あまり馴染みがない国ポーランドのお札の人
ポーランドと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
歴史好きな人なら、地名であればワールシュタット、ダンツィヒ自由市、アウシュビッツ。人名であればコシューシコ、ピウスツキ、ヴブワディスワフ2世など、いくつか挙げることができると思います。
ただ東ヨーロッパの大国なのに、日本ではいまいち有名でないポーランド。
ところが最近は、J○BとかH○Sとかがおススメする
「これから絶対クル!大注目の観光地!」
らしいです。なんか一気に胡散臭くなっちゃいましたが、ぼくも10年前にポーランド行ったことありまして、実際かなり良かったです。
ということで、今回はポーランドのお札の人を学びましょう。
10ズウォティ:ミェシュコ1世
ポーランドの基礎を築いた人物
ミェシュコ1世は10世紀ごろの西スラブ・レフ族の首領。
この頃のポーランドは、東からウィエルトやプロイセン、ヴォリニアなどのスラブ諸部族、西からは神聖ローマ帝国に圧迫されて民族没落の危機に直面していました。
そこでメェシュコ1世は、ローマ教皇とコネを作ることでこの危機を乗り越えようとします。教皇に多大な貢ぎ物を送ると同時に、カトリックに改宗。
そのことで神聖ローマ帝国の侵入の口実を潰してしまうことに成功。
さらにはボヘミア(チェコ)王女ドゥブラフカを妃として向かい入れ、チェック人と同盟。周辺各国から足場を確実に固め、その上で内政に取り組みポーランド公国ピャスト王朝を開きました。
これは現在のポーランドの祖先のような王国のため、ミェシュコ1世は初代ポーランド王と言われています。
20ズウォティ:ボレスワフ1世
初期ポーランドの領土を拡張した王様
ボレスワフ1世の父は、10ズウォティのミェシュコ1世。
偉大な父の跡を継いだ息子・ボレスワフ1世は、ポーランドの内政、特に軍備拡大につとめました。強大な騎兵隊を構築し、仇敵であった神聖ローマ帝国と同盟を結んで西の安全を確保した上で、南へ侵攻。
ボヘミア王国を武力で制圧しボヘミア王に就任。
さらにはマジャール(ハンガリー)や南スラブ人の領土にも侵入し、ポーランドの領土を大いに拡大しました。
さらにボレスワフ1世は、西ヨーロパやアラブから進んだ科学技術や文化を取り入れ、国力の充実にも努めました。
50ズウォティ:カジメェシュ3世
ポーランド中興の祖
カジメェシェ3世が王になった時代、ポーランドは中央の王族の力が弱まり、地方の貴族が力をつけてそれぞれ王族を抱え込んで独立。クヤヴィ公国、グダンスク公国、シェラツ公国、マゾフシェ公国など複数の国に分裂していました。
カジメェシェ3世は強力なリーダーシップを発揮して分裂していたポーランド諸公国を統一。西の神聖ローマ帝国や南のボヘミアとは外交で安定的な関係を構築。その上で、東のウクライナに侵攻して領土を拡張(ハールィチ・ヴォルィーニ戦争)。
内政面では、分裂の原因となっていた貴族の力を弱め、農民の保護に努めました。さらには迫害されていたユダヤ人も積極的に住まわせ、商業の拡大にも貢献。
カジメェシェ3世の時代に、崩壊寸前だったポーランドは大国への道を歩み始めたのでした。
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100ズウォティ:ヴワディスワフ2世
東の大国ポーランド・リトアニア連合王国の創設者
14世紀ごろ、ヴワデゥスワフ2世の治政下では、ドイツ人の東方植民の先兵であるドイツ騎士団が「異教徒征伐」を目的にリトアニア王国へたびたび侵攻し、その途上にあるポーランドも多大な被害を被っていました。
そこでヴワデゥスワフ2世は、リトアニア国王ヤゲヴォと交渉。王国を合併させるという難解な交渉をまとめあげます。
その条件は、リトアニアがカトリックを受容すること。王国の王をリトアニアの王ヤゲヴォとすること。そうしてポーランド・リトアニア連合王国であるヤゲヴォ王朝が成立します。
これに面食らったドイツ騎士団は「欺瞞に満ちた異教徒を征伐する」として大軍を仕向けてきますが、ヴワデゥスワフ2世とリトアニアはこれを撃退。
以降18世紀まで続く、最大のキリスト教大国の第一歩を踏み出したのでした。
このエピソードは以下の記事に詳しく書いています。
200ズウォティ:ジグムント1世
ポーランドの黄金時代を築いた名君
16世紀にヤゲヴォ朝の国王となったジグムント1世は、遅ればせながらポーランドで花開いたルネサンス文化を保護し、ポーランドの文化向上に努めた人物です。
外交では、ドイツ騎士団を屈服させてプロイセン公国をポーランドの傘下に組み込み、東はモスクワ公国やクリミア・ハン国と国境を調整。南ではハンガリーの王位をハプスブルグ家に奪われ中央ヨーロッパの覇権を失う。
しかし彼の治政は治政は安定し平和で文化が花開いた、ポーランドの黄金時代と言われた時代でした。
後にポーランドはドイツとロシアに分割されてしまうため、なおさら人々はこの時代を懐かしんだのです。
まとめ
非常に分かりやすい人選ですね。
創始者、2代目、中興の祖、事業を拡大させた敏腕、そして黄金時代を築いた名君。
企業みたいな書き方をしちゃいましたが、ポーランドという国の成り立ちを見ると確かに、この中の一人でも欠けたら今のポーランドはあり得ないくらいの重要な仕事をしているのですよね。
一方で彼らの活躍を毎日お札で見て再確認しなくてはいけないほど、その後ポーランドは苦難の道を歩みます。
18世紀のポーランド分割、ナチス・ドイツとソ連の進駐、そしてソ連の衛星国化。
栄光と屈辱の、裏返しとなった感情がお札からも読み取れてきます。