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ブラジルの近現代史(3) - ヴァルガス独裁体制の構造改革

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ブラジルの構造改革を模索する穏健ファシスト体制

全四回でブラジルの近現代史をまとめています。

前回では、パラグアイ戦争と奴隷解放によって帝政が崩壊し、共和制の体制の元で経済成長と政治の安定が比較的順調にいき、第一次世界大戦の参戦で国際的なブラジルの地位が向上した歩みを見てきました。前回の記事はこちらからご覧ください。

今回では、世界恐慌によって生まれた危機を乗り切るべく、ヴァルガスが独裁的な権力を保有し大胆な改革をブラジルにもたらしていきます。

 

 

7. 独裁者ヴァルガスの登場

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世界恐慌から発生した独裁体制

1929年に起こった世界恐慌は、ブラジル経済にも多大な影響をもたらしました。

ブラジル経済の屋台骨だったコーヒーの価格が下落し、外貨収入が1920年代の1/3近くの水準にまで下落。経営破綻する農園が相次ぎ、町には求職者が溢れました。

折しも1930年の大統領選挙が実施され、サン・パウロ州のジュリオ・プレステスの勝利に終わったものの、野党・自由同盟は不正選挙を訴えて武力蜂起の準備を進め、軍首脳の力も借りてクーデターを敢行。リオグランデ・ド・スル出身の政治家ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが大統領に就任しました。

 

ヴァルガスは政治改革を志す青年将校と結託。汚職の一掃、州の自治権の尊重、行政の合理化、インフラ整備を強調して国民の大多数の支持を得て、11月11日に大統領命令第一号を発令し憲法を停止し公務員や州の執政官の任命権、立法権を握り、独裁的な権力を握りました。

ヴァルガスは新たに1934年憲法を制定し、「危機の時代を乗り越えるべく、大きな政府によって国を統制し、地方の自由を制限する」ことを目指しました。

建前は連邦共和制でしたが、労働立法や資源の開発、州兵の最高指揮権など、従来地方にあった権限を大統領に移管しました。これにより、従来の支配層である地方の地主が自前の勢力で反乱を起こすことができなくなりました。

また、結社・政党の自由が認められ、一党独裁や国家主義を信奉する共産党や極右インテグラリスタ党も合法化されました。これにより、従来の保守派や軍部にあった支持基盤が、都市労働者層をも取り込みました。

 

ブラジル共産党は当初はヴァルガスに協力的でしたが、後にヴァルガスが保守勢力の支持を得るために民族解放同盟を弾圧したため、各地で反ヴァルガスの反乱を起こすに至ります(共産党暴動)。ヴァルガスは戒厳令を敷き、極右インテグラリスタ党をも動員して共産党の反乱を抑え、とうとう解散させてしまいました。

またヴァルガスは極右インテグラリスタ党も後に弾圧し解散させています。

こうして政敵を相次いで駆逐した上で、1937年の選挙の年にまたクーデターを敢行。選挙を中止し国会と全政党を解散させ、全権を掌握しました。

 

 

8. 「エスタード・ノヴォ」の成立

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国家による改革体制のスタート

ヴァルガスによるクーデターによって成立した独裁的な穏健ファシスト体制を「エスタード・ノーヴォ(新国家)」といいます。

エスタード・ノーヴォは当時の世界で主流だった「国家による経済の介入」「ナショナリズムと愛国主義」をブラジル流に推進できるようにした体制。

ポルトガルのサラザールによる「エスタード・ノーヴォ」も、背景は異なりますが向かう方向性や政策は似たようなものがあります。

 

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ヴァルガスは世界恐慌でコーヒーの価格が下落しブラジル経済が大打撃を受けた反省から、工業化とアマゾンの開発を推進しました。コーヒーに頼らずに外貨を獲得でき、また財政を健全化し、労働者の雇用を確保する目的もありました。

 

 

・工業化と開拓

1940年に五カ年計画を発表し、基幹産業の確立、鉄道網の拡張、水力発電所の建設が目標とされ、翌年にはアメリカの支援でヴォルタ・レドンダ国営製鉄所の建設がスタート。サン・パウロ州とリオ・デ・ジャネイロ州を中心に工業化が推進され、1943年にはサン・パウロ州は全土の工業力の54%を占めるまでに成長しました。

アマゾン開発は、「西部への前進」というスローガンのもと、西部のゴイアス州、北東部セルタン、北部アマゾンの開発が進められ、鉄道、道路、航空インフラが整備されました。

 

・労働者対策

かつてコーヒー農園で働いていた者や都市のスラム居住者などの失業者は、これら国家主導で行われるこれらの工業化プロジェクトに投入され、内陸の町でも工場労働者や建設作業者が増加していきました。

また連邦政府の巨大化によって公務員が多く必要となったため、ホワイトカラーの中間層が増加。彼らはヴァルガス体制を支える重要な要因ともなりました。

 

・愛国教育とナショナリズム

ヴァルガスは「ブラジリダーデ(ブラジル精神)」という言葉を使って愛国心を鼓舞し、ポルトガル人の寛容さ、適応力、そして黒人・インディオとの混血によって熱帯の新世界が生まれ、優秀なブラジル人種が誕生した、という文脈を造り上げました。

外国語教育は禁じられ、外国人移民も制限されました。

 

▽敬礼する大衆動員組織のメンバー。「Anauê!"(我が兄弟よ!)」

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▽若い女性と子どもが所属する国家貢献ユース組織

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第二次世界大戦の参戦とヴァルガス体制の終焉

ヴァルガス体制のブラジルは、当初はアメリカへの経済的な従属を防ぐ狙いから、ヒトラーのドイツやムッソリーニのイタリアへ接近していました。

しかし、1941年12月にアメリカが参戦したことにより、ブラジルは枢軸国側に宣戦布告。イタリア戦線に約26000名規模の遠征軍を派遣しました。

ブラジル軍は北イタリアのモンテ・カステロの戦いなどいくつかの戦いで主攻となって活躍しました。

 

▽イタリア市民と交流するブラジル兵

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▽モンテ・カステロの戦い

 

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▽遠征軍第3連隊第11大隊

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ブラジル軍はイタリア戦線で大いに活躍するも、独裁的ファシスト体制が「自由を守るため」同じ独裁体制の国であるドイツやイタリアと戦うという矛盾を説明できなくっていきます。

この戦いで流れた血は民主主義を守るためであったのならば、ブラジルも民主主義国家であるべきではないのか。

ヴァルガスは高まる批判を受けて1945年に大統領選挙を実施することを明言しますが、いつまでたっても履行しないため、とうとう10月3日にクーデターによって打倒されました。

 

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 9. 左翼ナショナリズム路線

1945年10月、軍によるクーデターでヴァルガスは失脚し、12月にエウリコ・ドゥトラ将軍が民主社会党から立候補し選挙で大統領に当選しました。

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ドゥトラ政権では国家統制型経済を継続し、五カ年計画に基づき政府主導の大規模なインフラ整備によって資本家の支持を得ました。この時代、引き続きアメリカとの政治・経済の協力関係は緊密でした。

 

第二次ヴァルガス政権

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1950年の大統領選挙で選出されたのは、何と前独裁者のヴァルガス。

ヴァルガスは選挙にあたって、以前の独裁体制の復活を恐れる人々の反発を招かぬように、左翼民族主義的な政策を打ち出しました。特に増加した都市労働者層の支持を得るために、ポピュリズム的な政策を喧伝し、ラウドスピーカーやラジオ、映画など、いわゆるマスコミを使った宣伝をいち早く取り入れました。

しかしやはりヴァルガスは前時代の産物だった。

アメリカ資本に反対し工業化の進展の妨げになり、また自分を悪く書くジャーナリストの暗殺を企て、それがバレて軍部によって辞任要求が噴出しました。

窮したヴァルガスは宮廷内でピストル自殺し、その壮絶な人生に幕を閉じました。

 

ヴァルガスがもたらしたもの

ヴァルガスはブラジル社会の構造を大変革させた功労者で、経済安定化・人口増加・教育の普及・工業化・インフラの整備など、ブラジルが後に経済発展を遂げるための基礎体力をもたらしました。

ヴァルガスの権威主義体制は旧来のブラジル社会を背景にして成立したものでした。

従来ブラジル経済を支えていた農園の人間関係は、「主人」と「下僕」の関係で大きな家族に近い存在。農園主は「下僕」たちを守ってやる義務があり、労働者たちは「主人」に服従し奉仕する。ヴァルガス政権はコーヒー経済の崩壊で「主人」を失った「下僕」たちの「新たな主人」たるべく振る舞って社会保障や労働環境を提供し、代わりに政権への忠誠を求め、相互補助的な関係を維持したのでした。

 

 

 

 まとめ

地方分権的でコーヒーに依存する経済構造であったブラジルは、世界恐慌で大きな打撃を受け、構造改革の必要性に迫られます。

ヴァルガス体制は地方から権限を奪って中央の体制を強化し、農業から工業化を進展させ、またジャングルの開拓やインフラ整備など上からの景気刺激策で社会に安定をもたらしました。一方で、言論の統制や愛国主義など国家による言論や教育への多大な介入が見られるも、労働者の結束と反体制派を醸成させないためでもありました。

さて、次回は第二次世界大戦の終了によって独裁体制は崩れ、軍事政権と文民政権下で戦後の経済発展が進んでいく様子をまとめます。

 

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参考文献

ラテン・アメリカ史〈2〉南アメリカ (新版 世界各国史) 増田義郎 山川出版社

ラテン・アメリカ史〈2〉南アメリカ (新版 世界各国史)

ラテン・アメリカ史〈2〉南アメリカ (新版 世界各国史)

 

 

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