国歌をつくるのは本当にたいへんだ
もしあなたが国の権力者に呼び出されて、
「キミ、1週間後までに国歌つくっといてよね」
って言われたらどうしますか。ヤバくないですか。普通に曲を作るより何万倍も大変ですよ。
万人が納得するものじゃないといけないから、一言一句に細かい配慮が必要です。
作るにあたっては、国の歴史・民族・宗教・地理を全部押さえとく必要ありますし、憲法に目を通して国の理念を学ぶのも必須ですよね。あと権力者やその時の国民の趣味・志向も知っておいたほうがベターでしょう。
それでスムーズに決まればいいですが、なかなかそうはいかないケースも多いようです。今回は国歌にまつわる面白いエピソードを集めてみました。
1. ラブソングが国歌になってしまった(マレーシア)
現在のマレーシア国歌「Negaraku(My Country)」は、もともとはペラ州の州歌で、もっと遡れば19世紀末〜20世紀頭に人気のあった「トラン・ブーラン」というラブソングでした。
1901年にペラ州のスルタンがイギリスを訪れた際、イギリス側にペラ州の州歌を演奏するように尋ねられました。
そんなものは存在しなかったのですが、随行した側近が即興で当時の流行歌だった「トラン・ブーラン」を歌ったことがきっかけでペラ州の州歌ということになってしまいました。
第二次世界大戦後、マラヤ連邦が独立するにあたり国歌を制定する必要が出てきました。
後の初代大統領ラーマン氏が委員長となり、国歌選定委員会を組織して公募を行うも、いいものがない。著名な作曲家に依頼するも、うーん、何か違う。
最終的にすでにいくつかある州歌の中からよいものを選ぼうということになり、「明るく親しみやすい」として選ばれたのがペラ州の歌でした。
なお歌詞は選定委員会のメンバーにより大幅に書き換えられ、現在に至っています。
私の国、私の生まれた国
人びとが力を合わせて進みゆく国
神が与え賜う祝福とともに
我らが王は平和に治め賜う
2. いろいろな理由で歌詞が公式にはない(スペイン)
現在のスペイン国歌「Marcha real(国王行進曲)」は、もともと1770年ごろに作られた行進曲でそれが1870年に正式に国歌として採用されました。
この歌には正式な歌詞がついたことがなく、フランコ将軍の独裁体制時代には勇敢な歌詞付きで歌われたこともありましたが、正式なものではなかったそうです。
2007年6月、オリンピックや国際大会でスペイン選手が斉唱できる歌詞をつくろう、という動きがありました。約7000もの応募があり、最終的に1案が公表されるやたちまち批判を浴びてしまいました。
スペイン万歳!
みな、ともに歌おう
声は異なれど
心は1つ
まずもって古臭い。「スペイン万歳」などフランコ時代の産物のようだし、「心は1つ」など、バスクやカタルーニャなどスペインへの反発が根強い地方が黙っちゃいない。
ということで正式採用されることなく、未だに歌詞なし状態が続いています。
以下はフランコ時代の非公式歌詞付きのスペイン国歌です。
スペイン万歳!
武器を取れ、
スペイン人民の子供達よ
再び帰り蘇る人々よ
祖国に栄光あれ
海の青き流れと太陽の辿る道を知った祖国に
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3. 市民用と王室用の2つの国歌がある(デンマーク)
デンマークには2種類の国歌があります。
1つ目が王室用の国歌「クリスチャン王は高きマストの傍らに立ちぬ」。
これは王室や軍の演奏用に用いる国歌で、三十年戦争に敗れた「悲劇の王」クリスチャン4世を讃えた歌です。
デンマークのテレビでは、新年を迎えた瞬間に王室国歌の演奏が放送されるのが毎年恒例なのだそう。日本の「行く年来る年」みたいな感じですね。
一方で、オリンピックやワールドカップなどで演奏されるのが、市民用の国歌「Der Er Et Yndigt Land(我が麗しの国)」
作詞をしたのはアーダム・エーレンシュレーヤーで、北欧神話や伝説を盛り込んだその歌詞は1884年に発表されるやたちまに人気になりました。
愛する国がここにある
ブナの木が枝を広げる
潮風満ちるバルトの岸辺
丘に谷に風吹き渡る
その名は古きデンマーク
女神フレイヤの住まうところ
4. 歌詞が暗すぎて人気がない国歌(アルメニア)
1991年に採用されたアルメニア国歌「Mer Hayrenik(わが祖国)」は、1918年の曲をもとに新たに歌詞を足したもの。
この歌詞は19世紀の詩人ミカエル・ナルバンディの詩を一部変更したものなのですが、その内容がとにかく陰気で暗く、国民に全然人気がないのだそうです。
多民族の侵入に抵抗し独立を希求し続けてきた歴史に思いを馳せたものなのですが、特に4番。
死はいずこでも同じ
人は生まれ、そして死んでゆくだけ
これでも国の自由のために
命を捧げたものは幸いだ
殉死を国民に奨励するような歌詞は反発が強く、現在新国歌の制定の準備が進んでいるのだそうです。
5. ドイツの愛国歌が南国の島の国歌に(ミクロネシア連邦)
ミクロネシア連邦は1991年に誕生した若い国。
国歌は「Patrots of Micronesia(ミクロネシアの愛国者)」という名がついています。
この歌は18世紀生まれのドイツの愛国詩人ハンス・マスマンという人物が、ドイツ・チューリンゲン地方に伝わる民謡に歌詞を載せて作った「ドイツの愛国歌」。
非公式ながら1949年〜50年にかけて西ドイツの国歌になったこともあります。
どうしてこれがミクロネシア連邦の国歌になっているのか、詳しい経緯は謎なのですが、ミクロネシアは日本の信託統治領になる前はドイツの支配下にあったため、その時に何らかの形でもたらされたと思われます。
ここに誓う
身も心も
精一杯捧げると
汝、我らが祖国に
6. 大統領が作詞したワイルドな歌詞(セネガル)
セネガルの国歌を作ったのは、初代大統領レオポルド・セダール・サンゴール。
アフリカで初のフランス学士院会員となったインテリで、詩人としても高名です。
大統領や王族が国歌を作るというのはそう珍しくないのですが、その歌詞が独特。
アフリカ人でないと書けないワイルドなもの。
コラをかき鳴らせ、バラフォンをたたけ
ライオンが吠えた
草原の猛獣使いが
ひとっ飛びで駆け出し
暗闇を晴らした
我らの恐怖を照らす太陽、希望を照らす太陽
立ち上がれ兄弟たちよ、アフリカはここに結束する
作曲は民族音楽学者のハーバード・ペッパーで、伝統音楽の要素を取り入れたリズムは他には見られないユニークなものです。
まとめ
国歌はみんなが歌うものだから、いちおうみんなが納得するであろうという計算のもとに採用されているのだと思います。
たくさんいる国民の中には利害や思想の違いから歌うのを嫌う人もいるでしょうね。日本でもそういう人たちいますから。
もし仮に、日本の国歌を変更しようとかなったら、どうなっちゃうんでしょうね。
曲や詩の善し悪しの問題じゃなく、完全に利害関係や思想信条の対決になっちゃって、議論が白熱しすぎて泥試合に陥りそうな気がします。
異論はあるにせよ、君が代でまとまってるのはハッピーなことなんでしょうね。
参考文献:国旗・国歌の世界地図 21世紀研究会 文藝春秋