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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

売国奴と呼ばれる人たち:ダーマット・マクマロー

アイルランド

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第10回:ダーマット・マクマロー(1110 - 1171)

ダーマット・マクマローは12世紀のアイルランドの国王。

権力闘争に敗れたマクマローはイングランド国王ヘンリ2世を頼り、ノルマン人のアイルランド侵入を手引きして復権します。

イングランドは介入を深めてアイルランドを事実上併合。以降800年間続くイングランドによるアイルランド支配が始まりました。

その大本の原因を作った人物であるため、アイルランドのナショナリストからは「裏切り者」と言われています。

 

 ノルマン侵攻前のアイルランド

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ローマの支配から逃れてきたケルト人 

現在のアイルランドの基礎となっているのは、紀元前250年頃に渡ってきたと思われるケルト族の1つであるゲール人。

もともとケルト諸部族はヨーロッパに広範囲に居住していましたが、ローマ帝国による征服の過程で次々とローマ化。ケルト文化を守ろうとする人々は、辺境へ辺境へと逃れアイルランドにたどり着きます

ゲール人もそうやってヨーロッパから逃れてきて、南西部から徐々に勢力を拡大。400年頃にはほぼアイルランドを征服します。

 統一なき部族国家

 ゲール人は統一後まもなく、北のコナハト族連合南のオーナクト族連合とに分裂。

 コナハト族連合の中で強力な部族がイ・ニール一族で、彼らは全アイルランドの王権を主張しましたが、特にオーナクト部族は激しく反発し対決。

これらの巨大な2部族に150もの中小部族がぶら下がり、さらにその下に地域の族長が従属するという形で形成されていました。

 これらの中小部族たちは放牧地や土地、水の利権などを巡って近隣同士たびたび争いますが、それらを統合する中央政府は存在せず、まさに「統一なき部族国家」の様相を呈していました。

 

ヴァイキングの侵入

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ゲール人とヴァイキングの合従連衡

795年頃からヴァイキングがアイルランドに侵入。

優位な武器と組織戦を得意としたヴァイキングは、次々とゲール人の中小部族国家を破り、貿易拠点のための町を作って居住し始めます。

最初はやられっぱなしだったゲール人も次第にヴァイキングの武器や戦い方を覚えて対抗。特に南部のイ・ニール族の王メイル・セキノルは激しくヴァイキングに抵抗します。

ところが、反イ・ニールの部族はヴァイキング側についたりして、一枚岩で異民族と戦う、という空気では到底なかったようです。

ダル・コシュの王ブライアン・ボルー

900年頃になるとヴァイキングの勢力も縮小傾向にあり、ゲール人勢力が盛り返していました。その中で台頭したのは東にあるダル・コシュという小王国で、衰退するオーナクト族の領土を次々と獲得。

976年に王位についたブライアン・ボルーは、バラク・レクトナーの戦いでオーナクト族を殲滅。その後、南部イ・ニール族を攻撃し、南北アイルランドを統一して上王権(ハイキング)に就任しました。

10年で戦乱に後戻り

ところがレンスターの領主がマン島のヴァイキングを引き込んで反乱を起こし、ブライアン・ボルーの王権に挑戦した。これがクロンターフの戦い(1014年)で、ブライアンの軍はこれに勝利するものの、ブライアン・ボールは戦闘中に戦死

これをきっかけにダル・コシュの上王権は名目上のものとなってしまい、再び戦乱の世が訪れてしまいます。

 

 レンスターの領主・マクマロー

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ダル・コシュの上王権に挑戦するマクマロー

ダーマット・マクマローは1110年レンスター地方の国王の息子に生まれます。

兄が死んだために1126年に国王の座を継いだマクマローは、野心的で権力欲が強い男だったようで、すぐさまダル・コシュの王トーリャキ・ウェコンティヨと衝突します。

マクマローはレンスターの王権を広げるべく、隣国ブレフニーのオルークの妻・ダブフォーガールを誘拐してその兄弟を支援するなど暴れまわりますが、結局ダウェコンティヨとの戦いに敗れてしまいます。

戦いの後、ウェコンティヨはマクマローにレンスター王からの譲位を要求。

これに反発したマクマローは、起死回生の禁じ手「ノルマン人の手を借りる」ことに。

 

ノルマン人、アイルランドに侵入

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ノルマン兵の首領ストロングボウ

ヘンリー2世(上記絵の人物)はマクマローからの使者を迎え、こう考えます。

めんどくさい。田舎に直々に軍隊を送る余裕なんざない。

とは言え領土拡大のチャンスだから、誰か暇で好戦的で現状に満足していない人物をさがしてみようか。

ヘンリ2世が派遣したのは、ウェールズ出身のリチャード・デ・クレア

クレアはストロングボウ(強い弓)というあだ名があるほど蛮勇さで知られた男でした。きっと筋骨たくましい男だったのでしょう。

マクマローはクレアにこう言います。

もし私をアイルランドの上王権(ハイキング)にしてくれたら、私の娘をお前の婿にしてもいい

 

ノルマン兵、ゲール人を一蹴

1169年、ストロングボウの精鋭700人はアイルランドの東南部に上陸。

ここから破竹の勢いでゲール人の軍隊を撃破しまくり、2年後にほぼ全土を掌握。マクマローは晴れてアイルランドの上王権(ハイキング)となります

ノルマン人の武器が圧倒的に優れていたのと、相変わらずゲール人が内紛に明け暮れて一枚岩で外部勢力に対抗できなかったのが敗因であるといわれています。 

しかしマクマローは王となった同年に死亡。

約束通り、ストロングボウがアイルランドの上王権(ハイキング)に就任します。

 

 その後のアイルランド

 ストロングボウの王位就任を多くのゲール人は認めず、反乱を起こします。

そのためストロングボウはヘンリ2世に助力を求め、イングランドから追加のノルマン兵4000が上陸。反対するゲール人を徹底的に取り締まり、アイルランドにおける保護者としてイングランド王を認めさせ、諸侯も協会も英国王の権威に忠誠を誓わされたのでした。

この出来事はアイルランドの歴史上大きく、1171年から800年の長きに渡るゲール人の抵抗と独立の闘争はここから始まったのでした。

 

まとめ

アイルランドの歴史はイングランドとの戦いの歴史です。

イングランドはゲール人の文化や利害を無視して絞れるだけ搾り取ろうとしました。アイルランド人はそれに抵抗をしようとしますが、伝統的な内部抗争や部族対立が足枷となりそこをイングランドに突かれて、毎回いいようにやられる、というサイクルを繰り返しています。

マクマローがやらなくとも、いずれはイングランドはアイルランドに介入したような気もしますが、

自らの復讐と野心に固執して目先のことだけを考えて、民族全体の大局を見失っていたと非難されても仕方ないかもしれません。

 

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