麻薬で築いたカネで独立国を作ろうとした傑物
クン・サ(クンサー)は、ミャンマーとタイの間に住む少数民族シャン族の男。
麻薬の密売で莫大な利益を上げ、その資金を元にシャン族の独立国家「シャン邦共和国」を作り上げようとした傑物です。
その波瀾万丈な生涯と、彼の描いたシャン族の独立の夢を追っていきましょう。
シャン族と果敢族
クン・サは1933年、シャン族である母親と、果敢族の父との間に生まれます。
シャン族とは、ミャンマー東部、タイ北部、中国の雲南省に住んでいる少数民族で、大きく分類するとタイ族の一部です。
果敢族とは、17世紀半ばに清王朝の支配を嫌ってタイやミャンマーに逃れた漢人のことで、クン・サの中国名は張奇夫と言います。
国共内戦で逃れてきた国民党軍
1949年、国共内戦に破れた中国国民党の軍隊は、多くは台湾に逃れますが一部はタイやビルマに逃れ、大陸奪還のための拠点を作ろうとします。
18歳のクン・サも国民党軍に入隊しますが、18歳で早くも反乱を起こして失敗。山間部を流浪することになります。
1953年、シャン州一帯は中国国民党軍によって支配されていましたが、当時のビルマ政府は国連に「自国に他国の軍隊が居座っている」と訴えます。
やむなく台湾政府はその多くを受け入れますが、3000人ほどは帰国を拒否し、ビルマからタイに移動します。
しかしビルマ政府はシャン州一帯を直接統治することはできなかったため、クン・サを始めとした現地の軍閥に「自治権」を与えて間接統治に乗り出します。
軍閥の資金源は「麻薬」。麻薬の利権を巡って軍閥同士の抗争が絶え間なく続く、まるで中世のような状態が続いていました。
逮捕された後に、タイ共産党討伐に従事
クン・サの軍は、各地の軍閥を吸収し勢力を拡大していきます。
中国共産党の支援を受けたビルマ共産党と戦いますが、1969年にビルマ政府によって逮捕されてしまいます。
クン・サの参謀長はここにおいて、シャン族による自治を掲げて「シャン州解放軍」と名前を変え、ソ連の医師を人質に取ってクン・サの釈放を要求。
1973年にクン・サは釈放。タイ政府の要望に応じて、タイ北部に移動。
ケシを栽培して軍資金を稼ぎながら、ゲリラ活動を続けるタイ共産党の討伐に参加します。
世界の麻薬市場の半分を握る
1980年代半ば、タイ共産党は壊滅。
用済みとなったクン・サの軍隊は、これまで味方だったタイ軍の攻撃を受けます。
クン・サは再びミャンマーに逃れ、タイ国境に近いホモンに拠点を構え、他のシャン族の軍閥を統合し「モン・タイ軍」を結成。
タイ・ミャンマー・ラオスの「ゴールデン・トライアングル地帯」に麻薬生産拠点を築いて、大規模にビジネスを展開。
「世界の麻薬市場の半分を握る」と言われるほど、大量生産に成功します。
少数民族のリーダーを装うも孤立
1988年から89年にかけて、ビルマ政府はシャン州の少数民族と和平協定を結び、クン・サは次第に孤立していきます。
加えて、政府が麻薬の取り締まりを強化し、それに反発するクン・サの軍とたびたび衝突します。
1993年、クン・サは突如として「シャン邦共和国」の独立を宣言し、自ら大統領に就任。
しかし、シャン族たちは覚めていたようで、クン・サの独立構想についてくる者はあまりいませんでした。
1995年、モン・タイ軍内で反乱が起きると、クン・サはヘリコプターでヤンゴンに向かい、そのままミャンマー政府に投降してしまいます。
ビジネスマンに転向
政府に投降後、クン・サはこれまで麻薬で蓄えた資金を元に、宝石や木材を扱うビジネスマンに転向。
アメリカ政府は再三、ミャンマー政府に国際手配中のクン・サの身柄引き渡しを要求しますが、ミャンマー政府は拒否しつづけ、宿舎にVIP待遇で保護され続けました。
そして2007年に宿舎で死亡。
シャン州のその後
クン・サが去った後のシャン州では、麻薬生産は壊滅。
司令官なきモン・タイ軍は、新たに南シャン州軍を結成し、2005年にカナダで亡命政府を作りシャン州の独立を宣言しましたが、今のところまったく誰もついきていない状態となっています。