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【日本のアトランティス?】日本の伝説の島5選【ミステリー】

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アトランティスといえば、プラトンが著書の中で述べたことで有名な、大西洋にかつて浮かんでいたと言われる文明大陸。

 

軍事力を背景に覇権を取ろうとし、神の怒りに触れて島ごと海中に没してしまった、という伝説の島です。

世界中に「沈没した島」の伝説はありますが、日本にも似たような伝説の島がいくつか存在します。

単に伝承に過ぎないと考えれているものから、科学的見地から存在の可能性が高いものまで5つ紹介します。

1. 瓜生島

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交易で栄えた瓜生島

大分県の別府湾内には、瓜生島という島がかつて存在していたと言われている。

別府湾は北から、国東半島、別府市、大分市でぐるりと取り囲んでいる内海である。

瀬戸内海とのアクセスが良いため、東九州の窓口として古来より貿易港として栄えた。

 

「瓜生島」の名前が文献に登場するのは、1699年に府内藩の戸倉貞則が記した「豊府聞書」。それまでは「沖ノ浜」という名称で記されていた。

瓜生島は、現在の天橋立のような陸繋島で、「瓜のような形の島」から「瓜生島」となったのではないかと考えられている。

「豊府聞書」によると、島は大分市沖合の400~500メートルの沖合にあり、周囲は12キロ、人口は5000人ほどというから、かなり大きな島だ。

島内には寺、神社、島津氏の居館などの建物もあり、全国から商船が多く出入りする東九州一の港として栄えた。安土桃山時代には、キリシタン大名大友宗麟の庇護もありポルトガル船の往来も活発で、ルイス・フロイスの書館にも名前が登場している

「神仏の罰」で沈む

それだけ栄えた港町が、伝説によると「一夜」で海に沈んでしまった。

文禄5年、島に住む加藤良斉という男が、島内の神社の神仏像に落書きをして神仏の怒りを買い、天変地異が起きて島ごと沈んでしまったという。

1970年代の調査で、このあたりを大地震が見舞ったことが判明しており、記録にも「慶長豊後地震」という大地震が1596年に起きたと記されている。

仮に瓜生島が脆い砂地でできた陸繋島だとすれば、大地震とその後の液状化現象で地盤が緩み沈没していき、徐々に徐々に海中に没していったのではないかと考えられている。

 

2. 鴨島

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柿本人麻呂の終焉の地?

島根県益田市・益田川河口の沖合にあったとされるのが「鴨島」。

本土とは砂州でつながった陸繋島であり、岩盤の上に砂が堆積しただけの低い砂丘の島であったと考えられている。

かつては、日本海を航行する交易船は必ず立ち寄ると言われたほど栄えた港町だった。

 

また、飛鳥時代の歌人で三十六歌仙の1人、柿本人麻呂の終焉の地という伝説もある。

人麻呂の辞世の句

鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ

この鴨山とは鴨島にあったと言われ、また島内には人麻呂をご神体とした「人麻呂神社」という神社があったとされている。

地震によって沈んだ?

交易で繁栄した鴨島だが、万寿2年(1026年)に起こった「万寿地震」によって、一夜で海中に没してしまった。

現在、鴨島があったとされる箇所の深さ3〜6メートルほどに暗礁があり、明治時代には地元の漁師が暗礁近辺で漢鏡や双盤を引き上げている。

 

しかし諸々の伝説は口頭で語り継がれてきたものであり、証拠となる文献の数が極めてすくなく科学的論拠に乏しい

1972年と1993年には、水中カメラマンやダイバーによる調査と、海底音波装置や放射性炭素年代測定など、科学的見地から伝説の検証を試みている。

調査によって

「暗礁は少なくとも一時期は島ないし半島であった」

「万寿年間に地震と津波が起こっていた」

ことが分かった。

 

3. 高麗島

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石地蔵の罰

長崎県五島列島は小値賀島の西方にあったとされるのが高麗島。

関連資料がほとんどなく、口頭による伝承がほとんどである。

昔、高麗島と言う裕福な一小島があった。島には霊験あらたかなお地蔵様が、まつられていた。ある夜、お地蔵様が信仰の深い人の夢枕に立って「余の顔色が変わった時は、この島に一大事が起こる故、よく気をつけていて、この島を逃れよ」と言うお告があった。ある日、お地蔵様の顔が赤くなっているのを見つけた人はその旨を、村人に告げて廻ったが、だれも本気にしてくれない。やむなく、お地蔵様を担いで、久賀島に運んだ、その直後大音響とともに島は沈み、多くの村人は島と運命を共にした。

 

 

4. 南与那国島

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南にある「極楽浄土」伝説

南与那国島とは、与那国島のさらに南にあったとされる伝説上の島である。

琉球ことばで「はいどぅなん」と呼ぶ。

琉球王国時代の過酷な人頭税を逃れようと、与那国島の村人の中には、

南方にある極楽浄土の島を目指して船で漕ぎ出した人たちがいた。

彼らが目指したのが「南与那国島」。

地図で見ても明らかなように、与那国島の南には島なんて存在しない。

鹿児島や沖縄に伝わる民間伝承「ニライカナイ」が深く影響していると考えられている。

伝説では、遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にはニライカナイという異界の地があり、死んだ霊魂はニライカナイに到達すると言われていた。

また「南方にある理想郷」という概念は、仏教の補陀落(インドのはるか南方の海上にあり、八角の形状をした山で、観音菩薩が住む山) の信仰から来ていると思われる。

 

5. 南波照間(大波照間)島

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波照間島の南にあったとされる伝説の島が、南波照間(大波照間)島である。

琉球ことばでは「ぱいぱてぃろーま」と呼ぶ。

南与那国島と同じく、波照間の村人が過酷な人頭税の徴収を逃れようと未知の島を目指して大海に漕ぎ出していった。

『八重山島年来記』には、1648年に波照間島平田村の農民40~50人が重税から逃れるために大波照間に渡ったという記述が残っている。

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