カエデの葉のデザインに至るカナダ国旗の歴史
世界には様々な国旗がありますが、植物があしらわれているデザインがいくつかあります。
例えば、レバノン杉が中央に描かれたレバノン国旗や、サボテンが描かれたメキシコ国旗。オリーブや月桂樹の葉が描かれた国旗も多いです。
中でもパッと思いつくのがカエデの葉が描かれたカナダ国旗。スポーツの国際大会などですっかりおなじみですが、この旗が初めて登場したのは1965年で比較的新しいのです。
実はこの旗に決まるまでは、様々なデザインが提案され国を二分するほどの侃々諤々の議論がなされ、ようやく落ち着いた国旗なのです。
1. ヌーヴェル・フランスから大英帝国連合旗へ
カナダの地は昔から先住民のアルゴンキアン語諸族、ヒューロン族、イロコイ族などが居住していました。
この地を「カナダ」と初めて読んだのはフランス人のジャック・カルティエ。
カルティエは1534年にシャルル湾に上陸し、この地を先住民族の呼び方に倣って「カナタ(村という意味)」と呼ぶことにしました。
当時、まだカナダはフランス王の直轄地ではありませんでしたが、カルティエはこの地をフランスの支配下であると宣言するために当時のフランスの旗を用いました。
Work by Oren neu dag
やがて大勢のフランス人の商人が「ヌーヴェル・フランス(新フランス)」と呼ばれたカナダの地にやってきて鱈や毛皮の貿易に従事し始めます。フランスの商人は商館などに当時のフランス海軍の旗を用いていました。
Work by Sodacan
1663年、ルイ14世はヌーヴェル・フランスを国王の直轄植民地とし、ヌーヴェル・フランスから西インド諸島に農産水産物を、西インド諸島から本国へ砂糖を、本国からヌーヴェル・フランスに工業製品を送る三角貿易が構想されました。
国王直轄領ヌーヴェル・フランスの国旗は、「太陽王ルイ14世の旗」がそのまま使われました。
その後、本格的にイギリス商人がカナダに進出。フランス商人と激しい商圏争いを繰り広げます。
商圏争いは領土争いに発展し、アン女王戦争、ジョージ王戦争、フレンチ・インディアン戦争と相次ぐ戦争でイギリスは優位に戦いを進め、フランスの北米植民地の拠点ケベック・シティが陥落。以降、カナダの地はイギリスが支配することになります。
カナダの地にはイギリス系移民が急増し、圧迫されたフランス系は反発を強めイギリス系への軍事的反乱も相次ぎました。
カナダがフランスの植民地から大英帝国内の連邦制国家に至る歴史はこちらの記事に詳しいです。
イギリス系が主導権を握る植民地カナダは、1841年にイギリス系が住むアッパー・カナダとフランス系が住むロワー・カナダを統合した「連合カナダ議会」を作り、新たに設定された東カナダに住むフランス系を徐々にイギリス化させることが目論まれました。
当時はフランス系が多数を占めていたものの、名実ともにカナダはイギリスの植民地であることを明らかにするために、国旗は本国と同じくユニオン・ジャックが用いられました。
1864年、マクドナルド政権は「ケベック決議」を採択。
これにより、「カナダを構成する州は連邦カナダの植民地」という位置づけになり、さらに「連邦カナダはイギリスの植民地」という三重構造が完成しました。
この三重構造を表したのが1867年に採用された旗。
連邦を構成する4つの州、オンタリオ州(左上)、ケベック州(右上)、ノヴァスコシア州(左下)、ニューブランズウィック州(右下)の各州の旗が紋章の形の元にまとまり、その左上にユニオン・ジャックが配置されたデザインになっています。
連邦カナダの中に描かれたオンタリオ州の旗にもカエデの葉が描かれており、この頃から既にカナダ住民(特にイギリス系)の中にはカエデがカナダを象徴するシンボルという共通認識があったことが分かります。
2. なぜカエデの葉なのか
カエデの葉は1700年前後から既にカナダの人々のシンボルとされてきました。
フランス人がカナダに進出するずっと以前から、先住民はカエデを栽培し樹液を収穫して、調味料として使ってきました。おそらく、ヨーロッパ人が愛してやまないパンケーキとカエデのシロップが抜群に合うことを発見するのに、そう時間はかからなかったことでしょう。
カエデの木はシンメトリーの葉をつけデザイン的にも美しいし、みんなが大好きな共通の味覚であるし、本国イギリスにもない自分たちのオリジナリティを表すものとしてこれ以上のものはなかったと思います。
1848年にはル・カナディアン紙とトロント・リテラリー・アニュアル紙がカエデをカナダのシンボルであると宣言していたし、1860年に結成された第100連隊のバッジにもカエデの葉が描かれ、また1868年にはアレクサンドル・ミュアーが「永遠なれ、カエデの葉(The Maple Leaf forever)」という名の曲を発表し、これは当時はカナダのナショナルソングと認識されました。
かつて英国の岸より無敵の英雄ウルフが来て
英国の旗をカナダの美しい地に立てた
ひるがえれ、我らの誇り、我らの自尊心
共に愛し合おう、アザミよ、シャムロックよ、バラよ
永遠なれ、カエデの葉
カエデの葉、我らの国章
永遠なれ、カエデの葉よ
我らの(女)王に祝福あれ
永遠なれ、カエデの葉
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3. 大きくなるカエデの葉の意匠
1907年に制定された旗には、主要な州の他に新たに西部の州の旗が加わったものになっています。ちょっとごちゃごちゃしてますね。
1921年に制定された旗はだいぶスッキリして主要な州のみになっているのですが、下部に緑のカエデの葉が大きく描かれ、カナダの諸州を代表するアイコンになっているのが分かります。
第二次世界大戦には、カナダ軍はカナダを象徴するカエデが大きく描き、他の大英帝国の国々の軍と自分たちを区別しました。なお、この旗の右上にはフランス系カナダ人のシンボルであるフルール・ド・リス(ユリの紋章)も描かれ、「イギリス系が主導するカナダ」へのフランス系の反発も垣間見える興味深いものになっています。
第二次世界大戦を通じて、カナダはアメリカと経済的・軍事的に結びつきが強くなり、また軍事的にも大きな役割を果たしたことで自信にもつながり、独立に向けた動きが加速しました。
1939年の印璽法、1946年のカナダ市民憲法の制定、1947年の君主大権移譲の勅令を相次いで行い、首相の任命・罷免・議会の招集・解散権などが、英国王からカナダに移譲され、名実ともにイギリスの支配が終結しました。
1945年には首相ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングによって、新たなカナダの国旗が提案されました。これが黄金のカエデの葉が一枚あしらわれた大胆なデザイン。
Work by Zscout370
しかしこれにはケベック州のフランス系住民が「イギリス系への同化を強制するものだ」と反発し、結局諦めざるを得ませんでした。
1957年に再制定された国旗は、1921年のものと似てますが、下部のカエデの葉が緑から赤になっています。この頃からおそらく、「カエデの葉は赤色」という共通認識が出来ていたと思われます。
4. カナダ国旗大論争(1963年〜1964年)
1958年に行われた世論調査では、80%以上が「新たな国旗の制定を望む」と回答し、さらに60%は「カエデの葉を用いること」が良いと答えました。
「カエデの葉を用いた新たなカナダ国旗」のデザインが模索され始め、Native Son of Canadaとう団体が提案したデザインは今のものと似てますが構図がかなり異なっています。
1960年、野党自由党のリーダーで後の首相レスター・ピアソンは「一刻も早く新たな国旗を制定すべきだ」と主張し、1963年に首相に就任すると国旗制定の準備に取り掛かりますが、翌年2月にピアソンが「ピアソン・ペナント」と呼ぶ新たな国旗の候補デザインがマスコミにリークされました。
それが、青の横線の中心に描かれた3枚のカエデの葉。左の青は太平洋、右の青は大西洋、中心のカエデは勿論カナダの国土と人々を表しています。
ピアソンは1964年5月にウィニペグで開かれた退役軍人の会に登壇し、「カナダの国旗は赤いカエデの葉のデザインになるべきだ」と力説しますが、大英帝国の一翼として戦った彼らからすればこれは「行き過ぎ」であり、オーストラリアやニュージーランドの旗のように、ユニオン・ジャックの旗の元でのカナダであるべきだ、と考えていました。
ピアソンはこの旗を新たなカナダの国旗とすべく、1964年6月15日に議会の審議にかけました。しかし野党のリーダー・ディーンフェンベーカーは「ユニオン・ジャックを入れるべきだ」と強く反発して議事妨害の手段に出ました。
審議は遅々として進まず、とうとうピアソンは9月10日に「国旗制定のための委員会」を開き審議することに同意。委員会には与党と野党から集められた15人のメンバーで結成され、最初の6週間で35回もの打ち合わせを実施して何千枚ものデザイン・アイデアを見ながら検討を重ねました。
焦点になったのが、「ユニオン・ジャックを残すか否か」。そして「フランス系住民の象徴であるフルール・ド・リス(ユリの紋章)を入れるか入れないか」。
全部を妥協的に入れたこんなデザインも最終選考に残っていました。
このデザインは歴史家ジョージ・スタンレーによって提案されたもので、カナダ王立軍事大学がデザインした「左右の赤線と白地の上のカエデ」の上に、ユニオン・ジャックとフルール・ド・リスを入れたもの。政治的にはこれでいいのかもしれませんが、デザイン的には破綻してますよね。
最終的にこの旗と現在のカナダ国旗とで最終審議に入り、1964年12月15日早朝に決選投票が行われて163対78で「ユニオン・ジャックとフルール・ド・リスがない」旗が採用されたのでした。
1965年1月28日にエリザベス女王がこの新国旗を承認したことで、正式にカナダ国旗となりました。
しかしながらこのカエデのデザインを気に入らない人々は特に退役軍人に多く、マニトバ州とオンタリオ州は旧いユニオン・ジャックの意匠を州旗として採用しました。
1965年5月に採用されたオンタリオ州旗
1966年5月に採用されたマニトバ州旗
そしてもちろん、フランス系が多いケベック州はフルール・ド・リスの旗を使い続けています。
まとめ
馴染み深いカエデの葉のデザインも、かなりすったもんだがあったのですね。
カナダの場合は、「カエデの葉」という皆が納得するシンボルがあったから良かったのかもしれませんが、風土も習慣もバラバラで、共通のシンボル足り得るものがない国の旗を作ろうとするのは相当大変なのではないかと思います。
国旗ひとつとっても、政治制度や民族の歴史が垣間見えて、調べれば面白い事案がたくさんあるものです。
参考サイト
"HOW THE CANADIAN FLAG CAME TO BE AS IT IS TODAY" TODAY I FOUND OUT