歴ログ -世界史専門ブログ-

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冗談のような理由で起こった戦争

ブリキ看板 WARNING NO STUPID PEOPLE [30cm×20cm]

戦争のきっかけは案外くだらない理由だったり

1941年、日本は石油の輸出を止められた挙げ句

「これまでの国際政策を全面撤回せよ」

とアメリカに迫られて戦争を決意しました。

日本のそれまでのやり方も色々酷かったけど、もしアメリカが本当に戦争を望んでなかったとすれば、アメリカの交渉の仕方も酷いもんです。

太平洋戦争は両大国によるギリギリの交渉や意地の張り合いの結果起こりましたが、案外というか、結構くだらない理由で戦争が起きているケースもかなりあります。

 

1. サッカー戦争 - 1969年(エルサルバドル vs ホンジュラス)

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サッカーW杯予選がきっかけで戦争に発展 

1970年のサッカーW杯メキシコ大会本戦を賭けた北中米・カリブ海予選は12チームがエントリー。ライバルのエルサルバドルとホンジュラスは、それぞれ一次ラウンドを突破。準決勝で対戦することにになりました。

もともと両国は移民問題や経済問題、領土問題で対立し、険悪な状態にありました。

1969年6月8日、第1選はホンジュラスの本拠地で対戦し、1-0でホンジュラスが勝利。この敗北を苦にしてエルサルバドルの熱狂的サッカーファンの18歳の女性がピストル自殺をすると、女性の死を悼んで大統領まで葬儀に参列するまでの騒ぎに。

6月15日、第2選はエルサルバドルの本拠地で対戦し、3-0でエルサルバドルが勝利。この際、ホンジュラスから駆けつけたサポーター2人が殴る蹴るの暴行を受けて死亡。さらにホンジュラスサポーターの乗用車が放火される被害が出ました。

6月27日、第3選はメキシコ・メキシコシティで行われ、延長の末3-2でエルサルバドルが勝利。

その6日後の7月3日、ホンジュラス空軍がエルサルバドルを空爆し、マジの戦争になってしまいました。

サッカー戦争の推移とその後

戦いは終始エルサルバドル軍優位に進み、ホンジュラス領の町を占領しますが、兵站の問題があり進軍がストップ。

空軍はホンジュラスに分があり、フェルナンド・ソト大佐の操縦するF4U-5がエルサルバドル空軍の2機を撃墜し、国民的英雄となりました。

開戦から26日後、米州機構(OAS)によりエルサルバドルに撤収命令が出されたことで和平となります。

戦後、エルサルバドルの国民は戦闘勝利に酔いしれますが、ホンジュラスとの貿易の停止・移民逆流入による経済悪化が原因で極左ゲリラが台頭し内戦に突入

一方ホンジュラスは政治的安定を享受しました。

 

2. 豚戦争 - 1859年(アメリカ vs イギリス)

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豚を撃ち殺したことがきっかけで戦争一歩手前に

1846年のオレゴン条約で、アメリカ・ワシントン州とイギリス(現カナダ)・ブリティッシュ・コロンビア州の境はほぼ確定しましたが、サンフアン島がどちらに帰属するかは曖昧なままだったため、アメリカ・イギリス双方が農民や牧畜民を送り込んでいました。

1859年、アメリカ人農夫のライマン・カルターは、「大きな黒い豚」が自宅の庭のジャガイモの種イモを食べているのを見つけます。カルターは「何で知らない豚が俺のジャガイモを食べてるんだ」と頭にきてその豚を銃で撃ち殺してしまいます。

その豚の持ち主は、隣の羊牧場で働くアイルランド人のチャールズ・グリフィンで、カルターはグリフィンに賠償金として10ドルの支払いを申し出ますが、グリフィンは100ドルを請求。

カルターは「その豚はオレのジャガイモを食ってたんだ!」と言うと

グリフィンは、「オレの豚からジャガイモを食われないようにするのはお前の責任だ!」と返したと言います。

グリフィンはイギリス当局による逮捕をほのめかしたため、カルターはアメリカ軍に庇護を求めます。

米軍・英軍の出動

「イギリス人の不法入国」を阻止すべく、アメリカ兵461名が出動。

イギリスは「アメリカ人の不法占拠」を憂慮し5隻の軍艦を含む2,140名の兵が出動し、開戦一歩手前まで緊張します。

植民地総督ジェームズ・ダグラスは、ベインズ少将にアメリカ軍を攻撃するよう命令をしますが、少将は

「たかが豚一匹で戦争するなど馬鹿げている」

と言って命令を拒否したそうです。

 

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3. 野良犬戦争 - 1925年(ブルガリア vs ギリシャ)

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兵士が野良犬を追いかけて領土侵犯 → 戦争

第二次バルカン戦争と第一次世界大戦で戦ったブルガリアとギリシャは、1925年当時関係が悪く、両国関係は緊張状態にありました。

そんなある日のブルガリア・ギリシャ国境。

ある1人のギリシャ兵が野良犬を追いかけ回して遊んでいたところ、誤ってブルガリア領土に侵犯してしまいブルガリア兵に撃たれる事件が発生

この事件を受けてブルガリア政府は、銃撃はやり過ぎだったとして「遺憾の意」を表明。しかしギリシャ政府は強硬姿勢に出て

  1. 撃った当事者を罰すること
  2. ブルガリア政府の謝罪
  3. 被害者遺族に2万フランの賠償金を支払うこと

を要求し、48時間以内の履行を要求。さらにブルガリアの町ペトリックに侵攻して占拠してしまいました。

ブルガリアもこれは受け入れられず、ペトリックの町を取り返すべく戦闘状態に突入。

ところがすぐに国際連盟が介入します。

  1. 戦闘の即時停止
  2. ギリシャ軍の撤退
  3. ギリシャがペトリックの町へ損害賠償を支払うこと

両国ともこれを受け入れたため、戦争は拡大せずに済んだのでした。

 

4. ジェンキンスの耳の戦争 - 1739年(イギリス vs スペイン)

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切り取られた"耳"がきっかけで戦争に

18世紀、イギリスはスペイン領西インド諸島で貿易を行うために、スペインと貿易契約を結んでいました。

それによると売り上げの一部をスペインに申告しなければなりませんでしたが、無視するイギリス船が相次いだためスペインはイギリス船の拿捕を始めます。

その数があまりにも多かったため、イギリスの世論は逆ギレで「不当な拿捕だ」としてスペインへの反感を強めるようになりました。

そんなある日、ロバート・ジェンキンスという名の船長が

スペインに拿捕された際に耳を切り落とされた

と庶民院に訴え、証拠として「耳の塩漬け」を提出

イギリス世論は怒りに沸き立ち、対スペイン報復戦に傾きます。

この戦争は翌年から始まるオーストリア継承戦争の前哨戦と位置づけられており、フランスやオーストリア、オランダなどヨーロッパ各国を巻き込んだ戦争に発展していきます。

 

5. ニカの乱(東ローマ)

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戦車レースの熱狂的ファンが暴徒化

531年に東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルで起きた事件。

古代ローマ時代から庶民には戦車レースが人気スポーツ。「青」「赤」「緑」「白」チームがあり、それぞれ熱狂的ファンを抱えていました。今のサッカーのクラブチームのようなものですね。

当時はユスティニアヌスの統治下で、度重なる対外戦争や重税で庶民の不満は高まり、社会的に不穏な空気が渦巻いているところに、戦車レースが開催されました。

最初は民衆はレースに熱中。「青!青!青!」「白!白!白!」などとコールがかかっていましたが、興奮が高まると「ニカ!ニカ!ニカ!(勝利!)」のコールに変わり、競技場の横にある宮殿を襲撃し始めました。

ユスティニアヌスは2人の将軍に鎮圧を命じ、民衆を競技場に追いつめ3万人近くを殺害して鎮圧しました。

 

6. アイレク共和国独立戦争 - 1995年

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ハンターが「ワニを獲らせろ!」と独立宣言

1905年、ニカラグアとコスタリカにある湿地帯に測量隊が入りました。両国の正式な国境を定めるためです。

ところが湿地帯にはワニや毒蛇がうようよしており、測量隊はすっかりビビってしまい本来の国境線よりも南へ5.7キロ離れたところに国境を示す石碑を建てて引き上げてしまった

その事実はうやむやになり、コスタリカ政府もそのテキトーな場所に建つ石碑が国境だとすっかり思い込んでいました。

ところが本来コスタリカ領だったその5.7キロの地域に、ニカラグアから来たワニの密猟ハンターが移り住むように。ニカラグア政府は資源保護のためにワニの捕獲を禁止したため、それに反発するハンターが大挙して「空白の5.7キロ地帯」に移住。

彼らは「ここはニカラグアでないし、コスタリカも自分の土地だと思ってないから独立しても問題ない」としてアイレク共和国の独立を宣言

しかし2日でニカラグア軍によって鎮圧されてしまいました。

 

7. お菓子戦争 - 1838年(フランス vs メキシコ)

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菓子屋の主人の訴えがきっかけで戦争に発展

メキシコは1821年の独立から政治的不安定が続き、たびたび政治形態が変わり、憲法が目まぐるしく制定され、反乱が相次ぎました。

戦渦は一般民衆にも及びますが、メキシコ政府はその賠償を補償せず、する能力も持ち合わせていませんでした。

1838年、フランスのお菓子職人・ルモンテーラは、メキシコシティに構えていた店がメキシコ軍のせいで破壊されてしまった、とフランス政府に泣きつきました

これを受け、フランス王ルイ・フィリップはメキシコ政府に60万ペソという法外な金額の賠償を請求。これに応じない場合はメキシコの全ての港湾施設とサン・ファン・デ・ウルーア要塞の砲撃を行う、と最後通牒を突きつけます。

既に何百万ドルという借金を抱えていたメキシコはこれを拒否し、フランスに宣戦布告。

散発的な戦闘が起こりますが、最期はイギリスの仲介によって和平が成り立ち、結局お菓子職人のルモンテーラに60万ペソを支払うことで合意しました

 

 

まとめ

きっかけは些細なことでも、それは単に小さな火を付けただけであって、"ガソリン"は既に満タンだったんですよね。

きっかけは何だっていいのだ。

国家レベルに至らずとも、このような「くだらない諍い」は、家庭でも会社でも日常茶飯事だと思います。

メールをすぐに返さない

ラーメンをすする音が大きすぎる

おしっこが便器の外に飛び散っている

等々。

理想は"ガソリン"を溜めないための努力をすることです。

そして溜まったら抜いてあげること。

簡単に言うけど、なかなか難しいんですよね、これが。