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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

オスマントルコを退けた地中海・マルタ島の要塞都市

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オスマントルコとの戦争を戦った騎士団の国・マルタ

イタリア・シチリア島の南東に浮かぶ島国・マルタ共和国

面積としては淡路島くらいしかありませんが、れっきとした独立国でEUにも加盟しています。

管理人は3ヶ月ほどこの国に短期留学していたのですが、海は奇麗だし、食べ物やお酒は美味しいし、史跡は多いしで、非常に充実した毎日を過ごさせていただきました。

マルタ島は、石器時代からの歴史がある場所ですが、世界史的に重要なのは、1565年のオスマントルコによる「マルタ包囲戦」です。

圧倒的に少ない兵力でオスマントルコの攻撃に耐えたマルタ 

第一次ウィーン包囲に失敗したオスマントルコは、西地中海のシーパワー確保を目指しその拠点としてマルタ島制圧に乗り出します。

マルタ島には、オスマントルコにロードス島を奪われた聖ヨハネ騎士団が拠点を移しており、来るべき決戦のために要塞や拠点をマルタ島各地に建設していました。

1565年、オスマントルコは193隻の船、約4万の軍勢でマルタ島を包囲

対するマルタは、マルタ騎士団、スペインやイタリアなどの義勇軍を含めて約6100

容赦ないトルコ側の砲撃や突撃を約4ヶ月耐え、いくつかの砦は落とされ兵士の6分の5を失いながらも、オスマン軍に甚大な被害を与え退却させることに成功しました。

 

聖アンジェロ砦のある町・ヴィットリオーザ

ヴィットリオーザの町の先端には、マルタ包囲戦の際、とうとう最後まで落ちなかった聖アンジェロ砦がそびえています。

この砦は、聖エルモ砦、聖ミカエル砦とともにマルタ島の入り口をがっちり固め、オスマン軍の侵攻を許しませんでした。

 

写真中央の岬が、聖エルモ砦。

かなり狭まっていて、船が入りづらいようになっているのが分かります。

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聖アンジェロ砦を南西側から。相当でかい。

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 外壁、中壁、内壁の3重構造になっているのが分かります。

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以下は当時の包囲戦の絵。ひときわ大きな十字の旗が立っているのが聖アンジェロ砦。その南が聖エルモ砦。左右からトルコ旗に完全に包囲されています

これを見ると、当時と今とじゃ少し壁の構造が異なっているようです。

西側の防壁は直立ではなく、緩やかな傾斜の壁に見えます。

北側に本丸?のような建物が見えますが、ここがきっと司令部でしょう。南側の壁と壁に挟まれた箇所は、居住スペースでしょうか。上の写真にもその名残が見て取れます。

ちなみに、両砦の間に線が見えるが、これは巨大な鎖で、敵の船の侵入を防いだそうです。

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 聖アンジェロ砦から聖エルモ砦を眺める。この海上に上記の巨大な鎖がかかっていました。

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 現在のヴィットリオーザは、細い路地が連なる石造りの落ち着いた町並みです。

海岸沿いにレストランや博物館がある他は、教会や商店や住宅街が連なっていて、おばちゃんたちが立ち話をしていたり、子どもたちが走り回っていたり、ネコたちが惰眠を貪っていたりと、ゆっくりとした時間が流れています。

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 旧都イムディーナ

マルタの旧都・イムディーナは小高い丘の上に築かれた要塞で、紀元前から砦があったたそうです。

現在の砦は、1530年に聖ヨハネ騎士団によって対オスマン・トルコ用に補強・整備されたものを元に、後世に増築されたものです。

砦はぐるりと高い壁で囲われ、10Mほどの堀切が見られます。

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 メインゲート。これは18世紀に作られたもの。

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 マルタ島は過去、フェニキア人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人など、様々な民族によって支配されてきましたが、イムディーナはマルタ島を支配する上で軍事戦略上、欠かすことのできない要所でした。

街の展望台から島の北東〜南までが一気に見渡せます。もし攻めてこられても、敵の動きが手に取るように分かります。

ヴィットリオーザの聖アンジェロ砦も、聖エルモ砦も肉眼で見えるほどくっきり。

どの砦が攻められていて、どこがピンチかなどの戦局も一目瞭然です。

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 丘陵の中腹からイムディーナを眺めてみます。

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 周辺はかなりの傾斜があり、数キロ先まで続きます。しかも砦に近づけば近づくほどきつくなります。

  • 傾斜に長陣を張るのは精神的に辛い
  • といって後方に陣取れば人や物の往来を許してしまう
  • では、と攻め急げばしっぺ返しを喰らう

相当攻めづらい砦だったに違いない。

  

さて街の中はというと、かなりひっそりとしています。

石造りの家の細い路地が、くねくねと続いています。

対トルコ戦当時は騎士団や従者たちの住居があって相当賑わっていたらしい。

http://world-historia.com/img/malta/medina3.JPG

 

http://world-historia.com/img/malta/medina5.jpg

 対トルコ戦勝利の後、首都は海岸沿いのバレッタに移され、内陸のイムディーナは段々と寂れていったそうです。

それは不便な内陸部の街より、海と直接繋がった街の方がいろいろ都合が良くなったからでしょう。

 

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