チュニジアが誇る古代ローマ遺跡
※この記事は前ブログ(逃げログ)の記事を改訂したものです。
チュニジアが誇る世界遺産といえば、カルタゴともう一つはこのドゥッガ遺跡。
日本人にはかなりマイナーな世界遺産なんですが、北アフリカの古代史を語る上では外せない重要な遺跡です。
1997年に世界遺産に登録されています。
ヌミディアを経てローマの統治下に
ドゥッガの起源は明らかでないが、伝説によるとシュラクサイの僭主アガトクレスに捕まった古代ギリシア人が、北アフリカに逃れて建設したそうです。
後に、ヌミディア王マシニッサによって征服され、ヌミディアがローマ帝国の属州となった後は、ローマ人の居住地として構築されました。
ローマ化する前は、古代パレスチナ地域が発祥のバアル(嵐と慈悲の神)信仰、フェニキア人の信仰、マシニッサに献上された寺院などの痕跡が見つかり、様々な宗教・民族が混在していたようだ。
ローマ帝国崩壊後は、東ローマ、ゴート族の統治を経て町は荒廃していった。
平原の中の小高い丘の上にある遺跡
ドゥッガは見晴らしのいい内陸部の緑豊かな丘の上に作られた街で、南欧や北アフリカのローマ人の町が持つ特徴を持っている。
地中海の古代人はそういう特徴をもった土地が町を作る条件だったのかもしれませんね。
蛇足ですが、地中海沿岸のローマ時代の町の遺跡を歩くと、結構似たような土地に立ってたり、似たような建物が立っていたりする。
ローマ人はいまのアメリカ人みたいな連中だったのかもしれないなあ。
もっと蛇足ですが、アメリカ人はどこに行ってもハンバーガーのことしか言わない。
食の豊かなベトナムのホーチミンでバーガーキングに興奮している姿を見て、さすがにあきれました。
ドゥッガ遺跡への行き方
チュニスの北バスターミナルから「トゥブルスーク」行きのバスに乗り込み、途中の「ル・ケフ」で降車。トゥブルスークからドゥッガまではタクシーか歩きで行くしかないです。
緑が一面に広がる、豊かな北アフリカの大地
田園地帯の真ん中に見えてきた。
ローマ以降、蛮族の統治によって田畑が荒れようと、北アフリカがいかに豊かな大地であるかが分かる風景が一面に広がります。
正直、北アフリカとは思えないような緑の豊かさ。
まるで南欧のような緑の濃さ。濃密な命の息吹。
古代ここを統治していたヌミディア人は、ベルベル系の半遊牧集団であったが、ローマ化が進み先進的な灌漑農業を取り入れていったと考えらています。
ローマ人の統治から離れて放置されても、ここまで地味豊かな土地であることはチュニジアの民にとっても、考古学的に幸福なことだったのではないでしょうか。
いざ、遺跡の中へ!
床のモザイクがあちらこちらにかなり奇麗に残っています。
修復はされているのだろうが、住宅街のメイン道路が相当奇麗に残っています。
中心にくればもう、遺跡とかじゃなくて「遺棄された町」の中にいる気がしてきて興奮します。
町の中心の神殿跡。政治の中心であった場所です。
市民温泉の床のタイル。この当時の大衆は本当にゼイタク。
ドゥッガ市民のストレス発散場所である劇場。
正直、ヨーロッパ各所で似たような劇場は飽いるほどみてるのでここは大したことないなあと思っちゃいました。
風呂屋、パン屋、売春宿などの公共サービスの地区からの風景。
公衆便所の手洗い場。あんまり今と変わってないんだなあ。
こちらが公衆便所。ちんこを丸出しにするのはマナー違反でも何でもなかったのがようく分かる。
噴水広場の跡。
カラッカラに乾いた跡の姿を見ると、しみじみ感じる。
満タンに水をたたえたその姿はいかに立派なものであったのでしょう。
同じく噴水の跡。
凱旋門から神殿を望む。
城や宗教施設もいいんですが、ぼくは個人的にはこのドゥッガのような、市井の人たちが日常生活をおくった場所というのにとても魅力を感じますね。
ドゥッガで一番印象に残った場所は、「売春宿」の跡。
入り口が裏通りのお風呂屋さん通じていて、お風呂で体を清潔にしたお客さんが、表の人に見えないように、こっそりと売春宿に入ることができるようになっている。
こういう人間くささがたまりませんね。