迷宮入りだった事件は、後年以外な展開へ…
オリンピックで使われる聖火は、歴代のオリンピックイベントで代々受け継がれていますが、オリンピックの旗も同じように代々受け継がれています。
現在は夏用と冬用のそれぞれ2つオリジナルの旗があり、冬用は1952年オスロ市寄贈のものが現在も使われており、夏用は1988年ソウル特別市寄贈のものが使われています。
実は夏用の初代旗はすぐに紛失しており、すぐに2代目の旗が作られたのが、後にとある老選手の告白により初代が発見されたのでした。
1. アントワープ市、五輪旗を世界で初制作
1920年にベルギーのアントワープで開催されたオリンピックの開会式では、以降のオリンピックの通例となる初のイベントがいくつか導入されました。
3つあり、一つ目は選手宣誓、二つ目に平和の使者であるハトを会場に放つこと、三つ目はオリンピック旗の掲揚でした。
このオリンピック旗はアントワープ市が制作し、国際オリンピック委員会に寄贈したもの。この旗は制作した市にちなんで「アントワープ旗」と言われます。
アントワープ旗は開会式にて披露され、オリンピック期間中はメインスタジアムに掲揚され、閉会式で降ろされる。そして次のオリンピック開催地のパリでも同様に利用される予定でした。
しかし、閉会式の前にオリンピック旗は紛失してしまい、関係者の必死の捜索にも関わらず発見できなかったのでした。
2. ニ代目五輪旗の登場
1924年の夏季オリンピック・パリ大会では、 パリ市はアントワープ市と同様にオリンピック旗を制作して国際オリンピック委員会に寄贈。開会式で初披露され、期間中にメインスタジアに掲揚され、紛失することなく無事に閉会式を迎えました。
パリ市が作った旗は1928年のアムステルダムオリンピックでも使われ、これ以降1988年のソウルオリンピックまで、メインのオリンピック旗として代々受け継がれることになったのでした。しかしどういうわけか、この旗は「パリ旗」ではなく「アントワープ旗」と言われ続けており、アントワープでの旗の紛失事件があたかも「なかったこと」のような扱いを受けていました。
この「アントワープ旗」はしばらくの間、夏季と冬期の両方のオリンピックで使われていましたが、1952年にノルウェーのオスロ市が冬期専用のオリンピック旗を制作し国際オリンピック委員会に寄贈したことで、アントワープ旗は夏季オリンピック専用旗となりました。
そしてオリジナルのアントワープ旗はやはり見つからず、誰もが迷宮入りと思っていた1997年、以外なところから真犯人が見つかったのです。
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3. 犯人の登場と現物の発見
Image from "How Armenian athlete stole Olympic flag, returned it and got a medal" Pan Armenian.net
「ああ、それならワシが持ってるよ」
1997年、アメリカ・オリンピック委員会が主催するイベントが開催され、アメリカの歴代のメダリストが一同に集まる大規模な催しとなりました。
ここに「レジェンド級」のゲストとして、1920年のアントワープオリンピックの飛び込み競技の銅メダリスト、御年100歳のハル・ハイ・プリーストも招かれ、マスコミのインタビューを受けていました。記者はプリーストに
「アントワープ大会で思い出すことと言えば、紛失した五輪の旗ですが…」
するとプリーストはこう言ったのです。
「ワシはその旗の捜索を手伝うことができるよ。なぜなら、旗はワシの家にあるスーツケースの中に入っているからさ」
周囲は騒然となり、信じられないと言った表情で驚く取材陣に対し、プリーストはその時の顛末を語りました。
オリンピックの期間が終盤に差し掛かったところで、プリーストら飛び込み競技アメリカ代表の若者たちは、酔っ払っていたのか、残り少ない祭典が寂しくなったのか、ふざけて「あの旗、取っちまおうぜ!」ということになりました。
チームメイトのデューク・カハナモクがするすると旗竿に登り、オリンピック旗を取って戻ってきた。彼らはそれを戻すでなく、どういうわけかそのままアメリカに持ち帰ってきてしまいました。
そして77年間も、アントワープ旗はプリーストの部屋に保管されていたのでした。
記者は尋ねました。
「いったい、なぜ今になって告白したのです?」
「ワシももう長くない。このままスーツケースの中に入れておくのはよくないと思うんだよ。もう、壁に掛けて飾ることもないだろうしね」
そのイベントから3年後、2000年の年に、103歳となったプリーストは国際オリンピック委員会にオリジナルのアントワープ旗を返還しました。
カハモナクが旗を引き抜く時に縁の部分が引き裂かれたらしく、そこの損傷はひどかったのですが、スーツケースの中に折りたたまれていたおかげで保存状態は大変よかったそうです。
この旗は現在はスイス・ローザンヌにあるオリンピック博物館に展示されています。
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まとめ
若気の至りとはいえ、国際的なシンボルを盗んで帰ってきてしまったプリーストは心中穏やかじゃなかったに違いありません。
ずっと「申し訳ありません。私がやりました」と謝りたかったに違いありませんが、その機会はなかなか訪れず、もしかしたらあったのかもしれませんが、決心が付かなかった。そして77年もの歳月が過ぎ、100歳になってようやく罪を告白したというわけです。何というか、ドラマですね。
しかし、「もう、壁に掛けて飾ることもないだろうしね」って、壁に飾ってたんかい!って突っ込みたくはなりますが。
参考サイト