歴ログ -世界史専門ブログ-

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ヒトラーが戦争勝利後に計画していた「世界新秩序」

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 Photo credit: Bild 183-1987-0703-507

ヒトラーとナチスが計画していた世界秩序とは

現代の世界は、第2次世界大戦の戦勝国主要5カ国・米ソ(露)英仏中を中心とした国際秩序で成り立っています。勝てば官軍の非常に分かりやすい国際秩序ではあります。

これは戦勝国である連合国が築いた国際秩序ですが、では負けた枢軸国が計画していた国際秩序とはどのようなものだったか。

あれだけデカい戦争をおっ始めたのだから、ヒトラーとナチスには戦争後にどのような世界を作り直すかの青写真がちゃんとあった(と信じたい)のですが、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

 

 

1. 大ドイツ帝国の構築

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Work by Hayden120

 「本来のドイツ民族の土地」によるヨーロッパ帝国

大戦勝利後、ナチスは「本来のゲルマン民族の土地」と考えられる土地を全て統合した「大ドイツ帝国」を建国しようと考えていました。その領域は西はフランス北部から、東はカフカス、北はノルウェー、南はアドリア海にまで至る広大な地域。

ゲルマン系民族やゲルマン系言語の現在の居住地&かつての居住地がその対象と考えられました。

ドイツ国内の貧困農民などをポーランドやウクライナ、ロシアなどの「本来はドイツ人の土地であった場所」に入植させることが計画されたのでした。

そのためにナチスはスラブ系民族の追放を計画します。ナチスがユダヤ人を根絶させようとしていたのは非常に良く知られていますが、その次に好ましくないのはスラブ人という文脈が語れるようになりました。

 

 

2. スラブ系住民の奴隷化・根絶

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Credit: Bild 185-23-21

ドイツ人悲願の東方植民の完成を目指す

大ドイツ帝国構築のためには、東ヨーロッパに住んでいるスラブ人を追い出すことが焦眉の課題でした。

ドイツ人の宿敵であるスラブ人を根絶しドイツ人の世界を東方に広げるべく、ヒトラーは「Generalplan Ost」と呼ばれるスラブ根絶計画を立案しました。

それによると、まずはソ連やポーランドなどの国々の指導層や知識人層などの政治的・文化的影響力を持つ人々を全て粛清する。ソ連との戦争に勝利した後は、約3000万のスラブ系をシベリア送りにし、その他をすべて奴隷として売り払う。そして向こう30年をかけて、その他の地域のスラブ系住民約5000万人を強制収容所送りにするか殺害するというものです。そして空いた土地に1000万人のドイツ人入植者を送り込む計画でした。

どこまで本気だったか分かりませんが、実際にポーランド併合後からドイツ系住民が入植を開始し現地の武装勢力との小競り合いが起きたりしているので、もしドイツがソ連に勝っていたら、ユダヤ人の悲劇どころではないとんでもない悲劇が起こっていた可能性が高いです。

 

 

3. 中部アフリカ地域のドイツ植民地化

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枢軸国陣営によるアフリカ三分割

ヒトラーは戦争勝利後、アフリカを大きく三分割することを目論んでいました。

すなはち、北部アフリカは同盟国であるイタリアの領土、中部アフリカはドイツ、南部アフリカはズールー系民族の親ナチ政権の領土とされました。

 ただし、ドイツ系住民の植民を目的としたものではなく、あくまで「経済的な利用価値」が見込まれたものでした。すはなち、豊富な天然資源と労働力です。

ドイツ領中部アフリカには、アフリカにおける1914年以前のすべてのドイツ植民地領と、フランス・ベルギー・イギリスの植民地の追加部分が含まれていました。

現在で言うと、コンゴ、ザンビア、ジンバブエ、マラウイ、ケニア南部(ケニア北部はイタリア領)、ウガンダ、ガボン、中央アフリカ、ナイジェリア、コートジボワール、ザンジバル、ニジェール、チャド、ダカール、バサーストの海軍基地が含まれています。

そしてアフリカ大西洋岸を結ぶ巨大な空軍基地・海軍基地を築き、ノルウェーのトロンハイムを結んで、西半球の防衛ラインを設定することが構想されていました。

 

 

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4. ドイツと日本によるアジア分割

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Work by Kmusser

枢軸国でアジア大陸を2分割するプラン

1942年、ドイツと日本との間で秘密外交会議が開催され、エニセイ川沿いの線に沿ってアジア大陸を大きく二分割統治することが合意されました。

このプランの草案は、駐ドイツ大使・大島浩によって提出されたもので、インドを日本領としインド洋でのドイツ海軍の行動が制限されるものだったため、ドイツ外務省と海軍によって拒否されました。しかし最終的にヒトラーはこの条約を受け入れ、1942年1月18日に署名するに至りました。

これに基づき枢軸国側の攻撃計画も設定されますが、ドイツ軍は新たに設定された「ドイツ圏」に日本軍が入ることを拒否したため、ドイツ軍と日本軍との戦略的共闘は達成されませんでした。

当時は日本軍のインド洋の制海権確保とセイロン島攻撃はある程度の成果を上げていたものの、日本単独では厳しく後に撤退することになります。

これはインド洋とセイロンが「日本圏」であったからで、もしドイツ軍との共闘が実現していたら違う結果になったかもしれません。

また、連合国軍は日本軍のマダガスカル島攻略を非常に恐れましたが、ここは「ドイツ圏」であったため、1942年4月に日本軍のマダガスカル攻撃が一度は実施されますが、再び日本軍が軍事支援が行うことはありませんでした。

 

 

 

5. アメリカ大陸を先住民に返す

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「ネイティブ・アメリカンはアーリア人種である」

ナチスは「アメリカの先住民はネイティブ・アメリカンであり、アメリカの土地はネイティブ・アメリカンに返されるべきだ」と主張しました。

アメリカのネイティブ・アメリカングループ「アメリカ・インディアン連盟」は狂喜し、ナチスへの協力を積極的に行うようになりました。中には鉤十字のマークを身に付け、ヒトラーに心酔する者まで現れました。

ナチスは「ネイティブ・アメリカンはアーリア人種である」と公式に宣言し、アメリカ政府を転覆させるためのプロパガンダをネイティブ・アメリカングループに伝達していました。それに応える形で、連盟の「チーフ・レッド・クラウド」という男は、「ドイツ軍がアメリカに上陸した暁には、75万のネイティブ・アメリカンの男たちが一斉蜂起するだろう」と述べました。

 

 

6. 中東・中央アジアはムスリムが支配する

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Photo credit: Heinrich Hoffmann

 反英・反共・反ユダヤグループとしてのムスリム

ナチスはムスリムとの連携を重視していました。

「敵の敵は味方」 という発想で、ユダヤ人と対立するムスリムの味方として、中東地域で覇権を握ったイギリスへのカウンター、または宗教を悪として断罪する共産主義へのムスリムの反感から接近したのだと思います。

ヒトラーは「クリスチャンとムスリムは非常に似通っている」などと述べ、かつてのイスラム帝国の領土と同じペルシアから小アジア、北アフリカまでの領土の領有を認め、さらにはイタリア半島までも領有を容認するなどとしました。

ヒトラーはエルサレムの大ムフティー、ハッジ・アミン・アル=フセインとつながっており、ソ連との戦争が終わった暁には、パレスチナのユダヤ人を全て虐殺する約束をしていました。戦争勝利後には、中東と中央アジアはムスリムとナチスによって支配されることが構想されていました

しかしイタリアが敗北しドイツ本国にも連合軍が迫ってくると、「我々はムスリム解放に大いに力を尽くしたのに、あいつらは何をしていたのか!」と不平を言ったそうです。

 

 

7. オセアニアは日本が支配する

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日本との共闘に対するドイツの妥協策

第一次世界大戦の敗北によって、ドイツ南洋諸島領は日本に奪われることになりました。

ドイツ国内ではこれに対する不満は根強く存在し、戦前の植民地の復帰を望む声が多く、また優秀なアーリア人種が世界を支配するというナチスの文脈に従うと、日本という国に妥協するのはあまり好ましいことではありませんでした。

しかしヒトラーは当面の軍事共闘策を優先し、南洋諸島の放棄に加えて、白人種が支配層であるオーストラリアとニュージーランドも日本が支配すべきとしました。

「オーストラリアの囚人の子孫は、特段我々が関心する存在ではなく、すぐに日本人が植民地とするであろう」とゲッベルスに語ったそうです。また日記には「日本は移住のための第五大陸を望んでいる」ともあり、(当時の日本がそこまでオーストラリアに固執していたかは甚だ疑問ですが…)ドイツはオセアニアから手を引く考えでいました。

ただし、ヒトラーは将来的には日本とは衝突する運命にあると思っており、オーストラリアとニュージーランドから引き上げてきたアングロ・サクソン人種は、東への征服のための兵士として活用することを考えていました。

 

 

8. アジア人種との最終戦争

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東西文明の最終戦争に勝利する西洋文明 

ヒトラーは米英を倒すための協力者として日本帝国と協力しますが、東洋文明の代表である日本と最終戦争を戦う運命にあると考えていました。

1942年の初めにヒトラーは「何世紀にも渡って考えなければならないが、遅かれ早かれ白人種と黄色人種との対決が必要になるだろう」と外務大臣ヨアヒム・リッベントロップに述べたそうです。

ヒトラーは、ドイツ民族が東方植民成功後に増える人口を計算し、将来的に8億8500万人ほどになるだろうが、それでは世界を支配するには弱いと考えました。これから増えるアジア人種と衝突するタイミングが来るであろうというのです。

その日は具体的には予言されていませんが、1940〜2040年はスラブ民族との戦いのために、2040年〜2090年はアジア民族との戦いのために使われるだろうとしました。

 

 

 

まとめ

本文中に既にいくつか矛盾があるように、ヒトラーは言ってることがコロコロ変わって、その場の雰囲気で後先考えずにデカいことを言っちゃうような癖があったようなので、上記もどこまで本気であったか不明です。

ただし、実際にこのような考えに基いて巨大な国家が運営され、軍隊が活動し、人が殺されていったのも事実。妄想家はそこら中にいますが、妄想家が権力を手に入れちゃうとこういうことが起こってしまうのだという非常に大きな代償の教訓ではないでしょうか。

 

 

参考サイト

"10 Plans Hitler Would Have Put In Motion If The Nazis Had Won" LISTVERSE

New Order (Nazism) - Wikipedia