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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

隠者ピエール 暗愚な扇動者か、民衆の指導者か

キリスト教 フランス

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大衆を煽動し聖地奪還の世論を作った僧

隠者ピエールとは12世紀フランス北部出身の僧。

粗末な僧衣をまとい、ろばに乗って村々を回る一介の説教僧なのですが、彼こそが第一次十字軍のキーパーソン。

キリスト教徒によるエルサレム奪還を説いて周り熱狂的な支持を得、民衆を率いてイスラム教徒の征伐に向かいます。

第一次十字軍にも諸侯とともに参加しており、以降200年に渡って続く十字軍の先鞭をつけた人物です。

なぜ大衆は怪しげな僧の説教に熱狂したのか。

このエントリーでは、ヨーロッパ・中東を巻き込む大戦争をリードした隠者ピエールと彼に熱狂した民衆について書いていきます。

 イスラム教徒への憎しみが芽生えた隠遁時代

隠者ピエールはフランス北部アミアンの出身。

僧になってからエルサレムに巡礼に赴き9ヶ月間の間滞在します。

その間、イスラム教徒の兵隊に妨害されたり、他のキリスト教徒が嫌がらせを受けるのを目の当たりにし、強くイスラム教徒への憎しみを抱くようになります。

自分の信仰に純粋で生真面目な人だったのでしょう。

以降、聖地エルサレムにおけるイスラム教徒 の打倒に全生涯を費やすことになります。

ヨーロッパ中を巡り聖地奪還を訴える

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11世紀後半。

教皇ウルバヌス2世が、クレルモン公会議で十字軍の結成を訴え大喝采を受け、ヨーロッパ中が聖戦の機運に燃え上がっていました。

同じ頃、ピエールはろばに乗って村々を回り説教を行っていました。

「今すぐ聖地を奪還し、キリストが生まれ、死んだ地を異教徒から奪還しよう!」

「神がそれを望んでおられる!」 

この熱弁は庶民の心を打ち、次々とピエールに従うようになっていったのです。

民衆十字軍の結成

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 中世の庶民にとって、旱魃、飢饉、疫病に苦しむ日常が既に地獄そのものでした。

また、ヨハネの黙示録で語られる「最後の審判」が訪れるのが11世紀だと信じられていた上、月食、彗星といった怪現象も相次いただため、

キリスト教的価値観が絶対であった当時の庶民からすれば、

「この世の終わりは近い」「せめて天国へ行けるように神へご奉公したい」

と思うようになります。

そこに教皇が「十字軍に参加した者は天国の席が用意されている」と言ったものだから、 失うものは何もない貧しい庶民がこぞってピエールに従って十字軍に参加します。いわゆる、民衆十字軍です。

民衆十字軍、コンスタンティノープルに到着

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 隠者ピエールに率いられて東に向かった民衆は、貧乏騎士、農民、浪人、女、子どもなど10万人ほど。

 満足な軍備も食料も金もない。ただ、キリストに導かれた神の戦士、と自らを信じていた彼らは、同じキリスト教徒が自分たちをサポートするのが当然、という意識でいました。

ですが、その道筋に住む住民からすれば、食料も金もない10万人はただの危険な難民集団

秩序を守るために、ハンガリー人は武力で民衆十字軍を排除しようとします。

同じキリスト教徒に援助をもらえるものと思っていた民衆十字軍は激怒し、ブラティスラバの町を攻め滅ぼしてしまいます

民衆十字軍はその後、食うや食わずの状態で半数以上の脱落者を出しながらも、ビザンティンの首都コンスタンティノープルに到着します。

皇帝アレクシオスの厄介者払い

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十字軍どころか、ボロに身をつつんだ乞食の集団と化した民衆十字軍は、コンスタンティノープルに到着するなり、食と衣服、当面の住環境までビザンティンに要求します。

彼らからすれば、神のために命を投げ出す覚悟だから、それだけの施しを受けて当然という理屈なのですが、ビザンティンからすればただの厄介者にすぎません。

皇帝アレクシオスは、やっかいな群衆を率いてきた隠者ピエールに興味を持ったようで面会をしています。この時、隠者ピエールはいつもの饒舌っぷりを発揮したようで、キリスト教徒による早期のエルサレム解放を訴えました。

これに応えるという大義名分で、皇帝アレクシオスは民衆十字軍を船でボスポラス海峡に渡します。対岸の小アジア半島は、セルジュク=トルコの勢力範囲。この武器を持たない貧しい民衆たちが、この後どうなるか分かっていただろうに。

民衆十字軍の崩壊

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小アジア半島に渡った約5万もの民衆は、セルジュク=トルコの兵士に殺されたり、飢えや渇きで死んだり、疲れて動けなくなっているところを住民に殺されたりして、ボスポラス海峡を超えた2〜3ヶ月後にはその半分以下になります。

その後は追いついた十字軍本体に吸収されたり、独自にエルサレムに向かおうとしてやはりイスラム兵に殺されたりして、半年後には事実上消滅します。

隠者ピエールのその後

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隠者ピエールはその後、第一次十字軍の諸侯に混じってエルサレムに向かい

時には諸侯と共にイスラム側との交渉に参加したりもしたようですが、

常に彼は貧しい民衆とともにいて、戦いの前に祈りを捧げたり、エルサレムに着いてからは教会で祈願を行ったりしています。

エルサレム王国成立後の隠者ピエールの行方についてははっきりせず、聖墳墓教会の副司教になったとも、ベルギーの教会の司教になったとも伝えられています。

扇動者か、指導者か

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隠者ピエールは、果たして「無知な民衆を残酷な旅路に率いた愚かな扇動者」なのか、「救いのない民衆の魂の解放に報いた民衆の指導者」なのか。

為政者の視点で言うと、ただの厄介者にすぎないと思います。

ボロをまとった腹ぺこの10万人が向こうからやってくるなんて、恐怖以外の何者でもありません。

しかし宗教者という視点で言うと、何万人もの魂を救済したとも言えるかもしれません。それが「まやかし」だったとしても。

きっとその二面性に、隠者ピエールの正体があるのだと思います。

 

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