歴ログ -世界史専門ブログ-

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奇妙な防衛施設を持つギリシア遺跡セリヌンテ

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シチリア最大規模のギリシア神殿群

シチリア島南西部にあるセリヌンテ遺跡は、海岸沿いの丘陵地帯に建設されたギリシア人植民市です。最盛期には3万人ほどの人口を擁したとされ、壮麗なギリシア神殿群はシチリア最大規模と称されています。

 

 大国の代理戦争の舞台となり疲弊

トゥキディデスによると、セリヌンテを作ったのはシチリア東部のメガラ・ハイブラエア出身のパミルスという男だそうです。

町は繁栄しましたが、フェニキア人都市のカルタゴや、シチリア先住民の都市セジェスタとたびたび衝突しました。

紀元前431年〜404年、ギリシア都市国家はスパルタを中心とするペロポネソス同盟と、アテネを中心とするデロス同盟とに別れペロポネソス戦争を戦いました。

セリヌンテはペロポネソス同盟に所属しており、同盟国シュラクサイの援助を受けていたが、ライバル都市セジェスタはデロス同盟の一員でした。

紀元前415年、アテネはシチリア島に遠征軍を派遣。セリヌンテもシュラクサイと共にアテネと戦いました。遠征はアテネの国力を無視した無謀なものであったため失敗に終わりました。

孤立したセジェスタは、カルタゴに援軍を要請。セリヌンテはカルタゴ・セジェスタ連合軍に破れ、多くの住民が捕虜となりました。

その後カルタゴに抵抗を続けるものの、第一次ポエニ戦争で町は破壊され以降は復興されなかったようです。

セリヌンテ遺跡への行き方

アグリジェントからバスで西に2時間ほど行ったところにある「カステルヴェトラーノ」が最寄り駅です。駅からさらにローカルバスに乗って30分ほど行ったところにあります。ど田舎のさらに辺鄙なところにある遺跡で、個人で行くにはなかなか気合いが要ります。

 そびえ立つ3つの大神殿

3つの大神殿が横並びで建立されています。

名前は小さい順から「E神殿」「F神殿」「G神殿」という味も素っ気もない名前。

「F神殿」と「G神殿」は、遺構としか言いようがないくらいボロボロで、往時の姿を想像するのも難しいくらい朽ち果てています。

神殿群の中で最小「E神殿」のみ、修復されて当時の姿を窺い知ることが出来ます。

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これは最も大きかった「G神殿」。ボロボロ。

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しかし何でまた、神殿を3つも並べて建てたんだろうか。

それぞれの別の神様ごとに奉納されたものだったんだろうか。

伊勢神宮なんかも、内宮の敷地に小さい祠や神社が無数にあるけど、そんな感覚なのかな。

セリヌンテの中心街へ

神殿群の丘を下り、海岸線の丘を上がったところにギリシア時代の住宅地跡がある。

とにかく海がきれい。ここに別荘があったら本当に最高。

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町の東南から町を北方面に眺める。たぶん、立っているのは議会か神殿だかの公共施設の中でしょう。

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 ここは見取り図の左方の、北へ通じる道路。ボロボロになっているものの、往時の石畳の面影があります。

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 町北側の防衛施設

東西が切り立った崖なのに対し、町の北側はなだらかな斜面になっており、ここが敵に攻められると最も弱い虎口と言えるでしょう。

そのため、敵の襲撃に備えた防衛施設の跡が残っています。石造りの頑丈な壁で覆われていたようで、想像図を見るとまるで中世の城のよう。

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現在はこのような姿。修復はされているんだろうけど、よくここまで残っているなあ。

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 北要塞の奇妙な防衛施設

これは当時の防衛施設の想像図なのだが、これ何なんだろう。

この段々の下から敵が襲撃してくるのだろうが、なんでわざわざ上ってきやすいような、なだらかな曲輪になっているんだろう。弓矢で迎撃するとしても、大軍で来られたらひとたまりもなくない?

壁まで到達されることは想定した上での設計なのだろうか。

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現場でしばらく考えたのだが、この施設の適切な活用の仕方はどうにも分からなかった。

 どなたか古代の軍事作戦に詳しい方、教えてください。