歴ログ -世界史専門ブログ-

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奴隷から王になったイスラム女性・シャジャル・アッ=ドゥル

 

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マムルーク朝・初代スルタンは女性

シャジャル・アッ=ドゥル(?〜1257)は、マムルーク王朝の初代スルタンです。イスラム圏で国王となった女性は極めて稀です。

軍を手なずけ、第7回十字軍を撃破し、アイユーブ朝を排して新王朝を設立。自らスルタンとなります。

 軍の支持があったとはいえ、やはりイスラム世界で女の権力者は反発が強く、最後は権力闘争の末に殺害されるという哀れな末路を辿ります。

 イスラムが生んだ女傑・シャジャル・アッ=ドゥルの生涯を追っていきましょう。

 

 

 フランス王ルイ9世による第7回十字軍

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 1096年に始まった十字軍では、第1回でエルサレムにキリスト教王国を建国しますが、第3回でアイユーブ朝のサラディンにエルサレムを奪回されます。

第6回で再びキリスト教側の手に戻りますが、すぐにアイユーブ朝に奪還されてしまいます。

以前はヨーロッパ諸国では十字軍によるエルサレム奪還の熱は高くありましたが、

この時代になってくると財産や命の危険を賭けてまでエルサレムを取り戻そうという王や諸侯は少なくなっていました。

ところが、フランス王ルイ9世は信心深い男で、純粋な正義と神への奉仕の心から、周囲が止めるのを聞き入れず、第7回十字軍の出陣を決定します。 

 

「真珠の木」の奮闘

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引用:artsofphotos-mr.blogspot.jp

元・女奴隷の王妃

シャジャル・アッ=ドゥルは、アラビア語で「真珠の木」といい、その名のように非常に美しい女性だったそうです。

もともとはバグダッドのカリフが、アイユーブ朝の国王へ贈り物として捧げた女奴隷でした。その美貌が国王サーリフの目にとまり、やがて男児を生んだので妃となりました。

襲いかかるキリスト教軍

 ルイ9世の軍は1249年6月にエジプトのダミエッタに上陸し町を占領。

10月まで後続部隊を待って、カイロに向けて進軍を始めます。 

エジプト軍は、マンスーラの北6キロあたりでキリスト教軍を迎い討ちますが、テンプル騎士団とフランス軍の本陣突入を受け、主将ファフル・ウッディーンが討ち死に。エジプト兵はマンスーラに向けて敗走します。

キリスト教軍は王宮に侵入しようとしますが、これを止めたのがサーリフ王が特別に訓練したバハリー・マムルーク軍。 隊長のバイバルスの指揮の下に果敢に戦い、戦局を逆転させます。

ルイ9世の軍はいったんマンスールの北に退きます。

 

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マムルーク朝の設立

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夫の死を隠すシャジャル

なんと、この大事に国王サーリフが病死。 

王妃シャジャルは、このことが知れると軍団の士気が崩壊すると考え、王の死を隠します。

死後も食事は変わりなく運ばせ、あたかも王が生きているかのように装います。謁見の間にはシャジャルが代わりに出て、的確に指示を出したおかげでエジプト軍は持ちこたえます。

ルイ9世の軍は次第に疲弊。食料は欠乏し、疫病に苦しむようになり、ついに退却を開始。しかしエジプト軍の追い打ちにあい、ルイ9世自身も捕虜になってしまいます。

女ながら軍をよくまとめあげたことで、バハリー・マムルークの将たちはシャジャルへ絶大な支持を寄せるようになります。

王妃と軍が結託し王を殺害

死んだサーリフの息子で次の国王トゥーラン・シャーは、軍を率いフランス軍の追い打ちを進めていましたが、何とバハリー・マムルークの将たちの怒りを買って殺されてしまいます。

トゥーラン・シャーはシャジャルの息子ではなく、明らかにシャジャルとバハリー・マムルークの陰謀。

ここにアイユーブ朝は滅び、 シャジャルをスルタンとするマムルーク朝が始まります。

 

夫・アイバクに王位を譲るも、実権を握り続ける

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イスラム世界では女が国王となることは異例中の異例。 方々から非難が巻き起こります。

バグダッドのカリフは、自分のところにいた女奴隷がエジプトの国王になったと聞き、驚きを越えてあきれかえったらしく、

そっち(エジプト)はいったいどうなっているのかね?男がいないとでもいうのか?

といった内容の手紙をよこしています。「政権運営に支障が出てしまう」と事態を重く見た将軍たちは、

軍司令官だったアイバクとシャジャルを結婚させ、アイバクを正式なスルタンとすることとします。シャジャルの在位期間はわずか3ヶ月程度でした。

 しかし譲位後もシャジャルは実権を夫のアイバクには渡さなかったため、アイバクとシャジャルの間には対立が深まっていきます。

 

手下の者を連れて夫を殺害

 シリア遠征中のアイバクが、モスルの領主の娘と結婚を申し込んだと聞き、シャジャルは激怒します。それはつまり、シャジャルが実権を握るカイロ政権への反旗を意味するからです。

 シャジャルはエジプトに帰国したアイバクを城に呼びつけ殺害。

その際、シャジャル自身も殺害に加わり、浴場用の木のサンダルで激しく頭部を乱打したと言います。

 

夫の手下の者によって復讐され殺害

この暴走行為にマムルークたちはあわて、シャジャルを「赤い塔」に幽閉。死期の近いことを悟った気丈なシャジャルは、持っていた宝石を全て臼で砕いてしまったそうです。

そしてシャジャルは、アイバクの元妻のもとに引き出され、同じように浴場用の木のサンダルで乱打されて死亡。

 遺体は城塞の空堀に落とされ、数日間放置されて野犬に食い荒らされました。

 

 

まとめ

本当に強い女性ですね。 

イスラムの歴史書では、シャジャルは「悪女」ということにされています。イスラムの伝統に反した、ということですね。

 しかし、フェミニズムの観点から、ぼくはもっと評価されてもいいんじゃないかと思います。