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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

第二次世界大戦中の"二重スパイ"たち

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連合国と枢軸国の間で活躍したスパイたち

007の主人公ジェームズ・ボンドはイギリスの諜報機関M16所属で、

その事実が敵に筒抜けなので、いっつも命を狙われてるっぽいのですが、

敵国の諜報機関の人間だと知らずに、自国の諜報機関に所属させたり、諜報活動に当たらせたりすることがありました。

たぶん今でもあるのでしょう。

そのようなスパイを「二重スパイ」と言います。

その性質上、名前が知られている人はほとんどいないだろうし、

素性がバレて消されてしまった人も大勢いると思われるのですが、

第二次世界大戦中で活躍をし、二重スパイとして歴史に名を刻んだ人たちをピックアップしてみます。

 

1. フアン・プホル・ガルシア(スペイン) 1912 - 1988

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ヒトラーに信頼されたイギリスのスパイ

 フアン・プホル・ガルシアは「ドイツとイギリスの両方から勲章をもらった」ことで有名な二重スパイです。

ホテルの経営者だったガルシアはスペイン内戦を経験し、

故郷のスペインがファシスト主義者により破壊される様を目の当たりにし、フランコ将軍やそれを支援するナチスを心から憎むようになったといいます。

プホルはスペイン政府やナチスと接触してナチスのスパイとなり、いくつかのスパイ報告書をドイツに提出し評価を受けます。

その上でプホルは無線でイギリスに接触し、イギリス当局とのコンタクトに成功。

貴重なナチスドイツの情報を持ってロンドンへ移住し、スパイ名「ガルボ」というコードネームを与えられました。

プホルはイギリス軍と調整し、戦闘が不利にならない程度の絶妙なタイミングと内容を都度ドイツに送り、ドイツから「正確な情報を送ってくる人物」と信頼を得ることに成功。

1944年6月から始まったノルマンディー上陸作戦では、プホルはドイツ軍に対しウソの連合軍の上陸地点を伝え、それを信じたヒトラーはノルマンディーの防衛を薄くしてしまい、結果連合軍の作戦は成功。

作戦後、ドイツはウソの報告をしたプホルに対し「鉄十字勲章」を授与。

イギリスもプホルの功績を評価し「大英帝国勲章」を授与しました。

 

2. エディー・チャップマン(イギリス)1914 - 1997

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二重スパイへ華麗な転身を遂げた田舎のゴロツキ

エディー・チャップマンはイギリスの田舎町ブルノップフィールドの生まれ。 

若い頃はゴロツキで、酒と女とバクチに明け暮れる毎日。

借金を背負ってコソ泥稼業に手を出し、またロンドンの上流階級の女性と寝てその様子を盗撮。ばら撒くぞと脅迫してはカネを奪っていました。

しかし逮捕されて14年の禁錮刑を言い渡され、ジャージー島にある刑務所に収監されました。

ところが1940年6月にジャージー島がドイツに占領されると、収監中のチャップマンはドイツ軍に協力したいと訴えて出獄。フランスでスパイの訓練を施されます。

1942年12月にドイツ軍の爆撃機からパラシュートで降下し、イギリスに上陸。任務はド・ハビランド飛行機会社の破壊活動。

ところがイギリスの諜報機関はチャップマンの存在を把握しており、彼を二重スパイとして採用しようとしました。当のチャップマンが着陸後すぐに地方の派出所に投降したので、すぐに二重スパイとして採用され「Camp 020」というコードネームを与えられます

イギリスとチャップマンは、ド・ハビランド飛行機会社が炎上しているニセ写真を作ってドイツに流出させ、あたかも作戦が成功したかのように偽ります。

完全に騙されたドイツは大喜びでチャップマンを本国に召還し「鉄十字勲章」を授与。

チャップマンはドイツとノルウェーに滞在中、現地の様子をいくつも秘密裏に写真に納めてイギリスに帰国。貴重な情報の数々を報告し、特にドイツが開発するV-1ロケットの貴重な情報をもたらし、それに基づき対策を行ったことで被害を最小限に食い止めることができました。

 

3. デュシャン・ポボフ(ユーゴスラヴィア)1912 - 1981

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日本の真珠湾攻撃を警告した(?) "三重スパイ"

デュシャン ・ポボフはオーストリア・ハンガリー帝国出身のセルビア人。

流暢なドイツ語を話し、ドイツ人の友人も多かったポボフは、あるときヨハン・ヨブセンという名の友人に誘われてドイツの諜報機関で働くことになります。

一方でポボフは在ユーゴ・英領事館を介してイギリスともコンタクトを取っており、二重スパイとしてなって活動。後にユーゴスラヴィア王国の諜報機関にも所属したため、何と三重スパイになってしまいました。

ポボフは貿易商という肩書で、当時中立国だったポルトガルのリスボンとロンドンを行き来。

ロンドンでイギリスの諜報機関M16に接触し「調度良い」情報を入手してリスボン経由でドイツに送り、一方で所属するドイツの諜報機関アプヴェーアからドイツの情報を入手しロンドンにもたらしました。

戦後ポボフは回想録で、FBIに接触した時に日本が真珠湾を攻撃する可能性があると報告したが、時のフーヴァー長官によって無視されてしまった、と述べています。

フーヴァー長官はポボフを信用しておらず、逆にニセの情報を掴ませようとするドイツの手先だと疑って逮捕させようとまでしたそうです。

この「ポボフの警告」の根拠は彼の回想録にしかなく、しかも口頭だったことから本当のところはどうだったのか疑問があるそうです。

 

4. クリスチャン・リンデマン(オランダ)1912 - 1946

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作戦をドイツに漏らして英米軍の進撃速度を遅らせた男

クリスチャン・リンデマンは「キング・コング」というアダ名で呼ばれたスパイ。女とバクチをこよなく愛した男だったそうです。

当初リンデマンはイギリスの諜報機関のメンバーでしたが、ドイツ軍諜報機関に妊娠中の妻と兄弟を拉致されてしまい、その解放を条件として二重スパイとなりました。

ドイツと内通した後もリンデマンは表向きは連合軍の諜報員として活動し、オランダ国内のレジスタンスの組織や、活動員の支援を行い大いに信頼されていました。

1944年9月ノルマンディー上陸後、連合軍は停滞していた戦線を一気に拡大。ドイツへ進行する足がかりをオランダに作るべく、大規模な空挺部隊投下と橋や港湾施設の奪取を目的とする「マーケット・ガーデン作戦」を実行しました。

ところがリンデマンはドイツ軍にこの計画を事前に漏らしており、ドイツ軍は連合軍の計画を把握した上で部隊を編成して迎え撃ったのでした。

結果連合軍は敗退。この作戦の失敗により連合軍のドイツ進撃は半年も遅れ、ソ連軍によるベルリン解放につながりました。

長い目で見たら、リンデマンは後の東西冷戦構造までも作ってしまった人物と言えるのかもしれません。 

 

5. ウィリアム・セボルド(アメリカ)1899 - 1970

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アメリカのドイツスパイ・ネットワークを潰した男

ウィリアム・セボルドはドイツ・ミュールハイムの生まれで、第一次世界大戦従軍後にアメリカに渡りアメリカ国籍を取得します。

1939年、母親を訪ねに故郷のミュールハイムに戻ったセボルドは、アメリカ国籍を持っていることを見込まれドイツの諜報機関にリクルートされました。

「故国のため」としてそれに同意し諜報活動のノウハウを授かったセボルドは、帰国直前に駐独・アメリカ大使館に行き

「自分はドイツのために諜報活動を行うように脅迫を受けている。しかし自分はアメリカ国民だからアメリカのために尽くしたい」

と言いFBIの諜報活動の協力を申し出ます。

アメリカに戻ったセボルドはニューヨークにオフィスを構え、短波ラジオを使って在ドイツの諜報機関と連絡を取り合い、300を超えるメッセージを送り、200のメッセージを受信します。

駐米諜報機関として信頼を得たセボルドは、アメリカ、メキシコ、南米各地にあるドイツの諜報員とのコネクションを作ることに成功。

1941年5月セボルドの協力の下、FBIはそれら33名もの駐米ドイツ諜報員を芋づる式に逮捕。彼らは合計で300年の禁錮刑を言い渡されました。

 

 

まとめ

いやあ、ものすごい謀略戦ですね。 

今回は連合国軍のために働いたスパイが中心ですが、その逆もいっぱいいたでしょうし、ドイツも二重スパイがワンサカいることは当然把握していたでしょうし。 

その上で、スパイがもたらす情報の中から「正しい」ものを選び出すことはどれだけ難しいことか。

ぼくの憶測ですが、結局最後は「人柄」や「信用」がモノをいったのではないかなと思います。

「こいつは正直だし、信用できる」

と思わせる能力に長けたヤツが、優秀な二重スパイだったのかなあという気がしました。

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