土地なしの農民を集めてイズバに派遣。

ムカーウィルはタラーヒルの賃金の10〜15%の上前をはね、莫大な利益を上げました。

繁忙期が終わり契約期間が終了するとタラーヒルはカネを握って地元に戻り、日雇いを探すか、暇を持て余しながら来年の繁忙期を待つしかありませんでした。

 

 

まとめ

欧米列強と戦うため伝統的社会を利用し無茶な国力の増加を図ったエジプトは、

ステロイドを打った体をそのままヨーロッパ列強に利用され、オイシイ部分だけストローで吸い上げられる仕組みに陥ってしましました。

豊かなエジプトの大地、整ったインフラ、中央と繋がる地方の有力者層、そして大量の農業人口。

発展するための条件は整っているのに、ボタンを掛け違えただけでここまで違うかと愕然とします。

農村が生み出した富は国際金融によって外部に流出したため、国内に富が蓄積することなく働けば働くだけ地力と人の疲弊を招く。後に登場するナセルはこの状況を打破すべく、ソ連と結び欧米に対抗して独裁体制を敷きました。

2011年にはエジプト革命で独裁者ムバラクが退陣しましたが、その後実権を握ったイスラム勢力はクーデーターで追い出されて再び軍事体制が築かれてます。

軍事独裁体制とイスラム勢力、地方の支配層と農民の対立構造がどう大勢に影響しているのか、今度書きたいと思います。

 

参考文献:世界史への問い9 世界の構造化 岩波書店

世界の構造化 (シリーズ 世界史への問い 9)

世界の構造化 (シリーズ 世界史への問い 9)

 
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