1917年に起こっていたかもしれない日米開戦
ツィンメルマン電報事件とは、 第一次世界大戦末期の1917年、ドイツの外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンがメキシコ政府に送った電報から騒ぎに発展した謀略事件。
電報の内容は「メキシコがドイツと同盟し、アメリカへ宣戦布告する」よう促す内容でした。
これには続きがあり、メキシコが日本を説得して連合国を裏切り、ドイツと同盟を結んでてくれるよう説得を求めるという驚きの内容が記載されていました。
これは時のメキシコ大統領カランサによって拒否されたため、日独墨・三国同盟は幻と消えました。
それにしても、なぜこのような突飛な提案がドイツから、しかもメキシコになされたのでしょうか。
電報の内容
電報の内容を引用します。
我々は2月1日から潜水艦による無制限攻撃を開始する。我々はアメリカが中立の立場を保ってくれるよう、最大限の努力を図るつもりである。しかしそれがうまくいかない場合、我々は貴国に以下の条件をもって同盟を申し込む。平和的条件での同盟及び参戦。包括的な経済援助、貴国がアメリカに奪われたテキサス、ニューメキシコ、アリゾナの奪還を含む。詳細な決定権は貴国に委ねる。また貴国には、日本と我が国の調停を直ちに行う調整を含め、アメリカの参戦が決定次第すぐに我が国の大統領にこの提案の可否を伝えてほしい。我々の無慈悲な潜水艦乗りたちが、数ヶ月以内にイギリスをだまらせることであろうから、どうか大統領の親切心を汲み取ってください。ツィンメルマン
よほどあせって書いたのか、条件がざっくりすぎるし、脈絡もメチャクチャだし、同盟の申し入れの割には一方的すぎるし。
こんな電報受け取ったら戸惑いしか感じませんよね。
アメリカによるメキシコ干渉
アメリカは一貫して「裏庭」であるメキシコへの介入を繰り返してきました。
1913年、メキシコでは独裁者ディアスの退陣後に大統領になったマデロが殺害され、 軍人出身のウエルタ政権が樹立。
アメリカのウィルソン大統領は一刻も早いメキシコの政情安定を望みつつも、同時に革命勢力の統治を認めないという矛盾した政策を採りました。
その後革命勢力がウエルタを打倒し、内戦を経てカランサが大統領に就任した後、アメリカはカランサを承認しメキシコの政情安定を望みますが、
一方で国境付近を脅かす山賊のパンチョ・ビリャ討伐のために500名からなる軍隊をメキシコ領内に派遣させ、メキシコ人の反米感情を逆なでしました。
ドイツのメキシコ接近
列強による植民地争奪戦に遅れて参戦したドイツは、メキシコに露骨な介入を行いました。
軍事顧問団を派遣したり、武器弾薬を積極的に供給。メキシコ内でのドイツの影響力を高めようとしました。
メキシコ側も、アメリカを牽制するために新興国ドイツの力をなるべく利用しようという狙いも働きました。
そういうわけで、当時ドイツとメキシコは比較的親密な関係であり、密約を送り交わすほどの間柄だったのです。
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列強から警戒される日本
日露戦争の勝利で一躍列強の仲間入りを果たした日本は、世界の国々から羨望と警戒の眼差しで見られるようになっていました。
ウエルタ政権と革命勢力の内戦がピークの1913年、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツに歩調を合わせ、日本も軍艦出雲をメキシコへ派遣。
これにはメキシコにおける利権拡張を主導する駐メキシコ大使・安達峰一郎の意向が強く働いていたといいます。
当時日本はメキシコにほとんど権益を持っておらず、諸国と足並みを合わせることで以降の政治的経済的立場を改善したいという意図だったのですが、
当時の日本はアメリカ西部の排日運動によってアメリカと微妙な関係にあり、諸外国はこの問題を絡めて対米交渉を有利にするために日本がメキシコ人の反米感情を利用していると考え日本への警戒感を強めることになってしまいました。
また、当のメキシコ人にとってもインパクトが大きい出来事だったらしく、
「日本がとうとうメキシコへも野望を見せ始めた」
などと新聞でセンセショーナルに書き立てられる始末。
結果的に
日本はアメリカとの交渉を有利にするための橋頭堡をメキシコに持ちたいと思っている
という、当時の日本の身の丈に全く合わない陰謀めいた話が国際的に一人歩きすることになってしまいました。
WW1で窮地のドイツ軍
外交戦争を繰り広げるツィンメルマン
第一次世界大戦は人と物資の総力戦でしたが、影で縦横無尽の外交戦・謀略戦が繰り広げられました。
ドイツ帝国の外相ツィンメルマンは、スイスに潜伏していた革命家・レーニンや、アイルランドの独立運動家ロジャー・ケースメントを支援し、連合国の足下での革命や反乱を誘発させるべく奔走していました。
アメリカの参戦が避けられなくなってきたと判断したツィンメルマンは、
- ドイツと太いコネクションがあるメキシコ
- 反米感情を持つメキシコ国民とカランサ政権
- メキシコへの野望を持つ日本
という条件を、三国による対米開戦というシナリオに描いてみせました。
それがツィンメルマン電報だったのです。
[補足]
※コメント欄で「日本はイギリス側に立って戦争していたのでは」と疑問が出ていたので、補足しておきます。
その通りで、当時の日本はイギリスと同盟関係にあったため、第一次世界大戦ではドイツに宣戦布告をし、ドイツ領の山東・青島や南洋諸島を攻略しました。
ところが上記の通り、日本はアメリカと当時関係が思わしくなく、またメキシコへの野心を持っていると思われていたため、ツィンメルマンはもしかしたら日本は連合国を裏切ってドイツ側に寝返ってくれるかもしれない、と期待したわけです。
速攻バレて大問題に
この電報は英海軍によって傍受され、暗号化されていましたがすぐに解読されてアメリカ大統領ウィルソンに渡されました。
当時ウィルソンを含め、世界中の誰もがこの荒唐無稽な電報をニセモノだと信じました。
ところが、渦中のツィンメルマンがこの電報は自分が打ったもので間違いないと言ったことで大騒ぎに。
ドイツ政府は即刻ツィンメルマンをクビに。
アメリカ国民はただでさえ大西洋のアメリカ船舶のドイツからの攻撃に苛立っていたのに、このことがきっかけで対ドイツ懲罰論が盛んになり、参戦へ一気に世論が傾いていきました。
いちおう検討してみたメキシコ政府
メキシコのカランサ大統領は部下に指示を出して、参戦してみたらどうなるか、シミュレーションをさせています。
結果、まず間違いなく勝てないだろうし、仮に奇跡が起こって勝ててテキサス、ニューメキシコ、アリゾナの割譲に成功したとしても、とてもじゃないけど維持は困難であるし、新たな混乱を招くだけであるという結論に達しました。
カランサ政権はそれをもってドイツに正式に拒否の連絡を申し伝えますが、すでにアメリカがドイツに宣戦布告をした後のことでした。
まとめ
何と言うか、すれ違いや誤解、ケアレスが頻発したグダグダな展開ですね。
隣の芝は青く見えるし、近所を見知らぬ男が速足で歩いていたら事案になる。
国際関係ってのは、その規模のデカいバージョンと言っていいかもしれません。
しかし、仮に1917年に日米開戦をしていたらどうなっていたことでしょうね。
まったく想像がつきません。
参考文献:世界史リブレット「メキシコ革命」 国本伊代 山川出版