読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【韓国】「日本人は野蛮人ニダ!」←なぜなのか(3)

http://world-historia.com/img/cs/japankorea.jpg

このエントリーでは、日韓関係がなぜこじれたかを、近現代史以前の歴史的観点から紐解いていきます。

第1回第2回のエントリーもあわせてご覧ください。

日朝関係を運命づけた事件「三浦の乱」

素業の悪い元・倭冦の日本人を、何とか我慢して住ませてやっていたのだが、

以降の日朝関係を運命づける事件が起きた。いわゆる「三浦(サンポ)の乱」である。


三浦とは、当時日本人が入港していた富山浦(釜山)・薺浦(熊川)・塩浦(蔚山)の総称。

 

当時日本は銀の生産を始めとして産業がめざましく発達し、

高まる海外製品への需要を背景に、合法・非合法見境なく怒濤のように対外貿易に乗り出していった

そんな日本の貿易熱に比して、朝鮮側からすると日本と貿易すればするほど赤字が広がる状態

ぶっちゃけ貿易なんかやりたくないし、富の流出をできるだけなくすため、日本との交易量を減らそうとした。

が、日本国内の大陸の品物に対する需要は抑えきれず、三浦で密貿易が横行し始めた


そこで朝鮮政府は密貿易を厳しく取り締まったところ、取り締まりに反発した日本人によって暴動が起きてしまった。

反乱軍には当時日本側の貿易窓口であった対馬の宗家も絡んでおり、国際貿易紛争の様相を呈していた。

反乱軍自体はすぐに政府軍に鎮圧されたのだが、ここからひと悶着起きた。 

日本人「謝罪と賠償をよこせ!」

この乱に加担した日本人容疑者10名のうち、5名が対馬以外の日本人だった。

対馬人5人は容赦なく殺害したのだが(対馬人=倭冦=犯罪者扱いですね汗)

この日本人5人の処遇をどうしようかという話になり、最終的に北方の流刑地に送ることにした。

それを知った5人は絶望し、腹を割って死んでしまった

 

この結末に、朝鮮側としてもあまり愉快な思いではなかったようだ。
人道的な対応ではなかったとして、「自分は自害した5人の子どもである」と申請があった者には、官職を与える補償策を出した

 

ところが。
「私はあの時殺された日本人の子どもです」と名乗ってくる輩が後をたたない。
素性の知れない日本人が、「補償せよ」と名乗ってきては官職を求める
事件後50年後に申請してきた面の皮の厚い者もいたらしい。

ここのところ、慰安婦問題と構図が似ているのは偶然だろうか。。

秀吉の朝鮮出兵でさらにガタガタに・・・

さらに、事件後の日本側はさらにエスカレートし、
「日本国使者」だと言う者がやってきて交易を求めるから話を聞いてみたら、実は密貿易者だったいう事件が多発。

しかもそれは、対馬の宗家によって公然と送り込まれた密貿易業者だった。
日朝間の貿易制限はなし崩しになって、引き締め策も行われない状態

 

そんなこんなしているうちに、秀吉による朝鮮出兵

朝鮮全土が戦乱となり、畑は荒れ土地は荒廃。
後になって分かったのが、日本軍の道案内をしたのが「降倭」たちだったという・・・

 

ことここに至っては、朝鮮人の日本人に対する不信感は頂点に

李氏朝鮮はソウルはおろか国内に日本人を一切居住させないことにした

唯一の交流であった朝鮮通信使も「20~30年に1回」程度。

しかも全て朝鮮側が日本に行ったもので、日本側から朝鮮には一度も来させなかった


第三者視点で客観的に見てみたら、日本の経済発展による交易需要を朝鮮側が処しきれず、最終的に武力衝突に発展してしまったという構図なのだが、朝鮮側からしたら踏んだり蹴ったり。


その後朝鮮は近代化の波に対応できず、300年後には国ごと日本に併合されてしまった。

事象だけを見ても、朝鮮人が日本人を嫌う理由ももっともに思えてくる。

 

が、過去のことをいつまでもプロパガンダに利用される筋合いは我々にはない。

無理に仲良くする必要はないけど、お互い利益になるのであれば過去のわだかまりも飲み下していかねばならいのではないか。

 

ただ、今後もっと時間をかけていかないと、お互いの相互不信は紐解かれていかないように思う。

 日韓友好と一口に言っても、なかなか難しそうだ。

PR
電子書籍を読むなら、Paper WhiteよりFireがオススメです(絶対!)