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社会主義国ラオスの市場経済化への歩み

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ささやかな農業国が経験した自由経済の洗礼

ラオスという国は、都会も田舎ものんびりゆったりした国です。

田舎にいけばガスや水道すら通ってないのは当たり前。お米は薪で炊くし、トイレは穴を掘っただけ。夜になると、見たことないくらい満点に輝く星空を堪能できます。

実際のところ、この国の人口の80%はまだ農民だし、大部分は地方に住んで昔ながらの生活を営んでいます。この時が止まったような国に行けば、旅人はこの「豊かさ」を維持していってほしい、などと勝手なことを思うものですが、ラオスの為政者たちは国を経済的に豊かにすべく様々な改革に乗り出しています。

1997年にASEANに加入したラオスは、その経済的な恩恵を受ける前にアジア通貨危機の影響を直に受けることになってしまいます。

その時、経済危機など経験したことがなかった小国ラオスはどのように対応したのでしょうか。

 

 

1. 経済改革に乗り出すラオス

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Photo by Chaoborus

社会主義ラオス

ラオスは1953年にフランスから独立し、ルアンパバーン王を国王に頂く王政国家となりますが、右派・中道派・左派による内戦が続きます。

ソ連と北ベトナムの支援を受けたパテート・ラーオが農村地帯を制圧する一方で、アメリカの援助を受けた政府軍が討伐戦を繰り広げ、アメリカも爆撃で政府軍をサポートしました。しかし、ベトナム戦争が北革命軍の勝利に終わると、アメリカも徐々にラオスから撤退。1975年にラオス愛国戦線(パテート・ラーオ)が無血革命に成功し、王政を廃した「ラオス人民民主共和国」を樹立させました。

社会主義ラオス政府は、産業の国有化と農業の集団化を通じて社会主義国家建設を目指しますが、出だしから上手くいかず、4年後には農民が市場で直接販売したり、他県に輸送して販売することを許可するなど、一部市場主義的政策を取り入れることになりました

東南アジアの人々は、教条主義的にならず、意外と現実的で柔軟だったりします。ポル・ポトという例外もいますが…。

 

ラオス版ペレストロイカ「新経済メカニズム」

1986年11月、第4回党大会において「新経済メカニズム(NEM)」と呼ばれる経済改革の導入が正式決定されました。

これは、ソ連のペレストロイカ、ベトナムのドイモイ政策など、社会主義陣営の国々が相次いで経済改革の政策を打ち出していく中で、「我が国も経済改革に乗り出さなくては」という、流行りに乗り遅れるな的な感じで導入が決まったものです。

 

当初は親分・ソ連の轍を踏む感じで導入が決定したものの、1991年に最大の援助元だったソ連が崩壊してしまいます。後ろ盾を失ったラオスは西側諸国や世界銀行、IMFと関係を深め、「脱社会主義」を掲げて様々な改革に乗り出すことになりました。

改革の主な骨子は以下の通り。

  • 完全な価格の自由化
  • 米の国家独占の終了
  • 国有企業改革
  • 貿易の自由化
  • 中央銀行と商業銀行の分離
  • 外国直接投資の誘致
  • 複数為替レート制への一本化
  • 支出の整理と中央予算・地方予算の一般予算への統合

さらに1997年7月、ラオスはASEANへの加入を果たしました。

これにより、経済的にはるかに進んだタイやマレーシア、シンガポール、インドネシアなどと肩を並べ、一層経済の開放を進めなくてはいけなくなったのでした。

 

 

2. ラオス経済の実情

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Photo by Ondřej Žváček

ラオスは国土の8割を山岳地帯が占めており、耕作地となる平野部は4%しかありません。

しかし、国内の主産業は農業で、人口約680万人のうち8割が農村地帯に居住する農民です。都会に住んでいる公務員も自宅には菜園があって、副業がてら市場で野菜を売るという状態。農村部の食料の自給自足率は66%にもなります。

製造業は外資がいくつか首都ビエンチャンの近郊に進出してきているものの、インフラが絶望的に整っていないため地方は家庭内手工業以外は皆無といっていい状況です。

農業以外大した産業がない状態にも関わらず、関税障壁の緩和により主にタイやベトナムから日用品や機械類などの輸入が始まったため、ラオスの財政は慢性的な赤字を垂れ流しています。しかもインフラと流通網が脆弱であるため、輸送コストが高く付き、国民所得は低いものの、一般消費財は隣国のタイやベトナムよりも高いということになってしまいます。

 

色々課題は多いものの、経済発展のためにまず必要なのはインフラを整備し流通網を広げ、国内市場を統一することです。

国民は国土の大半を占める山岳地域の中で、自給自足を基礎にした小さく閉じた経済圏の中で暮らしているのが実態です。インフラを整備し安定的な流通網ができることで、安価に商品を流通できるようになります。すると地方の購買意欲が増し、市場が活性化されることで外国投資を呼び込むことが可能になります。工場が立つと製造業への従事者を増やして中間層を増やすことができ、また技術移転によって国内産業を育てることも可能になります。法人が増え中間層が増え、また輸出入も増えることで国家の税収も安定し、万年赤字の財政が健全化する、というのが理想的な流れです。

 

ラオスは過去アジア開発銀行や日本からの円借款によって橋や道路の建設を進めてきました。しかしラオス政府はまだ不充分とみなしており、現在中国が主導のAIIBよる大規模なインフラ投資に多大な期待を寄せています。

www.nna.jp

 

このような脆弱な経済規模の国が、タイやシンガポールといった経済的にはるかに発展した国々と同じ経済協力機構に加入し、同条件で経済の開放政策を進めなくてはいけないのは酷な話ではあります。

ラオスは1997年7月にASEANに加入したのですが、同月にタイを震源とするアジア通貨危機が発生。全然準備できていないのに、いきなり経済危機のビンタを喰らうことになってしまうのです。

 

 

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3. アジア通貨危機の発生

1996年、これまで順調な経済成長を続けてきたタイが初めて貿易収支が赤字に転落します。

これを受け、1997年5月からヘッジファンドが保有するタイ・バーツを大量に空売りし始めました。タイ中央銀行はドルペッグ制を維持すべく外貨準備を切り崩してタイ・バーツを買い支え、通貨引き下げを阻止しました。しかしヘッジファンドはタイ政府が買い支えられないほどの空売り攻勢を展開したため、同年7月2日にタイ政府は管理フロート制への移行を発表。バーツは一気に値を下げ、株も不動産も大暴落。

多くの企業がドル建てで資金を借りていたため、バーツの下落によって共連れで借金が膨らみ、債務不履行になり倒産する企業が相次ぐ。銀行は不良債権を大量に抱え込むことになりました。

 

隣国で起きたこの巨大な津波をラオスはもろに食らうことになります。

 97年1月には1ドル=961キップだった通貨が、12月には1ドル=2015キップに下落。さらに下落を続け、98年には年平均で1ドル=3282キップ、99年には年平均7600キップにまで下落しました。97年1月比690%という驚愕の下落率です。

 

ラオスの経済は隣国のタイと深い関係にあり、輸出入とも多くのタイに依存していました。通貨危機を受けタイへの輸出は98年に前年比28%下落。外貨準備高を少しでも上げようと輸入を抑制したため、日用品を始め多くの品物が店頭で品薄になり物価高となります。

財政的には、通貨の下落とインフレにより賃金労働者(主に公務員)の給与が引き上げられ支出が増加したことで、財政赤字が97年には前年度の2.6倍に膨れ上がり、98年度は96年度比で4.4倍にまで拡大。また外国投資は多くをタイに依存する構造であったこともあり、前年比88%と大幅に下落。外貨流入が減少しました。

 

 

4. 通貨危機がラオスにもたらしたもの

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Photo by Adam Jones adamjones.freeservers.com

ラオスのASEAN加盟は、外国投資の大幅増加や日本やASEAN諸国との関係拡大による便宜の向上など、貧乏国ラオスにしてみたら「甘い蜜」の話が並んでいました。

しかしいざアジア通貨危機が発生し、三匹の子ぶたの家のごとく、貧弱なラオス経済は吹き飛ばされてしまいました。キップの大幅な下落を食い止めるのに十分な外貨を持っていなかったラオスは、IMFや日本に再三借款の要請をしますが、期待していたほどの支援は国際社会から与えられることはありませんでした

IMFにしろ日本にしろ、タイや韓国といった巨大な経済力を持つ国の支援に追われて、ラオスは二の次三の次になっていたのが実情だと思うのですが。

 

そんな状況であるにも関わらず、ラオスはASEANの自由貿易地域構築に向けて「共通実効特恵関税」と呼ばれる関税引き下げスキームに乗らないといけなくなったのです。

これは域内の国々が現行掲げている関税率を0%〜5%に段階的に引き下げるというもの。

タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ブルネイは2010年に対象物品の関税を撤廃し、ラオスも2018年まで自由化が延期される約670品目(全対象物品の約7%)を除いて、2015年末までに予定どおり対象物品の関税が撤廃されました。

これは国内産業がほとんど育っていないラオスにおいては、関税引き下げにより消費財や機械類などの国産化がほぼ絶望的な状況になることを意味します。

 

そこでラオス政府が打ち出したのが租税の改革で、輸入関税の代わりに「取引税」と「物品税」という新たな形での税金を輸入品に課すことにしました。表面的には関税は消えたものの、実質は何も変わっていないのです

 

2001年3月に開かれたラオス人民革命党の党大会において、カムタイ議長は

「マルクス・レーニン主義の本質を不断に堅持しなければならない」

と述べました。早急なグローバル経済への転換によって大やけどを負ったアジア通貨危機への反省が見られます。

通貨危機によってラオス政府は債務超過や極度のインフレ対策に苦しんだわけですが、実際のところ一般民衆にそこまで大きく混乱を与えませんでした。

なぜかと言うと、ラオス人の多くは自給自足の生活をしていて、食料を国際市場に頼っておらず、自分たちで食うものを何とかしてしまったからです。

もし食料まで輸入に頼った状態で先のような経済危機が起きた場合、食糧危機による暴動が発生して人民革命党の政府が危機に陥る可能性もあるし、最悪再び内戦に突入するかもしれません。

 

ラオス政府は表面上はグローバル経済への積極的な参加を訴えながらも、現在の国が持つ強さを棄てずに貧弱な経済を徐々に発展させるという、難しい舵取りをしようとしています。

 

 

 

まとめ

目立った産業が林産品か水力発電くらいしかないラオスは、昔はソ連、現在は中国や日本、IMFなどの支援を受けて財政をやりくりしていますが、万年赤字は解消しない。

過度な財政赤字は他国に政治的に付け入る隙を与えるため、早く財政を健全化させて自立自存の国家を作る必要があります。

税収を上げるには国内産業の育成と中間層の育成が、産業の育成には外国投資が、外国投資にはインフラ整備が必要となりますが、現在のラオスはこの初期の段階で時間がかかっているのが実情です。

 そんな中、関税撤廃を前提とする国際的な枠組みへの参加により、交易は活発になるものの、下手をすれば外国に自国の富をむしり取られるだけむしり取られ、財政は赤字を垂れ流し、貧富の格差が拡大し貧困化が進み、他国の植民地状態になってしまう。

半自給自足というある種の強みを活かした「ラオス流・新社会主義」の模索が続きます。

 

 

参考文献

東南アジア史〈9〉「開発」の時代と「模索」の時代―1960年代〜現在 9.ラオスー新経済体制化の模索 鈴木基義

岩波講座 東南アジア史〈9〉「開発」の時代と「模索」の時代―1960年代〜現在

岩波講座 東南アジア史〈9〉「開発」の時代と「模索」の時代―1960年代〜現在

 

ラオスの経済政策 原洋之介

農林水産省 ラオス人民民主共和国 農業農村開発分野における協力の方向

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