「ヨーロッパの拡大」を止めた歴史的な戦い
チュード湖の戦いは、別名「氷上の戦い(Battle of the Ice)」とも言い、
現在のエストニアとロシアの国境にあるチュード湖で、ドイツ騎士団とノヴゴロド公国軍が激突した戦いです。
アレクサンドル・ネフスキー率いるノヴゴロド公国軍はこれに勝利し、現在のロシアの基礎を築くと共に、この戦いによりドイツ騎士団の東進政策は転換点を迎え、「ヨーロッパの拡大」がストップしたとされています。
武装した僧の集団 ドイツ騎士団
ドイツ騎士団の前身は、パレスチナでキリスト教徒巡礼者のために、医療や食料を提供する団体でした。ところが、アッコンの陥落によってパレスチナからキリスト教徒が一掃された後に本拠地を失います。
独立した武力を持つ彼らは各地の諸侯から引く手あまたで、
始めはハンガリー国王に招かれますが、後にマソウィア公コンラートに招かれポーランドに本拠を移します。
当時ポーランド東部には非キリスト教徒のプロイセン人が住んでおり、カトリックのポーランドに激しく抵抗していました。
ドイツ騎士団総長ヘルマン・ザルツァは、プロイセンの土地を征服し、独立した騎士団国家の設立を目指すようになります。
カトリックの拡大を目指すヨーロッパ
1230年、教皇グレゴリウス9世はヘルマンに、プロイセン進出の許諾を与えます。
主は、その忠実な僕(しもべ)たちに対する恩情を示すために、彼らのために敵を残された。
要するに、異教徒を殺し改心させることは神の御心に沿うことであるから、大いに励みなさい、ということ。
そこからドイツ騎士団は、プロイセン人の頑強な抵抗にあい、何度か壊滅的な敗北をするものの、1283年に抵抗軍を壊滅させます。
抵抗したプロイセン人は殺されるか、あるいは奴隷となって売られ、抵抗をやめたプロイセン人はキリスト教に同化し、言語を含む独自の文化は消滅してしまいます。
ノヴゴロド公国のアレクサンドル・ネフスキー
ノヴゴロド公国は現在のロシア西部にあり、元々はスカンジナビアのバイキングによって征服されたキエフ公国が母体。
人々はギリシア正教を信仰し、首都ノヴゴロドは毛皮、木材などを扱う商業地として栄えました。
ネフスキーは本名をアレクサンドル・ヤロスラフスキーといい、父の代からノヴゴロド公を賜る一族の長で、知・仁・勇を兼ね備えた器であったと言われています。
ロシア征伐を命ずるローマ教皇
1222年、ローマ教皇ホノリウス3世は勅令を出し、ロシアに対する十字軍を呼びかけます。
余は命ずる。これらのロシア人たちは、首長であるローマ教会から離れてギリシア人たちの儀式に従ってきた。まさにその地において、カトリックの儀式に従うように強制されなければならない。
同じキリスト教徒への十字軍を命じたもので、もはや最初の「異教徒の改宗」から目的が外れています。
これに呼応し、スウェーデン軍がノヴゴロドを襲いますが、ノヴゴロド公と抵抗軍の活躍によって、カトリックの軍隊は敗退します。
アレクサンドル・ヤロフラスキーは、ネヴァ川の戦いでスウェーデン軍を破った功績によって「ネフスキー」という称号付きで呼ばれるようになります。
凍ったチュード湖の上でドイツ騎士団との決戦
スウェーデン敗退後の1240年、ドイツ騎士団がノヴゴロドに侵攻。
イズボルスク、ヴォドと次々とノヴゴロドの町を陥落させ、ドイツ支配を拡大させます。
1241年からネフスキーは反撃を開始。まずはヴォド地方から遠征してきたドイツ騎士団を撃退し、反転攻勢でこれを占領。
そして1242年、ドイツ騎士団とノヴゴロド軍は、チュード湖で一大決戦に挑みます。
神のご加護による勝利(?)
残念ながら、この戦いについて詳細を記した資料は存在しません。
どの資料も「神のご加護によるネフスキーの勝利」が強調されており、肝心の戦いの中身がさっぱり記されていないためです。
13世紀に記された「アレクサンドル・ネフスキイ伝」より引用
それは土曜日であった。太陽のさしのぼるころ、両軍が激突した。はげしい戦闘がおこり、槍のくだける音、切りむすぶ剣のひびきは凍った湖をゆるがさんばかりであった。湖の氷は見えず、一面血でおおわれた。
ある目撃者から聞いたところでは、このとき神の軍勢が中天にあらわれ、アレクサンドルに加勢するのが見えたという。こうして公は神の御助けをもって敵をやぶり、敵は退却をはじめた。味方は宙を行くごとくおいかけて、敵を切り殺した。相手には逃げ込む場所さえなかった。ここで神は全軍の前でアレクサンドルの栄光をあらわされた。
正確なところは不明ですが、兵力劣勢なドイツ騎士団に対し、ノヴゴロド軍が数で圧倒した、というところが真実に近いようです。
ヨーロッパの拡大の停止
この戦いの規模は大きなものではありませんでしが、これによってドイツ騎士団はさらなる東進を断念し、既に占領した領国支配の深化に専念するようになります。
これはつまり、ローマ・カトリックとギリシア正教の境界が定まったということで、
歴史上のヨーロッパの拡大の停止、と位置づけられています。そういう意味で、チュード湖は「ヨーロッパの境界線」という言い方をさせることもあります。