ギリシア・ローマ時代にもいたスタープレイヤー
現代のサッカーや野球のような人気競技はもちろんそうですが、古代世界にもスタープレイヤーは存在しました。
スポーツの世界で名を広げると富と名声の両方をいっぺんに掴むことができるのは、どうやら古今東西変わらないようです。
history.comに、古代のスポーツのスタープレイヤーが紹介されている記事がありましたので、翻訳して紹介させていただきます。
1. タソスのテオジニス(ギリシア)
古代の格闘王
タソス島出身のテオジニスは、古代式ボクシングと古代の総合格闘技・パンクラチオンのチャンピオン。
彼は22年のキャリアでおおよそ1,300もの勝利を掴み、一度も負けたことがなかったそうです。
紀元前480年のオリンピア大祭にはボクシングで、前476年のオリンピア大祭ではパンクラチオンでチャンピオンになりました。その他、ネメア大祭、ピュティア大祭、イストミア大祭でもチャンピオンになり、アロスの町の長距離走すらチャンピオンにもなりました。バケモンですね。
上の彫刻はテオジニスをモデルにして作られた彫刻で「剣闘士の休息」という名がついてます。
矢吹丈そっくりですね。あしたのジョーの有名なシーンのイメージはここから来てるのかも。
2. ロードスのレオニダス(ギリシア)
古代世界最強のランナー
レオニダスは紀元前164年、160年、156年、152年に開催されたオリンピア大祭にて、3つのトラックレースで優勝しています。
彼は現役をはるかに過ぎた36歳になっても優勝をしており、古代世界最強のランナーとして知られます。
相当優れた脚力を持っていらしく、短距離走はもちろん、ヘルメットと鎧を着て盾を抱えて走る「ホプリトドロモス」という武装競争もめっぽう速かったらしいです。
彼はそのキャリアでオリンピア大祭で合計12回の優勝を誇ります。
これは近代オリンピックの記録、マイケル・フェルプスの11回の金メダルをも上回るのだそうです。
3. ガイウス・アポロニウス・ディオクレス(ローマ)
戦車競走で大金持ちになったローマの大スター
映画「ベン・ハー」で一躍有名になった古代ローマの戦車競争ですが、
それで大活躍し一躍ローマ市民の大スターになった男がガイウス・アポロニウス・ディクレス。
そのキャリアで4,200以上のレースに出場し、1,462回の優勝と861回の準優勝を飾りました。少なくとも半分以上は優勝争いをしてたってことですよね。
彼が生涯に稼いだ賞金は莫大なもので、その額は36万セステルティウス。現在の資産価値に直すと150億米ドル、日本円だと1兆8000億円にもなります。
すごい・・・戦車競争にいかに大量のマネーが流れていたかわかる数字ですね。
4. ロードスのディアゴロス(ギリシア)
偉大なボクサーにしてボクシング・ファミリーの大親父
ディアゴロスはテオジニスと並び称される、古代ギリシヤの格闘王。
紀元前462年のオリンピア大祭で優勝し、その活躍は後の詩人ピンダロスによって褒め称えられました。オリンピア以外にも、ネメア大祭、ピュティア大祭、イストミア大祭でもチャンピオンとなりました。
ディアゴロスの3人の息子も父と同じ格闘技の道を歩み、輝かしいキャリアを築きました。
息子ダマゲトゥスとアクシリアウスが紀元前448年のオリンピア大祭でボクシングとパンクラチオンのチャンピオンになったとき、
息子2人は大親父を肩に担ぎあげてウィニングロードを歩み、人びとの大喝采を集めたのだそうです(上の図)。
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5. スパルタのチオニス
三段跳びの発明者?
チオニスは陸上競技のスペシャリスト。
紀元前664年と660年、656年のオリンピア大祭で、短距離走と中距離走で優勝し、いずれも大会記録。しかも以降200年間破られなかったそうです。
当時から大会記録ってあったんですね。どうやって測ってたんだろう。
チオニスは跳躍種目でも有名で、52歩分の跳躍という記録を叩き出したそうです。
これは現在の記録に直すと16メートルというとんでもない数字。
ちなみに現在の走り幅跳びの世界記録が、マイク・パウエルが持つ8m95です。
歴史家の多くはこれは誤植だろうと見ていますが、そうではなくてこれは三段跳の記録であるから正しいのだ、という歴史家もいます。
もしそれが正しいとしても、近代オリンピックで16メートルの記録が出たのが1936年なので、いずれにしてもチオニスは化け物だったということなのでしょう。
6. フィガリアのアリチオン
壮絶な死に試合を繰り広げた格闘家
アリチオンは格闘技パンクラチオンの英雄で、紀元前572年と564年にオリンピア大祭でチャンピオンになり、3回の準優勝になりました。
有名なエピソードは、彼の死に試合。
試合中、相手選手が不意をついて前腕を喉に強く当てつける攻撃、今で言う「チョークスリーパー」を仕掛けてきました。
アリチオンは力を振り絞ってそれを抜け出し、体勢を返して相手のかかとを奪ってひねりを加える攻撃、今で言う「アンクルホールド」を繰り出す。
たまらず相手はタップし、アリチオンは勝利します。
しかし勝利が決まった瞬間なんと、すでにアリチオンは窒息により死んでいた!
意識を失いながらも気合だけでタップを奪ったのです。
その壮絶な死に試合がギリシア人に感動を与え、アリチオンは故郷フィガリアの英雄となったのでした。
失礼な話ですが、永田裕志のコレを思い出しました。
7. クロトンのミロ(古代ギリシア)
古代ギリシアのゴリマッチョな怪力野郎
ミロは古代ギリシアのレスリング王者。
紀元前536年〜520年の間に6回のオリンピア大祭のチャンピオンになり、ネメア大祭、ピュティア大祭、イストミア大祭でも合計27回の王者になりました。
ミロは当時から筋骨隆々で怪力として有名。伝説によると、落ちてきた屋根を素手で支えて哲学者ピタゴラスの命を救ったのだそうです。
彼はあきれるほどの大食漢でも知られ、食卓につくなり、18キロの肉とパン、7.5リットルのワインを平らげたそう。
ルーブル美術館には「クロトンのミロ像」という石像が展示されていますが、それはミロの最期を掘ったもの。
伝説によると、ある老人がミロに「素手でその大木を割ってみせよ」と挑発しました。
「お安いご用だ」とミロ。大木にパンチを加えると、手が木に挟まって抜けなくなってしまった。動けないでいると腹ペコ狼の群れがやってきて、ついにミロは食われてしまったのだそうです。
まとめ
常人には到底成し遂げられないようなことをやってのける人間を褒め称えるのは、今も昔も変わらないし、
命を落としてまでもその競技にかける思いや、親子で培った栄光への歩みなどに感動するという、現代でも通用するそのスポーツ文脈が昔もあったと思うとなんだか嬉しくなります。
同時にそのような名声に富がセットになってくるのも変わらないのですね。