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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

いかに唐はシルクロード交易を支配したか

中国 中央アジア

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唐帝国による西方世界の取り込み

世界史の資料集を読んでいて、

中国の唐王朝の領土が西にかけて非常に横長く伸びていることに気づいて不思議に思ったことはないでしょうか。

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今回は、その西に伸びた場所にあったオアシス諸都市が、

いかにして中国と経済的に結びつきを強め、そしてその支配下に入っていったかを書いていきます。

 

1. オアシス国家とキャラバン交易

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タリム盆地のオアシス国家

現在の中国・新疆ウイグル自治区があるタリム盆地は、大部分が乾燥した砂漠に覆われていますが、北の天山山脈から流れ出る川に沿って、古来から人が住まい耕作を行ってきました。

オアシスというやつです。

オアシスには人が集まり集団生活のための組織基盤が出来ていき、紀元前にはいくつものオアシス国家が存在。

世襲の王をトップにいただき、周辺のオアシスを支配下に置いていました。

数十単位で存在したオアシス国家はその後、征服し征服されを繰り返し、大きく以下の6カ国に統合されていきます。

  • 高昌(こうしょう)国
  • 焉耆(えんぎ)国
  • 亀茲(きじ)国
  • 疏勒(そろく)国
  • 于闐(うてん)国
  • 鄯善(ぜんぜん)国

これらのオアシス国家は農業と牧畜が基本産業で、農業からあぶれた者は職業軍人として吸収され戦役に駆り出される。

またこれらの国は仏教を厚く信奉しており、数千人単位で僧侶を抱えていました。国の名前からも仏教の影響が見て取れますよね。

ソグディアナのキャラヴァン交易

一方、タリム盆地の西にあるソグディアナ(現在の西トルキスタン)では、

サマルカンドを始めとする大規模なオアシス都市がゆるやかな連合国家を形成していました。

人口構成はタリム盆地とさほど変わらなかったようですが、大きく違ったのは王が世襲ではなく大富豪の代表者であったこと。また商人の社会的地位が高かったことです。

タリム盆地の商人は、生活必需品を抱えて近隣のオアシス諸都市を巡って売りさばく程度の規模の小さなものでした。

一方でソグドの商人は、大規模なキャラヴァン隊商を組みソグディアナを超えて長距離を移動しました。

扱う品も、奴隷・家畜、絹・毛皮、金・銀、麝香など、高価な奢侈品が多くありました。

つまり一度の交易で、莫大な富を手にすることが可能だったのです。

これは憶測でしかありませんが、タリム盆地ほど地味豊かでなかったソグディアナでは、組織的なキャラヴァンを各地に派遣し「足で稼ぐ」しか生きる道がなかったのではないかと思います。

 

2. 国際貿易の専門家・ソグド商人

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キャラヴァン=リスクの高いビジネス

キャラヴァンを組織し交易を行うのは、ハイリスク・ハイリターンなビジネスでした。

商人はキャラヴァンを組織する際、計画を立案して出資者(国家・王族・官僚・軍人・地主など)から資金を募い、そのカネで商品を購入して目的地へ運ぶ。

そして無事に終わったら出資者に元金に利益を上乗せして配分します。

時代と場所が違いますが、7世紀頃のアラブ世界では1回のキャラヴァンを組織するのに現在の価値で言うと1億円はくだらない金額がかかっていたそうです(世界の歴史10 イスラムの時代 講談社 P70)

盗賊にあって荷物を奪われたり、取引価格の下落で損したり、全く売れなかったりあったでしょうから、

正確な情報をたくさん収集し、各地に信頼のおけるパートナーをたくさん持っておくことが、確実にビジネスを成功に導くカギになったことでしょう。

各地に作られたソグド人ネットワーク

ハイリスクなキャラヴァン事業を行うにあたり、重要な役割を果たしていたのがソグド人の同族ネットワークでした。

中央アジアから長安・洛陽に至るシルクロード、

モンゴル高原からアムール川にかけた草原地帯、

カザフ高原・南ロシアのステップ地帯に至るまで、

ソグド人の移住聚落や居留区域が設けられていました

さらに彼らの人的ネットワークはチベット、インド、ペルシア方面にも通じ、本国ソグディアナを経由して各地の聚落が網の目のように大陸に張り巡らされ、ヒト・モノ・カネが流れる交易ネットワークが出来上がっていったのでした。

半ば独立したソグド人聚落

この聚落では、同胞ソグド人が交易を行う際の、拠点の提供・資金の融通・情報の提供など、ビジネスの各種バックアップを行いました。

聚落には「サルトポウ」と言うリーダーがおり、聚落の各種決済を担いました。

その下には各種文書を取り扱う「書記係」のような役人がおり、また「バギンパトゥ」と言う神官が祆教(けんきょう)の神事を独自に執り行ったりなど、

ソグド人聚落は地元から遠く離れた外地に、その土地のコミュニティから半ば独立した組織を構成し運用していたのでした。

ただし、これらの聚落が独立運用を行うには、当該地域の為政者への協力が欠かせないものでした。

為政者は聚落の独立運用を認める代わりに、各地へ顔の効くソグド人をいろいろ頼りにしていたようなのです。

 

3. 漢人支配者とソグド商人の関係

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大事な徴税対象としてのソグド人

先に述べたタリム盆地のオアシス国家は、北方の遊牧民族と西進してきた漢人との間で争いが繰り広げられますが、5世紀には漢人がオアシス国家を支配するに至ります。

その代表格が高昌国で、カラ=ホジャを王都とし20あまりのオアシス都市を支配下に置いていました。

ソグド人の聚落はこの高昌国にもあり、高昌国での取引行為では取引額に応じて「称価銭」と呼ばれる税金を課せられていました。

税金は全て銀で徴収されてすべて国庫に納入されており、高昌国の大事な国家収入の1つだったのです。さらに、高昌国を通過する物産にももれなく「通行税」が課せられ、それも大事な収入でした。

もはやソグド人がいなくては財政が成り行かなくなっていたのかもしれません。

高昌国の国王に仕えるソグド人

一部のソグド人は半ば高昌国に同化し、しかもかなり王権と近い立場にあったようです。

高昌国は漢人が王族であったため、中国の統治システムを模したものが整備されていましたが、その中でソグド商人は「侍郎」という官職に任ぜられていました。

これは王に仕えて政務や雑用を補佐する役職で、詳しい任務は不明ですが、公用でオアシス都市各地を巡っていました。

各地に張り巡らしたソグド人ネットワークを駆使した、情報の収集や資金繰り、あるいは対外交渉に当たっていたのではないかと考えられています。 

 

4. 遊牧民族の進出と唐帝国の成立

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 遊牧民族とソグド人

モンゴル高原や中央アジアは、匈奴や突厥といった遊牧民族が縦横無尽に駆けまわった地です。

ソグド人やオアシス諸都市は彼らとうまく共生関係を築き、半ば影響下にありました

生活必需品を売ったり買ったりの関係もあったでしょうし、交易のパートナーでもあったことでしょう。

4〜8世紀は遊牧民族が大移動を行い中原の農耕民族と衝突を繰り返した時期にあたり、それに伴いソグド商人も活発に東方に進出を始めることになります。

遊牧民族の鮮卑が中国北方に打ち立てた北魏や、その政策を受け継ぐ隋王朝の時代、ソグド商人は中国に進出していき、先述の聚落を各地に作りネットワークを広げていきました。

河西にたむろするソグド人

現在の河西省、北にはモンゴル、南には青海省のある内陸の地に、5〜6世紀頃から多くのソグド人聚落ができ、活発に商業活動を行うようになりました。

この地は、本拠地のソグディアナも近い上に、モンゴル、チベット、華北への交通の要衝にあったため、河西を拠点に多くのソグド人が交易に従事しました。

中国人にしてみたら、ひいては遊牧民族と近い者たちが華北の目と鼻の先の河西で幅を効かせている、ということになります。

隋の為政者たちは、河西のソグド商人たちを王都・長安に誘致し、西域のマネーを中原に取り込むと同時に、ソグド商人と遊牧民族の連携を絶とうと試みました。

この政策は後の唐王朝に引き継がれ、結果的に前代未聞の大帝国を築くに至ります。 

 

5. 唐帝国によるシルクロード交易支配

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 皇帝と百姓

7世紀前半に確立した唐王朝は、ソグディアナを含む西域世界を版図に取り入れて幹線を帝国の各地まで完備することで、

これまでせめぎ合いを続けてきた農耕民族と遊牧民族が融合した一大帝国を構築しようとしました。

これまで独自の統治を行ってきたソグドの聚落も一様に唐の支配下に入り、唐の統治理念に基づきソグド人たちも他の漢人と同様に「百姓」となりました。

ソグド人の漢化は進みつつも、言語や風習、そして交易ネットワークは変わらず据え置かれ、合法的に遠隔交易が可能でした。

逆に競合が少ない状態となった交易はソグド人にとっては独壇場になったことでしょう。

西域交易ルートの確立

唐以前には、オアシス諸都市を通過するためにはそれぞれ通行税がかかっていましたが、もれなく唐の支配下に入ったことで通行税がなくなり、安価に物産が流通するようになりました。

また公道が整備されたことで治安が向上し、流通の量も向上します。

ソグド商人はこれまで培ってきたネットワークを駆使して、これらシルクロードの物産の大部分を担うようになっていきます。一方でソグドの漢化が進み、漢人の商人も多くソグド・ネットワークに参画するようになっていきます

一族の娘婿に漢人を迎えたり、町の漢人の有力者が投資家として参画したりなど、これまでクローズだったビジネスの垣根がだんだん溶解していったものと思われます。

オアシス諸国に流れ込む中国マネー 

7世紀、タリム盆地の南にあるチベット系王国・吐蕃と唐との争いが本格化。

オアシス諸都市には唐の鎮守軍が駐屯するようになりますが、7世紀末に唐は北方遊牧民族・突騎施と組み、吐蕃を撃破。

オアシス諸都市には安西都護府が置かれ、タリム盆地の漢人の軍事的支配が確立していくようになります。

多くの軍人が駐屯するようになったタリム盆地には、中央から大量の軍事物資が送り込まれるようになりました。

この大量の物資の流通組織には、おそらくソグド商人が大きく絡んでいたことでしょう。

これまでとは比較にならない大量の物流の流れができたことで、西域経済は活性化します。

さらに駐屯地で消費される、穀物・塩・醤油・野菜・肉などの生活必需品は地元から買い上げられたので、オアシス諸都市の遊牧民や農民は多額のカネを手にしました。

一種のバブル状態だったに違いありません。

これら大量の中国マネーが西域に流れ込んだことで、政治的・経済的に西域は中国の影響下に取り込まれていったのでした。

 

6. 西方世界の独立と中原進出

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 唐の後退とイスラムの伸張

8世紀以降にアラビア半島から爆発的な勢いで伸張するイスラム勢力は、

直接的に支配しないまでも、9世紀頃から徐々に唐が支配する西域の交易ネットワークとの連携を始めていました。

唐が支配する交易路とは別の、さらに西方からの交易路が大きく開き始めていました。

その大きな情勢の中9世紀頃に成立したのが、西ウイグル王国。この国は天山山脈の東方を抑え、トゥルファンのオアシスを支配していました。

また、10世紀には内モンゴルに遼(契丹)が成立。既存のシルクロードと西方をつないだ交易ルートを掌握し、莫大な富を手に入れます。

唐末期〜五代十国時代にはこのような遊牧民族征服王朝が盛んに華北に攻め入り、中国は大混乱状態に陥ることになります。 

唐のシステムを受容した遊牧民族

これら遊牧民族の征服王朝は、これまで唐が西域で展開してきた政治・経済・文化的なシステムを受容し自らの血肉としました

加えて、シルクロードと中原との交易の富の大きさを理解しており、華北を抑えることが富にダイレクトにアクセスする方法だということを理解していた

このように、唐は自ら進んだシステムを西域に持ち込んだことで遊牧民族の発展を促し、逆に自分たちの富の源泉を狙われることになってしまったのでした。

この華北と西域との交易ネットワークの確保は、後に現れるモンゴル帝国でよりダイナミックに、アジアとヨーロッパを繋ぐ物流の革命を起こすことになるのです。

 

 

まとめ

ソグド人というマイノリティ集団がネットワークを各地に広げ、それを中国人が利用して帝国のシステムを築き上げ、しかしそのシステムによって自らは滅んでゆく。

しかし別の形でそれは受け継がれ、次の時代へ紡がれていく。

 歴史のダイナミズムが凝縮されたようなテーマで、実におもしろいです。

技術やシステムは自らの力を高めるが、同時に他者に伝播し、自らの首を締める結果に繋がるというのも普遍的なテーマですね。

 

参考文献:オアシス国家とキャラヴァン交易(世界史リブレット) 荒川正晴 山川出版社

オアシス国家とキャラヴァン交易 (世界史リブレット (62))

オアシス国家とキャラヴァン交易 (世界史リブレット (62))

 

 

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