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インドネシア共和国からの独立を図った国々(前編)

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多様な民族・宗教が入り交じるインドネシアの政治ゲーム

インドネシアはオランダとの独立戦争を経て、1948年にインドネシア連邦共和国として独立しますが、 反ジャワ人の民族やキリスト教徒の民族は旧宗主国オランダと結託し、様々な国が雨後の筍のように建国されました。

 それらの国は大部分は1950年付近で共和国に加入していくのですが、以降も独立運動を粘り強く行っていく地域も少なくありませんでした。

今回は、現在のインドネシア共和国を構成する土地の中で、独立を志向しますが失敗した国をリストアップしてみます(一部独立した地域あり)。

 

1. 東スマトラ国(1947年〜1950年)

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 マレー人優遇策の末に崩壊した傀儡国家

東スマトラ国は現在のスマトラ島の東部に存在した国。

戦前、宗主国オランダはマレー人の地方領主をスルタンに取り立てて小王国を41もたてて大規模に農場を経営していました。オランダと結託することでマレー人は美味しい汁を吸うことができたのですが、日本軍の蘭印占領によってオランダ人は追放されジャワ人の農民がスマトラ島に侵入し、農地が占領されてしまいました。

インドネシア共和国の独立宣言後、スマトラ島のマレー人はジャワ人に「オランダの手先」と批判され襲撃を受けることもあったため、マレー人の王族や地主層の間では反ジャワ感情が高まり、オランダ支配へ回帰を求める声が高まりました。

そして1947年夏にオランダ軍が東スマトラを占領すると、マレー人のスルタン主導で12月に東スマトラ国の独立が宣言されました。

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オランダ人は東スマトラ国を正式な国家として国際的にも認めさせることを目標としており、そのために戦前のような封建社会ではなく、ジャワ人も含めて全ての民族が平等な社会の構築を目指しました。しかしマレー人は、あくまで東スマトラ国はマレー人の国であり、ジャワ人は徹底的に排除する、という態度を崩しませんでした。

結局オランダとマレー人スルタンの支配が復活しただけで失望が広がり、東スマトラの住民は次第に「王政廃止」「民主主義」「民族平等」を掲げる共和国への支持を広げていきました。共和国も東スマトラでのプロパガンダを強化し世論は共和国への統合に傾いていき、1949年末のインドネシア連邦結成後、東スマトラ国は解体し共和国へ統合されました。

 

 

2. 南スマトラ国(1948年〜1950年)

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資源豊かなスマトラを囲い込むべくオランダが作った傀儡国家 

スマトラ島は1946年のリンガルジャティ協定でインドネシア共和国の領土とされましたが、オランダは石油やゴムなどの資源確保を目指し、この地に傀儡国家を立てて間接支配を行うことを目指しました。

第二次世界大戦で日本軍はインドネシアを占領し、ジャワ島以西は陸軍が、バリ島以東は海軍がそれぞれ軍政を敷きましたが、同じ陸軍でもスマトラ島は第25軍の支配下にあり、ジャワ島は第16軍の支配下にあったため、両島はほぼ分断状態にありました。

戦後インドネシア共和国の独立が宣言されると、スマトラ島の独立運動家はスカルノらジャワ人主導の独立を警戒するようになりました。そこに目をつけたオランダが、スマトラの独立運動家を抱き込み、古都パレンバンを首都にしてスマトラの独自国家「南スマトラ国」を設立。共和国へ対抗させようとしました

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オランダは最終的には、スマトラの諸民族が統合したスマトラ統一国家の樹立を目指しますが、住民は特に盛り上がりもせず、オランダが共和国内部の混乱に乗じて軍を全面展開した「第二次警察行動」以降、共和国への同情の感情が高まり、独立からわずか1年後の1949年12月にインドネシア連邦共和国の構成国となり、その後完全統合され消滅しました。

 

 

3. 大東国→東インドネシア国(1946年〜1950年)

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日本海軍の支配地域を活用してオランダが作った傀儡国家 

東インドネシア国は、現在のバリ島からニューギニア島西部に至る広大な地域を版図とした国。

第二次世界大戦中に蘭印を占領した日本軍は、ジャワ島やスマトラ島は陸軍が支配し、バリ島からニューギニア島までは海軍が支配し、それぞれ軍政を敷きました。日本敗戦後、再度インドネシアを植民地としようとするオランダは、この日本軍による分割統治をそのまま引き継ぎ、海軍支配地域を大東国(ネガラ・ティモール・ベサール)として独立させ、大統領にバリ島の貴族スカワティが選ばれました。

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ところが広大な領土、多様な民族が存在し、アンボン人や北セレウェシ島住民はオランダの復帰を歓迎しますが、バリ人はスカルノの母がバリ人であることもあって共和国寄り。それぞれの島で地元の王がバラバラに統治をし、国としてまとまる期間はほぼなく、第二次警察行動でオランダを批判。共和国への編入を希望するようになり、1950年8月に消滅しインドネシアに統合されました

しかし、キリスト教徒の島や蘭印軍として働いた者など、共和国編入に反対する住民も根強く、アンボン島は南マルク共和国の独立を宣言し、セレベス島南部でもイスラム急進派がダルル・イスラムというイスラム原理主義を作り、1960年代半ばまで闘争を繰り広げることになります。

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4. マドゥラ国(1948年〜1950年)

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ジャワ島東部のマドゥラ島にあった傀儡国

マドゥラ島はジャワ島東部のスラバヤの沖合にある島で、マドゥラ人は伝統的にジャワの支配に抵抗してきた歴史を持ち、マドゥラの男は勇猛な戦士として知られました。

インドネシア共和国成立後、オランダ軍はマドゥラを占領して住民投票を実施させ、「賛成多数」であるとして独立を宣言させ、マドゥラのスルタンの1人、ジャクラニングラトを元首に就任させました。産業の乏しいマドゥラでは、男たちはオランダ軍の傭兵稼業で稼いでくるしかなく、多くの男たちがオランダに協力しました。

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しかし、1948年12月にオランダが第二次警察行動に踏み切ると、マドゥラ人は一斉にオランダに反発。文化的に近いインドネシアとの統合を望む人が増え、1950年に共和国に吸収合併されました。

 

 

5. パスンダン国(1948年〜1950年)

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 最後までグダグダだったスンダ人の国

パスンダン国は別名西ジャワ国とも言い、ジャワ島の西部に成立した国です。

ジャワ島西部にはスンダ人が住んでおり、スンダ人は16世紀頃までパジャジャラン王国という独自の王国を築いていたこともあり、反ジャワ感情が強い地域です。

そんな民族感情を利用し、オランダは西ジャワを独立させて共和国の領土を縮小させようと企み、1948年に西ジャワから共和国軍が撤退した後に西ジャワ国を設立させました。3ヶ月後にはパスンダン国と改名し、元首には王族のウィナタクスマが就任しました。

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しかしスンダ人の若者はこぞって共和国軍に参加し、議会も西ジャワの独立の疑問を持つ者が多数派な有様。第二次警察行動以降は、パスンダン政府もオランダを批判し、共和国寄りの立場を鮮明にし、50年3月に共和国により政府は解散させられ、インドネシアの一部となりました。

 

 

6. 東ジャワ国(1948年〜1950年)

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 共産主義者の反乱に乗じてオランダが作った傀儡国家

傀儡国を使って次々とインドネシア共和国を分割していったオランダは、インドネシア第二の都市スラバヤがある東部ジャワの分割を目論見ました。

1948年、共和国内部は対オランダ協定で対立が続いており、その混乱に乗じて共産主義者のピソがソ連より帰国し、スラバヤに近いマディウンという町で共和国軍の一部を同調させ「インドネシア・ソヴィエト共和国」の建国を宣言。すぐさま共和国のスカルノとハッタは共和国軍を派遣して鎮圧するのですが、これによりジャワ東部は混乱状態に陥りました。

この混乱に乗じ、1948年11月にオランダはスラバヤを首都に東ジャワ国を成立させ、バニュワンギのスルタン・クスモネゴロという男を首班に据えました。

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しかし、あまりに急ごしらえで作ったので、東ジャワ国の行政は引き続き共和国の役人が担っており、オランダは東ジャワが共和国へ編入することを恐れ、共和国の役人を追い出しにかかりました。

これを恐れたのが東ジャワの王族や地主層。役人が不在になり行政が滞ると再びピソのような共産主義者が支配するかもしれない。そこで東ジャワ政府は自ら共和国への編入を要請し、わずか1年たらずで消滅しました。

 

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つなぎ

オランダは今や環境先進国として国際的に良いイメージが定着していますが、実は植民地の維持確保のためにかなりエゲツないことをやってきています。

そして、インドネシアを構成する各島々の利害対立、民族対立。そして日本軍の分割統治と事情が麻のように絡まって複雑極まりない状況でした。

これだけでなく、まだまだ分離国家はあります。後半に続きます。

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 参考文献

 消滅した国々 - 第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国 吉田一郎 社会評論社

消滅した国々―第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国

消滅した国々―第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国