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【第二次大戦】マイナーなファシスト政党7選

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8月15日は終戦記念日。

大戦で犠牲になった先人達に感謝の祈りを捧げるとともに、平和な世のありがたさを考える日です。

現在ヨーロッパではネオナチ政党が台頭しているそうですが、第二次大戦前はその前身とも言えるファシスト政党が猛威をふるった時代でした。

ファシストとは何か

1930年代はナチスを始めとしたファシスト政党が主にヨーロッパを中心に台頭し、武力を背景に法や経済を牛耳り、世界恐慌後の混乱した情勢を乗り切ろうとした時代でした。

ファシストといえば極右、というイメージが強いけど、実はその定義は曖昧で未だに議論があります。

ファシスト政党の哲学は右派左派的な思想が混在しており、学術上は一概に極右と見なせないらしい。

 

このような政党はドイツ・イタリアの専売特許ではなく、他の国々にも普通に見られた、当時の「流行」でもありました。

ここでは、歴史好きなら知ってるものから、とびきりマイナーなものまで、

あまり名前の知られてない「ファシスト」党を紹介していきます。

1. イギリスファシスト連合

設立

オズワルド・モズレーが設立。

元は与党で大臣を務めたこともあるヒト。
イタリアのファシスト党を視察して「これからは全体主義の時代だ!」と、えらく感銘を受けたらしい。
帰国後、イギリスをイタリア式の反共・保護主義の民族的全体主義国家に導くべく活動を開始した。

活動

好戦的で、経済的には大英帝国内で循環する保護貿易の徹底を主張した。

一時期は党員も数万人に増加したが、次第に反ユダヤ主義など親ドイツ的行動が目立ち始めるようなり、支援者が次第に離れていった。
第二次大戦勃発後は、政府により党としての活動を禁じられ、党員は抑留されてしまった。
モズレーはそれでも大戦後もファシスト党としての復権を目指して活動したが、次第に縮小していった。

 

2. ハンガリー 矢十字党

設立

サーラシ・フェレンツという人物が設立。

党旗にはハンガリー人の祖先である、マジャール人を象徴する「矢」をモチーフにした。

活動

ナチスの衛星的政党で、全体主義、反共、反ユダヤ主義を掲げ、選挙では25%以上の支持率を獲得した。
国内には複数の右翼的政党があったが、ファシズム運動のリーダー格となった。
ドイツの英仏開戦に伴い、ハンガリーも枢軸国側として連合国側に宣戦布告。主にバルカン・南東欧州戦線で戦った。
戦局悪化後、国内の停戦派・主戦派との抗争に打ち勝ち政権を健全掌握し、ドイツ軍とともに最後まで戦い抜いた。
戦後は戦犯として、党員の多くが処刑された。

 

3. ルーマニア 鉄衛団

設立

コルネリウ・コドレアヌが設立した「大天使ミカエル軍団」が母体となって設立された。

活動

全体主義、反共、反ユダヤという点では他のファシスト党とは同じだが、鉄衛団はルーマニア正教の宗教的イデオロギーを持つ点で特色があった。
1937年に軍団が選挙で全体の3番目の得票数を獲得。しかし、軍団の政治介入を憂いた国王が独裁体制を宣言。
軍団含み、国政の場は血を血で洗う混乱状態に突入した。混乱の中で党首コドレアヌは処刑された。


第二次大戦後、軍団はイオン・アントネスク将軍と接触し、政権を奪回。枢軸国側として戦争に参加する。
政権奪取後、軍団は凄まじい反ユダヤ政策を実行に移し、財産没収、公職追放、逮捕・処刑を堂々と行い始めた。
さらに軍団は協力関係にあったアントネク将軍を追い払い実権を握ろうとクーデーターを起こしたが失敗。

軍団はアントネスク将軍とドイツ軍によって弾圧され壊滅。

その後ルーマニアはなんと連合国に降伏し、枢軸国に宣戦布告

戦後は共産圏となった。なんと凄まじい二転三転ぷり。

 

4. 全ロシアファシスト党

設立

ロシア系アメリカ人であるアナスタシー・ボンシャツスキーという人物が設立。

活動

ワルシャワ出身のアナスタシーはロシア革命後の反赤軍闘争に破れ、妻の故郷であるアメリカに移住。全ロシアファシスト党を設立する。

主義としては、反共産、反ソヴィエト。「成功した」ドイツやイタリアのファシスト政党に倣い、昔日の「栄光のロシア」を取り戻す、としていた。

アメリカの親ナチスドイツ組織と協調関係にあり、日本のスパイであるマダム・タキタと共謀して日米戦争を画策した、とあるが本当のことはよく分からない。

アメリカが第二次大戦に参戦した後は、党首であるアナスタシーがFBIに逮捕され党としての活動も停止してしまった。

彼がどこまでファシズムに共感していたのか分からない。

主に活動はアメリカで行っていたし、少し他のファシスト党とは毛色が違うかもしれない。

5. アイルランド 復活の創造者たち

設立

Gearóid Ó Cuinneagáinという人物により1942年に設立された。

アイルランド民族主義、全体主義、カトリック原理主義のミックス。

活動

強力なリーダーシップを持つ国家の一党独裁を目指し、反ユダヤ、反英、北アイルランド強制奪還を主張。

最終的には、全体主義とカトリック信仰を世界に普及させることを目的とした。

保守的な宗教観と当時の先端思想がごちゃ混ぜになっていて興味深い。

1943〜1944の選挙では全く議席を確保できず、1945年の地方選挙でようやく9議席を確保できた(全議席の1%未満)。

しかし内部分裂をおこし、政党としての活動は徐々になくなっていった。

 

6. オーストリア 愛国戦線

設立

1933年にエンガーベルト・ドルフスによって、宗教政党と複数の右翼政党が統合して設立された。

党旗にはCross potentという、松葉杖のような、伝統的な十字架の意匠が使われた。

活動

オーストリアは神聖ローマ帝国の流れを汲む、偉大なハプスブルグ帝国の末裔である、とし、オーストリアがドイツの一部であることは認めるが、オーストリアはカトリックの国であって、プロテスタントのドイツによる統合に反対であるとした。

 

1933年、内戦により政権を掌握し、一党独裁を宣言。オーストリア共和国を設立した。

しかし、ヒトラーによってナチスシンパの人物を閣僚に送り込まれ、徐々に内側からナチス色に染められていった。

1938年、ヒトラーはオーストリア併合を強要。これに対し、首相のシュシニクは統合の是非を国民投票に委ねようとした。

しかし、ドイツは急遽オーストリアへ軍事侵攻し占拠。オーストリアはドイツによって併合され、地図から抹消された。

愛国戦線は併合と同時に、解党させられてしまった。

 

7. チリ国家社会主義運動

設立

1932年の南米チリで、カルロス・ケラーらによって設立された。

ヒトラーのナチスを模範とし、ドイツから資金援助も受けていた。

活動

1937年の選挙で3議席を確保した。

次の大統領選で、強権で知られた前大統領のカルロス・イバニェスを大統領にすべく、社会主義者連盟と統合し、人民自由連盟を設立。

しかし選挙前に党の過激派がクーデーターを起こし、国民の批判を浴びる

それが原因でイバニェスは大統領戦の出馬を辞退。影響力拡大は失敗に終わる。

 

第二次大戦後に党は散り散りになり、多くは中道右派政党の国民労働党に合流。

メンバーの急進的な言動も鳴りを潜めていったが、何人かのメンバーは独裁政権で知られる、第30代大統領アウグスト・ピノチェトの腹心になったという。