日本にかつてあった「会社統治領」
沖縄県の東に浮かぶ大東諸島。
北大東島と南大東島、沖大東島から成り、人口は2,000人ほど。
主力産業はサトウキビ農業と近海漁業。
日本列島はもちろん沖縄本島とも離れた孤島で、島に行くには那覇から飛行機をチャーターするか、週1〜2便の定期船に乗り13時間かけて行くかしかありません。
※訂正 上記情報が古かったようです。現在は琉球エアーコミューターによる飛行機の定期便が、那覇~北大東/南大東を結んでいます。
のどかなこの島は、かつて主権は大日本帝国にあるものの、行政はすべて会社が行うという「会社統治領」の島でした。
島を統治する「玉置商会」
島を支配したのは、玉置半右衛門が創業した「玉置商会」。
半右衛門はアホウドリの羽毛の販売で巨万の富を築きましたが、乱獲のためアホウドリが絶滅すると、1900年に23人の八丈島からの移民を引き連れて大東諸島に上陸し開拓を始めました。
南大東島でサトウキビの栽培を始め、北大東島では燐鉱石の採掘も行いました。
大正時代には人口は2,000人を超えましたが、大東諸島は市町村は設置されず、玉置商会がインフラ工事・運営、教育、医療、郵便など、行政の業務を委託運営していました。
島には独自の階級制度がありました。
- 第1階層:玉置商会社員
- 第2階層:会社より土地を貸し与えられた農業移民
- 第3階層:出稼ぎ労働者
作られたサトウキビは全て玉置商会によって買い上げられ、また給与も島のみで流通する「玉置紙幣」、しかも商店も全て玉置商会が提供するものなので、島の富は結局全て玉置商会に吸い上げられる仕組みになっていました。
カイジの地下労働施設を思わせる鬼畜ぶり。
半右衛門の死後、大日本精糖の支配下に
1910年に半右衛門が死亡し、長男・鍋太郎、次男・鎌三郎、三男・伝の3人の息子が遺産を相続。家督は長男鍋太郎が継承しました。
しかし2代目は経営手腕がなく、しかも島の金を使って贅沢三昧をしたらしく、玉置商会の経営は傾き始め、1916年には神戸の東洋精糖に事業と島の支配権を売却。その後は大日本精糖(現:大日本明治製糖)に吸収合併されます。
戦後は「普通」の島に
太平洋戦争後、大東島は沖縄と同じくアメリカの統治下に入り、大日本精糖の資本や社員は島を退去させられ、これまで会社が運営していた各種行政は村の運営に移行されました。
その後、アメリカは大日本精糖に事業認可を出したが、住民が猛反発。
土地所有権問題は13年間続きましたが、最終的にアメリカの高等弁務官の判断により住民に土地所有権を渡すことで解決。
1972年の沖縄返還により、やっと「普通」の島になったのでした。
今後、会社統治領はありえるか?
戦前の大東諸島の場合は、
- 国家の統治能力が現在と比べると弱かった
- 地政学的に重要な位置になかった
- 労働集約による一次産業が産業の主体だった
という条件があったため可能だったのだろうと思います。
今後、このような会社統治領は出てくる可能性はあるでしょうか。
例えば中国は、中国海洋石油総公司という会社を南沙諸島に送り、珊瑚礁の埋め立てや海底石油の採掘プラントの建設を行っています。国家の肝いりで、国営企業を先兵にして南沙諸島の石油開発を既成事実化しようとしています。
中国が他の国々を圧倒する軍事力と資金力、技術力を持っているので、パワーバランス的にそのようになっていくのは不思議なことではないです(許されることではないですが)。
上記は露骨な例ですが、もしかしたら、裏で国家と繋がった企業が資源開発と称して事実上の領域統治を行う、とかが今後起こってくるかもしれませんね。