歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

アメリカの実験的な「ユートピア建設計画」

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 理想主義者が作った「素晴らしき共同体」とは

一般的にはコミューンと言われますが、何か先鋭的な社会の仕組みが発明された時、それが実際に人々が生活を営む社会でどうワークするかを実験する小さな共同体が作られる場合があります。

大抵、現在の社会と離れた山奥や孤島などに作られ、経過が観察されるのですが、当然ながら上手くいくケースのほうが少ないです。もし仮に上手くいったとしても、実際に社会に適応した時に上手くいく保証もありません。関係する因子が多すぎて、どのような因果関係でワークするのか、誰も証明できないのです。

社会とは偶然や感情や各種しがらみのなかで、とても理性的とは思えない形で作られていくのですが、実際に自らが理想とするユートピアの実現を目指した者たちがアメリカには数多く存在します。 

1. フルーツランド・コミューン

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Photo by victorgrigas

聖書のエデンの園を再現しようとしたコミューン

フルーツランド・コミューンは1893年6月にマサチューセッツ州に誕生したコミューン。発起人は教師・作家・詩人のブロンソン・オルコットという男で、構成員はオルコットの妻と娘たちを含むわずか14人。

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コミューンの目的は「地上に再びエデンの園を復活させること」。

そのため食べるものは「フルーツなど木になるもの」のみで、動物性の食べ物は「生命力の犠牲」であるとして一切禁止。 

暖をとるのも灯油は禁止だし、着るものも羊毛や毛皮は禁止。耕作するにも肥料が禁止という徹底っぷり。

そこまでして原始的な生活を再現しようとしたのですが、メンバーの中に農業の経験者は皆無。すぐに飢えに苦しむことになり、また厳しいマサチューセッツの気候がメンバーに追い討ちをかけます。弱った体に簡単に病原菌が感染し疫病が蔓延。わずか7ヶ月後の1844年1月にコミューンは閉鎖されました。

ちなみに当時10才だったオルコットの娘ルイーザは、成長し著名な小説「若草物語」を記しました。若草物語はピューリタンであるマーチ家とその4人の姉妹を描いたもので、敬虔なクリスチャン一家だったオルコット家がそのモデルになっています。

若草物語 (新装版) (講談社青い鳥文庫)

若草物語 (新装版) (講談社青い鳥文庫)

 

 

2. ハーモニー・アンド・エコノミー

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Photo by Timothy K Hamilton Creativity+ Photography

 キリストの復活を向かいれるためのコミューン

ハーモニアス・ソサイエティは18世紀にドイツで成立した再洗礼派(アナバブティスト)のセクト。創設者のヨハン・ジョージ・ラップとその息子は自由を求めて1803年にペンシルベニア州に移住しました。彼らは勤勉に農業に励むことで大いに繁栄し、セクトは19世紀半ばには2万5,000エーカーの広大な土地に農場・工場がいくつもある有力な経済地域となっていました。

この土地に彼らは「ハーモニー・アンド・エコノミー」と名乗る共同体を設立。

来るべき最後の審判とキリストの復活に向けて、メンバーは共同体の拡大と富の拡大、そしてコミュニティ内での生殖に励んだのでした。実際セクトにはかなり多くの若い女性がいたそうです。

1829年、セクトは何者からか「ユダのライオン」の到来を告げる手紙を受け取りました。とうとうその日がやってきたと覚悟をするセクトのメンバー。すると、自らをメシアと名乗るヨハン・ゲオルグ・ゲントドンという男がハーモニー・アンド・エコノミーに来訪。ヨハン・ラップはゲントドンを「ユダ」と糾弾しますが、カリスマ的なゲントドンはセクトの少なくないメンバーを「ゲントドンこそメシア」と信じさせることに成功。この対立が決定的になりセクトは分裂してしまいました。

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3. オネイダ・コミュニティ

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「聖書共産主義」を実践したセクト

オネイダ・コミュニティはニューヨーク州オネイダに存在したセクトで、彼らが住んだオネイダ・コミュニティ・マンションは現在でも存在します。

セクトを創立したのはジョン・ハンフリー・ノイズという男で、彼は神学校でひたすら聖書の研究をし「聖書にはこの世のすべての事柄が記されている」と信じました。そして、キリストの再臨は「キリストの弟子が存命中に起こっていた」のであり、人間の努力により「地上の楽園」は実現できるとの確信に至ったのです。

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彼はニューヨーク州オネイダのマンションにキリストの教えを実践する共同体を設立。それは「聖書共産主義」とでも言うもので、全ての私有が禁止され、財産は共同体のもので、結婚も私有に繋がるとして禁止され、プログラムに従って構成員が交わり子を儲けるルールでした。1869年から1878年までに58人の子が生まれ、共同体の中で育てられました。

その後オネイダ・コミュニティは試行錯誤の末に食器製造、果物保存、絹糸の製造などいくつかの収益性の高いビジネスを作り出すことに成功し、構成員は300名にも成長しました。

しかし1878年にトルネードの被害にあい居住地に大きな被害が出て共同体が崩壊。1881年に解散しました。

しかし彼らによって作られたビジネスは現在でも存命で、それが世界最大級のステンレスと銀食器のメーカー、オネイダ・リミテッドです。 

 

4. ニュー・リャノ

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アメリカで社会主義を実践した法人共同体 

1917年、カリフォルニアで社会主義を実践する共同体リャノ・デル・リオが設立されました。農業を中心にし全ての構成員に平等に富を分け与えるシステムで運営されていましたが、水不足のためカリフォルニアを放棄しルイジアナ州に移住。ニュー・リャノを設立しました。

彼らは地元の会社「Gulf Land & Lumber Company」を買収し、全ての構成員を社員としビジネスを展開。さらに新たなメンバーを迎えるために新聞に積極的に求人広告を打っていました。そのような会社の方針に加え、なかなか利益が出ずに不満が高まっていき、内部対立が発生し、一時は解散の危機に直面することになりました。

しかし、世界恐慌の発生で一転。「全てのメンバーに衣食住が保証されていること」の魅力が伝わり、新規入社希望者が殺到することになります。会社は希望者たちを受け入れるのですが、あまりにもその数は多く支出が膨大に膨れ上がりました。

とうとう1939年に経営破綻でニュー・リャノは解散し、建物や土地はすべて売却されました。 

 

5. 真実の家

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「この世のあらゆる事柄の中心」とされた砂漠のコミューン 

「真実の家」は、ユタ州のドライ・バレーにあったコミューンで、設立したのはオカルト信奉者のマリー・オグデンという女。

オグデンは長年スピリチュアル研究で著名だった人物で、「真実の学校」などの伝道活動で自身の教えの啓蒙活動を行なっていました。オグデンは信者たちに「私有の禁止」と「菜食主義」を強く求め、またオグデンが「神からの言伝」を賜る「魔法のタイプライター」の存在を認めなくてはなりませんでした。オグデンは「神からの言伝」を受け取ると、タイプライターでそれを打ち、神のお言葉として信者たちに布告していたのでした。

1933年にオグデンは信者たちと共に、「真実の家」を開き共同生活を始めました。この地はモルモン教の本拠からさほど離れていないユタ州の砂漠地帯で、オグデンはこの地は「この世のあらゆる事柄の中心地」であると信者に説明していました。

地元の新聞社San Juan Record社を買収。積極的に世に自分たちの教えを発信し始めました。1935年、オグデンは真実の家のメンバーの1人であるエディス・ペシャクの「体の浄化」についてまとめた「魂の復活(Rebirth of Soul)」という本を出版しました。これはエディス・ペシャクが正しい教えと修行により、瀕死の状態から奇跡的な復活を遂げつつある、としたもの。怪しんだ捜査当局は施設内の立ち入り調査をしようとしましたが、彼女の修行は「健康上のリスクは少ない」と判断され、調査以上の捜査はできませんでした。しかし次第にペシャクの体はほぼミイラ状態になっていき、どこかのタイミングで衰弱死しました。

2年たってもペシャクが復活してこないことで、コミューンの中でのオグデンの信頼は失墜。信者たちは次々と真実の家から去っていき、コミューンは崩壊しました。

 

6. オクタゴンシティ

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八角形と菜食主義で健康に生きることを目指したコミュニティ

オクタゴン・シティはその名の通り、全体が八角形で構成された街。

これは1856年にヘンリー・クラブという男が打ち出したアイデアで、「空間を最適化し、空気の循環を良くし、太陽光を自然に取り入れることができる」というデザインとされました。

そしてこの街に住むには一つの絶対的なルールを守らなくてはなりませんでした。それは「菜食主義」であること。

当時のアメリカは既にストレス社会で、仕事に忙殺され食は不規則で、住環境は悪くなる一方。ヘンリー・クラブはそのような状況を憂い、人間が健康的に長生きするための街というコンセプトを打ち出したのでした。

クラブは肉を食べないことが長生きの秘訣であると信じており、教育を受けたアッパークラスに必ずや需要があると思っていましたが、移住希望者はなかなか現れず、とうとう跡形もなく失敗に終わりました。

 

7. 荒野の女性協会

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最後の審判を見守るためのコミューン

1690年代、ドイツのルター派の司祭でハイデルベルク大学の教授だったヨハン・ジマーマンは、「数秘術・錬金術・占星術」を信ずる同志を集め、アメリカ・ペンシルベニア州に移住する計画を立てました。

「保守的」なドイツでは彼らの活動はずっと嘲笑の対象であったのに対し、ペンシルベニア州ではウィリアム・ペンが宗教の寛容性と自由なコミュニティを模索する社会実験を始めていたので、自分たちの理想とする社会がアメリカで作れると信じたのでした。

ジマーマンは出発前に他界してしまいましたが、リーダーのヨハネス・ケルピオスと仲間たちはペンシルベニア州に移り、「荒野の女性協会」という名のコミューンを作り、数秘術や錬金術など自分たちの学問を追求しました。彼らは最後の審判とキリストの復活は1694年に起こると信じていたので、巨大な望遠鏡を設置して常時観察し、いつ復活が行われてもいいように準備を怠りませんでした

残念ながら最後の審判は起こらず、ケルピオスも1704年に死んでしまいます。残されたメンバーは今後このコミューンをどうするか迷いつつも、多くが知識人であったので地元の人々に医術を施すなどの貢献をしながら、以降40年間続きました。

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まとめ

実験的といえばそうですが、自らが理想とする宗教的情熱を達成しようとする試みが多いですね。おおよそ失敗に終わっていますが、中にはオネイダやニュー・ラノのようにそれなりに成功した事例もあります。

計画的で合理的なシステムというのは、人間の目が行き届くある程度小さな組織では成果が出るものなのかもしれません。組織論にも繋がる興味深い事例と思います。

 

 

参考サイト

"10 Ambitious Plans For Creating Utopian Communities In America" LISTVERSE

"Oneida Community Mansion House: Historic Structure Report"