歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

2回も死刑執行された黒人少年ウィリー・フランシスの悲劇の物語

f:id:titioya:20170928151634j:plain

疑惑まみれ裁判で死刑になった少年ウィリー・フランシス

歴史上、死刑執行に失敗してやり直した事例はいくつもあります。

アメリカ・ルイジアナ州で1944年に起きた殺人事件の容疑者ウィリー・フランシスも、死刑執行をやり直した人物の一人です。

ただし、この死刑執行とその前後の顛末はあまりにもむごたらしく、アメリカ現代史の黒歴史の一つといってもいいと思います。

ちょっと胸糞悪い話なので、苦手な方はご注意ください。

 

 

1. 薬剤師アンドリュー・トーマス殺害事件

 1944年11月9日、アメリカ・ルイジアナ州セント・マートンヴィルの薬剤師アンドリュー・トーマスが、自宅にて至近距離から5発の銃弾を受けて死亡しているのが発見されました。トーマスの自宅からは財布や懐中時計といった貴重品が盗まれており、警察は金銭目当ての殺人事件として捜査を開始しました。


ところが、捜査開始後9カ月近くも何も糸口がつかめず、警察は焦り始めていました。
そんな中1945年9月、現場から150マイル(241キロ)近く離れたテキサス州にて、ウィリー・フランシスという名の16歳の黒人少年が、麻薬密売人を捜査中の警察官に呼び止められました。フランシスは離れて住む姉妹を訪問するために旅行中だったので、大きなスーツケースを持った貧しそうな黒人少年が疑われたわけです。


スーツケースの中から麻薬は発見されませんでしたが、フランシスの持っていた財布が、なんと殺害されたアンドリュー・トーマスの所持品であったことが発覚。フランシスはすぐに逮捕され、殺害容疑で警察に拘留されることになりました。

 

 

2. フランシス自白強要疑惑

フランシスが逮捕された時点で、証拠となるものは財布だけで、アリバイや殺害の証拠品などはまったく存在しませんでした。そんな中でどういうわけか、フランシスは殺害に関する供述書を書き、署名をしています。

私はウィリー・フランシス、16歳です。私はセント・マートンヴィル・ラにあるOgise氏より銃を盗み、アンドリュー・トーマスを11月9日に殺害しました。私は4ドルのカードが入った黒い財布を持って行きました。私はまた、懐中時計を持っていき、ニュー・イベリア・ラで売りました。38口径のピストルは捨てました。

この供述書には、警察の「自白を強要していない」という証明書も含まれていました。
翌日に、フランシスは2回目の供述書を書き、再び署名しました。

はい、確かに、ウィリー・フランシスは1944年11月8日にアンドリュー・トーマスを殺害しました。私は午後11時30分ごろ、彼の家に行きました。 私は彼のガレージで約30ほど隠れ、彼がガレージから出てきたとき、彼を5回撃ちました。これはすべて私が覚えていることです。よろしくお願いします。ウィリー・フランシス

この2枚の供述書を書いた後、突然フランシスは無罪を主張しました。
この供述書は後に、警察がフランシスに自白を強要して書かせたものである可能性が非常に高いとされるのですが、この供述書は決定的でした。


アンドリュー・トーマス殺人事件の裁判が開かれますが、裁判当初はなぜかフランシスに弁護人はついておらず、後につきますが「彼が無罪である証拠がない」としてほとんど弁護を行いませんでした。
殺害に使われたと思われる銃は、犯行現場から近くで発見されたのですが、裁判が始まる直前に指紋の採取が行われることなく「理由不明の紛失」。
裁判開始のわずか2日後に、12人の白人の陪審員と裁判長の満場一致で「死刑」の判決が下りました

証拠がまったく不充分、弁護人の弁護もほぼない、しかも未成年に対してです。

 

PR

 

3. 電気椅子での死刑執行

死刑執行は1946年5月3日、「Gruesome Gertie」と呼ばれる電気椅子によって行われました。

ところがその時、刑の執行担当の職員エフィー・フォスターとヴィンセント・ヴェネズィアは酒に酔っぱらって酩酊しており、フランシスの体へのセットアップを雑に行っていたのです。
フォスターはフランシスに「あばよ、ウィリー」と言ってスイッチを押しました。
その瞬間、フランシスの体は椅子の中で激しく震え始め、悲痛な叫び声が刑場に響きました。
「外してくれ!外してくれ!」
この時の苦痛をフランシス本人が述懐しています。

100とか1000とかの針やピンで全身を刺されて、左足はカミソリの刃で刻まれているような痛みだった。始めに僕の腕が跳ね上がって、次に体全身が跳ね上がったんだ。そうなると振動が止まらなくなって、それがくすぐりとかだったら面白いんだけど。1分くらい跳ね続けて、もう死んだと思ったけど僕は生きていたんだ。

執行は酔っ払い職員の不手際で、フランシスに苦痛を与えただけで失敗に終わりました。
意識が朦朧とするフランシスに対し、まだ酔っ払い状態にあるフォスターは

「今回は見逃してやろう。来週にまた会う時は、鉄の棒を持ってきてやるからな」

と言い放ったそうです。胸糞悪い…。

 

 

4. 2回目の死刑執行

死刑執行の失敗で、すぐにやりなおしのスケジュールが組まれようとしていましたが、ここにおいて、法的手続きに疑問を抱いたフランシスの父親が弁護士バートランド・ド・ブランに依頼し、異議申し立てを行いました。
ド・ブランは別にフランシスが無罪と思ったからではなく、「二度も電気椅子を受けさせるのは人道的観点から問題がある」と考えたからです。


ド・ブランは事件の詳細を調べ始めましたが、これがとんでもなくずさんな調査であったことがすぐに明らかになってきました。

  • まず、殺害に使われた銃はセント・マートンヴィルの副保安官が持っていたもの。被害者であるトーマスは以前町の女性に不倫関係を持ちかけたことがあり、副保安官は激怒しトーマスを銃で脅して殺害をほのめかしたことがある。
  • フランシスが時計を売ったとされる宝石店の店員は、フランシスのことを見たことがないと証言した。
  • トーマスの隣人は、トーマスが殺害された日、銃声の少し後にクルマのライトが点灯し走り去るのを見たと証言したが、フランシスはクルマを運転したことがなかった。
  • 銃弾はトーマスの背中と頭部、人間の急所に確実に撃ち込まれており、銃の扱いに慣れた人間の犯行であるのは明白だが、フランシスは貧しく銃の扱いをあまり知らなかった。

このようにフランシスが犯人である証拠は、彼がなぜかトーマスの財布を持っていたという事実以外になく、捜査も審議も極めてずさんであることが分かったのですが、既に判決が出て既に1回死刑が実行されている以上、判決をひっくり返すことは至難の技でした。


そこでド・ブランは「2回も死刑を行うのは非人道的である」という主張のみで、最高裁判所まで争うことになります。
人々もド・ブランの主張に賛成するか、またはフランシスが実際に無罪であると思っていました。
ド・ブランは最高裁判所の判事を説得し、何人かは彼の主張に賛同しますが、多数決「5対4」で、フランシスの再度の死刑の実行が決定しました。ド・ブランは判決の不服を申し出ようとしますが、フランシスは「僕の母は病気で、これ以上ストレスを与えたくない」と言い、死刑を受け入れたのでした。

そして1947年5月9日、フランシスは再度電気椅子に座りました。言い残すことはあるか、という質問に対しては「まったく何もない」と答えました。
そしてスイッチが押され、2回目は確実に、電気椅子はフランシスを死亡させました。

 

 

 

まとめ

 今となっては真実は分かりませんが、おそらく組織ぐるみ・町ぐるみの隠ぺい工作が行われ、罪のない貧しい黒人少年がその生贄になったと考えるのが自然です。

証拠が不十分にも関わらず、偏見に満ちたずさんな裁判が形式的に行われただけで、未成年の少年が電気椅子に送られ、しかも2回も恐怖を味わなければならなかったのです。死刑執行の担当者の態度も吐き気をもよおします。

差別や偏見がいかに醜悪なものかを、見せつけられる事件だと思います。

 

 

参考サイト

"THE TEENAGER WHO WAS EXECUTED TWICE" TODAY I FOUND OUT

Willie Francis - Wikipedia

PR