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ベトナムの名将ヴォー・グエン・ザップの軍事戦略論

人民の戦争・人民の軍隊―ヴェトナム人民軍の戦略・戦術 (中公文庫BIBLIO S)

米仏を打ち破った伝説的な戦略・戦術家

ベトナムは現在は新興国の一翼として経済発展が著しい国ですが、かつては信じがたいほどの長い間の戦争を経験しました。

フランスへの抵抗運動、抗日闘争、インドシナ戦争、そしてベトナム戦争。

長く続く戦乱の中で、人々の安定と平和を望む強い意志がベトナム共産党という組織を媒介にして結集し、愛国の名の下に多くの犠牲を払ってとうとう大国アメリカとフランスを追い出してしまいました。

数多くの英雄の中でも際立つ存在が、ヴォー・グエン・ザップ将軍です。

将軍は史上名高いディエンビエンフーの戦いでベトナム軍を大勝利に導き、インドシナ半島からのフランスへの全面撤退を達成させました。

先日、将軍がいかにしてベトナム軍をゼロから成長させフランスを打ち破るまでの精強な軍に育て上げたかを記した「人民の戦争・人民の軍隊―ヴェトナム人民軍の戦略・戦術 (中公文庫BIBLIO S)」を読みまして、これが非常に面白かったの今回内容を紹介させていただきたく思います。

 

前提となる議論

この本は1961年、インドシナ戦争から7年後、そしてベトナム戦争が始まる1年前に書かれたもので、当時ベトナムは北のベトナム社会主義共和国と、南のベトナム共和国に分断された状態です。半ば戦時体制にあった時に記された本ということもあり、共産党のイデオロギーを前提にして論述が進みます。

1ページ目にあるように、

一方は、革命的で人民的、かつ正義なもの、他方は反革命的、反人民的、かつ不正義なものである。

 と、まずは共産党の軍隊が絶対的な正義であるという大前提があります。

 人によってはこの時点で読むのを辞めてしまうかもしれませんが、この前提に従って読み進めていくと内容は首尾一貫しており、文章も論理的な構成となっています。

将軍がこの本で描く論説は

「いかにして武器も金も知識もない貧乏国が、強大な大国フランスを打ち破るに至ったか」

です。

 

戦略は長期戦でなくてはならない

この戦争はベトナム人の多大な犠牲をもたらしたわけですが、この戦争を戦う目的を将軍は

この戦争は人民の戦争であり、民族の独立を取り戻し、封建的土地所有者を打倒し農民に土地を与え、社会主義への道を切り開くこと

としています。そしてこの目的を達成するための戦略は「長期戦の戦略」でなくてはならないとしています。

  • ベトナム側は組織も知識も貧弱で、貧しいため戦うための武器もほとんどない
  • 一方で敵(フランス)は強大であり、まともにかち合うことはできない
  • 時間をかけて味方の勢力を強化しつつ、敵を消耗させる
  • 兵力のバランスが味方に有利になったら最後に勝利を掴み取る

まずは大都市で市街戦を交えた後に農村地帯へ撤退し、ゲリラ戦争を展開し敵を消耗させた後に、局地戦次いで大規模作戦に移って勝利を掴むというものです。

 

組織の規模を拡大しながらこのような戦略を維持し続けるのは至難の技と思われますが、それが成った理由は

教育工作、人民や党員間の思想闘争、軍事・経済両視点からの大規模な組織的努力、そして軍隊、人民、前線、後方の各々における前代未聞の犠牲と英雄主義

であると述べています。党が決定した長期戦略を人民軍に徹底的に守らせ、また党員や人民軍の兵士に至るまで教育を徹底し、もし方針に逆らう者がいたら容赦無く排除するということです。

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目的を達成するための手段・ゲリラ戦術

長期戦を展開して最終的に勝利を掴むための「適切な手段」がゲリラ戦です。

敵が強ければ敵をかわし、敵が弱ければ敵を攻める。敵の近代的武装に対しては、情勢に応じて敵を間断なく攻撃したり殲滅したり、軍事行動に政治的・経済的行動を組み入れたりして、打ち負かすために限りなく英雄主義で立ち向かうのである。

敵を打ち負かすことこそが「英雄的」であり、勝てない敵に立ち向かって玉砕することはこの文脈からは排除されています。英雄とは特攻隊のような類のものではなく、「敵に最大限の痛打を与え、味方の損失を最小限にするためのやむをえない犠牲」のような冷徹なニュアンスを含んでいます。

 

戦いに必要な武器は「敵から武器を奪う」が基本。

当時ベトナムには軍需工場は一つも存在せず、初めは降伏した日本軍から奪ったりフランス軍の旧式の銃を使い、足りない場合は「棒や槍、弓、鉈」のような原始的な兵器すら装備せざるを得ませんでした。

党は兵器の供給量が少ないことを懸念し武器工場を作るも全く追いつかない状態だったため、「戦闘によって奪った戦利品によって戦いを継続せよ」が党から人民軍の各兵士たちへの指令でした。

客観的にみたらとんでもない指令で、よくもまあ、末端の兵士たちはこんな無茶苦茶な指令を聞いて戦ったなと思うのですが、そのような兵士に育て上げることを可能にするのが「政治工作」であると将軍は述べています。

 

政治工作こそ軍の魂である

ちょっと長いですが引用します。

人民軍は、革命の任務を実現するための、党と革命国家の武装した手段である。党の目標に対する深い認識と、民族と労働者階級という大義に対する無限の忠誠と、そして無条件の犠牲的精神とが、軍にとっての根本的問題であり、基本的問題であった。それ故に隊伍における政治工作は極めて重要な意味があった。政治工作こそ軍の魂である。政治工作は、マルクス=レーニン主義思想を軍に叩き込むことにより、軍の政治意識と思想的水準を高め、軍の幹部と兵士の階級的立場を強化することを目標としている。また政治工作は、解放戦争の間、軍に長期的抵抗運動政策を確信させ、そして、人民と軍にとって諸困難を克服するには、自らの力に頼ることが絶対的に必要であることを確認させた。さらに、政治工作は地代の削減と農地改革を相次いで実現させるためには、大衆動員が深い意味を持つことを、軍に教え込んだ。このことは、軍の士気に対して決定的な影響を持った。

簡単にいうと、「党の言うことに絶対的に従うように兵士たちを教育する」ということです。

ここは結構重要な点なのですが、ベトナム人民軍は党の指導下におかれ、党の指導によって動く軍隊であるということ。

軍は暴力装置であり、存在自体に力があることから軍人独自の論理が働きやすく、場合によっては政府に反抗する場合があります。

ベトナム共産党はそれを未然に防ぐために軍を100%党の意向で動く組織とすることに全力を費やしています。

そしてコントロールした軍を通じて末端の兵士に「戦意を維持・強化し、真の愛国主義をプロレタリア国際主義に統合させ、革命英雄主義と『闘う決心と勝つ決意』のスローガンに要約されたわが軍隊の偉大なる伝統」を教えることで、自己犠牲を厭わない精強な軍を築き上げたとしています。

 

党はまた人民の信頼を得るために「人民を尊敬し、人民を援助し、人民を守る」という"名誉の宣誓"を兵士に遵守するように命じました。

「祖国を救い民族と労働者階級を解放する」という共通の目標のもと、軍は農民を助け、農民は軍を助けることで、「この戦争は人民の戦争である」という大義名分を末端の人々にまで組み込んだのです。

果たしてよく守られたか定かではありませんが、党と軍と人民を1つにするイデオロギーと行動原理が実際に民衆動員に大きな威力を持ったことは想像に難くありません。

 

人民軍を近代的な正規軍隊へ転換させる

人民軍は初めは装備も貧弱で、将校や下士官も農民出身だったのでゲリラ戦しかできませんでしたが、武器の作り方を自分たちで覚え、数々の試練をくぐり抜けて戦術も次第に洗練化され、戦闘能力が上がっていきました。

10数人の部隊から数百人の大隊にまで拡大し、フランス軍相手に大規模な会戦に打って出ることができるまでに成長。実際にディエンビエンフーでは統一した指令の元、大規模で連続した攻撃ができるようになるまで成長を遂げました。

ヴォー・グエン・ザップがこの本を書いている時は、ちょうど人民軍を「近代的正規軍」へと転換させている途上で、将軍は来るべきアメリカとの戦いに備え

初歩の基礎知識から始まり、計画に基づき体系的な定期的訓練を行うことが必須である。近代的戦争の要請に応えるためには、軍は近代的技術、各兵種の戦術、調整による戦術などを、近代的軍事科学として修得するよう訓練されなければならない。そこに至るために、われわれは一方で、兄弟諸国の軍隊の前衛の経験を修得するために可能な限り努力し、他方では、我が軍隊が戦闘において獲得した貴重な経験を重視しなければならない。(略)そして党の軍事方針と、敵味方の具体的に状況とに基づくこと、さらに、軍の訓練にとって適切な内容を定めるためには地形に基づくことも重要である。

と、一から軍のあり方を見直す必要に迫られていることを述べています。

戦術や組織、規則、武器などありとあらゆることを改革する意志が見られますが、そこでも

いかなる新たな規則も、軍の持つ人民的性格と党の指導が維持されていくことの絶対的必要性とかが反映された規則でなければならない

と、この戦いが掲げる目標とその実現のための戦略は決してブレてはならない、と釘を刺しています。

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まとめ

ヴォー・グエン・ザップ将軍が指揮した個々の戦闘の戦術に至るまで今回述べられたような戦略が基本になっており、一貫して継続できたのは奇跡に近いと思います。そのようなことが可能だったのは、

  • ベトナムには紀元前から中国の侵略に抵抗し勝利してきた歴史があること
  • 長い間の戦乱により人々の平和・安定への希求が強くあったこと
  • 抵抗運動の「倫理的な正しさ」がベトナム人のみならず世界中の人々に受け入れられたこと

というのが大きいのではないかと思います。

今回紹介したのが大前提の戦略にあたる部分で、この本には具体的に1945年の8月蜂起から1951年のディエンビエンフーの大勝利まで、党と軍がどのような戦術で戦いを成功させてきたかの詳細が述べられます。

全部紹介すると大変なので、興味がおありの方はぜひお手にとってご覧になってください。

 

参考文献