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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【インド】民衆の領土乗っ取り大作戦

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フランス・ポルトガルの飛び地

有名なガンジーの非暴力・非服従運動の成果もあり、

1947年にインドがイギリスから独立したことはご存知かと思います。

独立後のインドには、インドが列強の植民地になっていく過程で成立した、イギリス以外の列強の領土が存在していました。

  • フランス領 ポンディシェリ、カリカル、ヤナム、マヘ、シャンデルナゴル
  • ポルトガル領 ゴア、ディア、ダマン

がそれです。

インド政府はこれらの飛び地の引き渡しを要求しますが、フランス、ポルトガルともに拒否します。

これらの地域の市民や村人たちは、インド併合を目指して、ガンジー流の非暴力・非服従運動に乗り出します。

簡単に言えば、「大人数で押し掛けて中枢を乗っとる作戦」です。

 

 1. ヤナム市(フランス領)

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警察官が率いる独立運動

フランスはいくつかインドの領土を持っていましたが、

インド独立を機に、住民投票の結果いくつかの村がインドに帰属しました。ところが、ヤナムをはじめいくつかはフランスに残ることになりました。

併合派のインド人は大挙して押し寄せ、まず小さな飛び地のネッタパコムを占領。次に山村のチルブバン村を占領。

併合派は次に、市長を始め役場の主立った連中にフランス・シンパが多かったヤナム市の併合を狙います。

そこで地元ヤナム出身で警察官のダダラという男を送り込み、若者を焚き付けて反フランスデモを起こし始めます。

市役所 VS 亡命市役所

デモの効果もあり、次第に役場の中にも「やはりインドに帰属するべき」という者が現れ始めました。

フランスは市役所の要職をフランス・シンパの人間で固めたため、帰属派の職員は反発し、市役所の外に飛び出してしまい、ラウドスピーカーで愛国歌をガンガン流して市役所と対立。

1954年6月13日、とうとう警察官ダダラと亡命市役所職員200人は、ヤナムに集団で押し掛け中枢を制圧。自由ヤナムの設立を宣言します。

その後フランスは、ヤナムの奪還を宣言しますが、翌年何だかんだインドへの委譲を認め、ヤナムは晴れてインドに統合されます。

 

2. マヘ市(フランス領)

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元・小学校教師が率いる独立運動

マヘ市は西海岸に面した小さな港町。

ここもインドへの帰属を拒否すべく、出来レースの議会選挙を実施しようとしていました。

これを妨害すべく、共産党系の組織であるマハジャナ・サバー(人民議会)は、元・小学校教師のクマランという男を送り込みます。

クマランは裁判所や警察署などを襲い、結局インドに亡命しますが、選挙の延期をさせることに成功します。

兵糧攻めで町を占拠

1954年、マハジャナ・サバーはマヘを封鎖し兵糧攻めを開始。

たちまち食料が不足し始め、住民たちは次々とインド側へ避難

役場の主立った連中もインドに逃亡したため、マハジャナ・サバー100人は役所を占領し「自由マヘ」の設立を宣言。

11月にインドへ行政権が移され、62年にインドに併合されました。

 

ダドラ村(ポルトガル領)

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マハラジャからポルトガルへのプレゼントだったダドラ

ダドラ村は周囲をインドに囲まれた3キロほどの山村で、

元々は16世紀頃に、地元のマハラジャからポルトガルへプレゼントされた土地でした。

1950年代にポルトガル領の土地でも、インド併合運動が盛んになりましたが、武力闘争ではすぐに鎮圧され、独立運動は下火になりつつありました。

そこに、ヤナムやマヘでの成功の知らせが届き、自分たちも続け!ということで、

自由ゴア団の男たちは、ポルトガルの領土の乗っ取り作戦を始めるべく、

手始めにダドラを強襲・占拠することになりました。

たった15人での植民地解放

1954年7月21日、自由ゴア団の男たち15人は、ダドラ村警察を強襲。

警察署にはたった3人の警察官がいただけで、少しの小競り合いの後に村は15人により占領されます。

15人は村の有力者たちを集めて村会議を開き、「自由ダドラ」の樹立を宣言し、村人の1人を議長に任命し、引き上げます。

ポルトガルはダドラを奪還しようと、インドに軍の通過の許可を出しますが、インドはこれを認めず、結局ダドラは1961年に同じくポルトガル領のナガルハベリとともにインド領に編入されます。

 

ネロリ村(ポルトガル領)

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6人の警官しかおらず、すぐに占領

ダドラ村を解放した自由ゴア団は、次にナガルハベリを解放すべく、まずは最西のネロリ村に向かいました。

ネロリ村にも6人の警察官がいるだけで、彼らは恐れをなして投降したため、すぐに村を占領できました。

自由ゴア団は「自由ネロリ」を樹立し、行政委員会を村人に託した後、メンバーを150人に増やして、セルバサの町に向かいます。

インド軍による介入で併合

セルバサの町では、守備隊のポルトガル人はインド人を撃退しようとしましたが、近くにいたインド軍予備隊を見てインド軍が攻めてきたと勘違いし、逃げ出します。

セルバサの町を占領した自由ゴア団は、既に解放したダドラと併せて「自由ダドラ・ナガルハベリ」の樹立を宣言。

しかしその後もポルトガル軍の治安部隊による取り締まりは続き、非暴力のインド人に対して流血の事態が続いたため、ついにインド軍がポルトガル領に侵攻。

最終的には強制的にインドに併合され、ポルトガルのインド植民地は無くなりました。

 

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