前回の記事で、最近ネットで流れてる「マルタ=アトランティス説」がテキトーだということを書きました。ソース追ってみたら、これプレイボーイの記事だったんですね。
残念ながら、元記事とは違ってこっちは全く反響がありませんでした(笑)。
せっかくの機会なので、ぼくが撮ったマルタ巨石文明の写真をアップしようかと思います。
世界遺産:マルタ巨石文明群
マルタには巨石文明の痕跡が島中に残されていますが、その中でも世界遺産に認定されているのが以下の神殿です。
北のゴゾ島の、ジュガンティーヤ神殿、
南のマルタ島の、タルシーン神殿、ハジャー・イム神殿、イムナイドラ神殿、タ・ハジュラット神殿、シュコルバ神殿。
ぼくはタ・ハジュラット神殿とシュコルバ神殿以外の4つの神殿を訪問しています。
1. タルシーン神殿
タルシーン神殿は、およそ5150年前に建てられたマルタでも最大級の神殿で、マルタの巨石文明が最高潮を迎えたときと重なります。
学術的には、5500〜5000年前を神殿名をとって「タルシーン期」と言います。
この神殿は第1〜3の神殿で構成されており、時代が経るにつれ内部構造も複雑になってレリーフも増えていきます。
豊穣の女神に捧げられたもので、中で神官や巫女による儀式や神託がなされていたものと考えられます。
これが全体像。左下の入り口からはいって、第3神殿、真ん中が第2神殿、右手の奥の部屋が最古の第1神殿です。
第3神殿を横から見た図。一番新しい第3神殿は、小ぶりの石を重ねたものになっています。
一方これは第1神殿。ストーンヘンジのように大きい一枚岩を組み合わせて作られており、第3神殿と比べて格段にシンプルです。
もちろん今は屋根はないのですが、当時は何らか屋根があったはずです。
上の写真に、丸い穴が空いている石があるため、ここに木材の柱を立て、神殿全体を木材か何かの屋根で閉じていたのではないかと思います。
手前が第2神殿。奥が第1神殿。
これは第3神殿にあるレリーフ。後期のものになると装飾技術も発達しています。
豊穣の女神の像。上半身は倒壊して無くなっています。
マルタでは豊穣の象徴はこのように太った女性でした。ハル・サフリエニ・ハイポジウム神殿で発掘された「眠れる女神の像」を見ると、豊穣の女神像の上半身分も何となく推察できます。
2. ハジャー・イム神殿
ハジャー・イム神殿は、他の神殿とは異なり、いくつもの独立した部屋とそれをつなぐ通路で構成された内部を、外の大壁が覆う構造になっています。
外の大壁。一枚岩が相当デカい!
外壁の大きさは特に統一されておらず、とにかくサイズがバラバラのデカい石で外壁が構成されています。
点や線、らせん模様の装飾が多く見えます。
このときは大きな一枚岩を奇麗にくり抜いてくる技術の最高峰だったのでしょうね。
「神託のアプス」という部屋。ここに巫女か神官が立ち、お告げをしたと考えられています。
このテーブルのような石の上に生け贄の動物が置かれ、その奥の「豊穣の女神の像」に捧げられました。
3. イムナイドラ神殿
イムナイドラ神殿は、ハジャー・イム神殿の隣に併設して立っています。
「春分の日」と「秋分の日」のご来光の光が神殿内部の神聖な箇所を照らす構造になっており、
これを天文台と定義するか否かは別の話ですが、5000年前に既に暦があったというのが驚きです。
神殿全体がドームで覆われています。
春分の日と秋分の日には、ご来光がここを通って、奥の台座に当たっていました。
ここが最も神聖な台座。昔はここに何かあったのでしょうか。
話は脱線しますが、古代日本ではこのような所には鏡が置かれていました。
ご来光が鏡に反射して巫女を照らし、そのことが巫女に聖なる力を与えると考えられていました。
ここにも何か、巫女や王の権力を正当化する何らかの仕掛けがあったのでしょうね。
実はこの神殿の大部分は後世による再現です。そのためかなり奇麗に組み立てがなされています。
この神殿からは、古代マルタ島に生息していた象などのほ乳類の骨が多数発掘されています。
きっと生け贄に使ったのでしょう。
4. ジュガンティーヤ神殿
ゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿は、大きく2つの神殿と10のアプス(部屋)で構成されています。外枠は小粒の粗い石積みになっており、内部は滑らかな石によって構成されています。
神殿の入り口。おしゃれ。
ちょっとしたミュージアムがあり、マルタの巨石文明について勉強することができます。
貴婦人の像。タコのような足は、スカートでしょうか。
権力者の像でしょうか。
これはいわゆる男根です。男根も豊穣の象徴として、信仰の対象となっていました。
石の運び方は非常にシンプルで、丸い石を下に引いて、その上を転がすように運んでいました。
その時に使った石。丸い石より、円柱形の石のほうが使いやすかったかもしれませんね。
神殿の外観。粗い石が内部を覆うように積まれています。
入り口。見る限り崩壊しているようにも見えますが、実は中は結構奇麗です。
内部は滑らかな石で床や台座などが作られています。
部屋の入り口にある石。この穴に縄を通し、別の石か木の板に結んで扉にしていたと考えられます。
この台座の上に、生け贄を置いたり、偶像を置いて拝んでいたと考えられています。
まとめ
こんな俗な、正当な歴史家からしたら邪道なブログを運営しておきながら何ですが、
「大発見!マルタ島はアトランティスだった!」なんていう打ち出し方は、ほんとやめてほしいものです。過去にはプレスター・ジョン(東方にあると考えられたキリスト教国)伝説のように、根っからのガセネタだった例もありますし。
もしこれが日本だったら、「アトランティスの里◯◯」とかいって、アトランティス饅頭とかアトランティス音頭とかが作られ、官民あげた町おこしが始まりそうですね(笑)