歴ログ -世界史専門ブログ-

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歴史上の人物が改名をしたいくつかの理由

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人生いろいろ、改名いろいろ

世界史の偉人は現代人では考えられないほど、コロコロ名前を変えてます。

そんなにしょっちゅう名前が変わってたら不便でしょうがないじゃないかと思いますが、子どものときは幼名で、大人になったらちゃんとした名前をもらい、偉くなったら立派な名前をもらったり付けたりするというのじゃごく最近まで日本でもありました。

人生のステージで名乗り名を変えていくのは、新しい自分に生まれ変わる感があって、個人的にはちょっと憧れるんですが、では歴史上の偉人たちはどういう時に名前を変えていったのか、というのが今日のテーマです。

 

 

1. ネルソン・マンデラ(改名前:ホリシャシャ)

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イギリス人の先生が呼びやすいように改名 

南アフリカの英雄ネルソン・マンデラはたくさんの尊称がありますが、それは彼が黒人解放闘争を戦いその後黒人初の大統領になる中で付けられたもの。

彼の少年時代の名前は「ホリシャシャ」と言い、直訳すると「木の枝を揺する者」。それは「厄介者」という意味でした。

ホリシャシャ少年はイギリス人が運営するメソジスト派のミッションスクールで学ぶのですが、そこでは教師が子どもたちにクリスチャンネームを与えその名で呼ぶのが通例。「ホリシャシャ」というイギリス人には読みづらい名前でもあり、先生によってネルソンという名を与えられたのでした。

 

 

2. ウラジミール・レーニン(改名前:ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)

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 秘密警察から逃れるために改名

世界初の社会主義国家であるソ連を立ち上げたレーニンは、当然ながら非合法活動に身を投じていたわけなので、多数の偽名を使っていました。

本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフですが、政治活動を開始して6年目の1901年流刑地に流されていたときに、近くを流れるレナ川の名前を採って「レナ川の人=レーニン」と名乗るようになりました。

同じくシベリアに流刑されていたレフ・トロツキーも同じ頃に偽名である「トロツキー」と名乗り始めました。これは「以前入っていた刑務所の看守の名前」だそうで、あまり典雅ではありませんね。

 

 

3. ユリシーズ・S・グラント(改名前:ハイラム・ユリシーズ・グラント)

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陸軍学校の入学の際に間違えて登録され改名

グラントは南北戦争の英雄で、第18代大統領にもなった人物。

優れた戦術・戦略を持ち、卓越したリーダーシップで北軍を率い、南軍の名将リー将軍を激闘の末破りました。軍人としては成功を収めましたが、 大統領になってからは、汚職やインディアン政策の失敗で人気を失ってしまいました。

さて、グラントは一般的に「ユリシーズ・S・グラント」という名で知られていますが、実は本名は「ハイラム・ユリシーズ・グラント」と言います。

何で名前が変わったのかと言うと、彼が17歳の時トーマス・ハマー議員からウェストポイントの陸軍士官学校への推薦を受け取ったのですが、ハマー議員はどういうわけか「ユリシーズ・S・グラント」と間違った名前で彼を登録してしまいました。

グラントはすぐにそれに気づきましたが、名前を間違いと主張して揉めて入学を拒否されるのを恐れて、その名前を受け入れたのでした。

 

 

4. ハイレ・セラシエ(改名前:ラス・タファリ・マコンネン)

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「アフリカの帝王」の期待に応えるために改名

エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの本名は「ラス・タファリ・マコンネン」。

王位に就いた時にその名前を「三位一体の御力」という意味の「ハイレ・セラシエ」に改名しています。実はこの名前にも続きがあり、正式には「三位一体の御力、王の王、主の主、ユダ部族のライオン」という長い名前です。

この「王の王、主の主」という言い方はヨハネの黙示録の中で救世主の着物に記された言葉で、ハイレ・セラシエ自身が「救世主」と振る舞おうとした証左であります。

当時は帝国主義の時代、エチオピア帝国は西欧列強の侵略に抵抗する唯一の黒人帝国として世界中から尊敬を集めていました。

特にジャマイカでは「黒人の王が誕生しアフリカの救世主となり、黒人を抑圧から解放する」というメシア思想「ラスタファリアニズム」が信じられており、ハイレ・セラシエこそ黒人の救世主だと多くの人は信じたのでした。

※ラスタファリアニズムについてはこちらをご覧ください。

reki.hatenablog.com

世界中の人々の期待に応えようとハイレ・セラシエも救世主たるべく振る舞おうとしますが、経済政策で失態が続き最後は軍事クーデータで失脚してしまいました。

 

 

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5. ジェロニモ(改名前:ゴヤスレイ)

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改名理由不明

シッティング・ブル、テカムセ、クレイジー・ホースなど、インディアン戦争の英雄たちはたくさんいますが、ジェロニモも著名なインディアンで、入植者を恐怖に陥れたアパッチ族の大戦士です。

「ジェロニモ」という名はいかにもインディアンっぽく聞こえますが、これは彼の数あるアダ名の一つで、本名はゴヤスレイ(Goyathlay)と言います。

ゴヤスレイとは「あくびをしたがる者」という意味で、それを信じれば子供の頃は彼はおっとりとした性格だったのかもしれません。

しかし、1858年に家族をメキシコ人に殺されたジェロニモは、メキシコに復讐を誓う凶暴な戦士になっていました。

インディアンにとって名前は神聖なものであり、むやみに他人に教えるものでもなく、一般に知られていない彼の名前もあったと思われます。

ジェロニモという名前の出自は正確なところはわからず、ある話によると入植者が「あくびの戦士」に襲撃され、聖ジェローム(ヒエロニムス)に助けを求めて祈ったことから、メキシコ人からジェロニモと呼ばれるようになった、ということですが、正しいかどうか分かりません。

 

 

6. ホー・チ・ミン(改名前:グエン・アイ・クォック)

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中国に密入国しやすいように中国風に改名

ベトナム独立の英雄ホー・チ・ミンもたびたび名前を変えています。

幼名はグエン・シン・クンといいますが、パリ、モスクワ、広東など世界を放浪しながら独立組織の工作活動を続ける中でいつも偽名を使っており「リ・トゥイ」「ブォン(王)」「タウチン(チンさん)」「ワン・シャンル」「宋孟柞(ソン・マンジャ)」「リノフ」「リン」「チャン」「トゥ」「ドン・ヴァン・ソ」など大量にあります。

最も有名なものが「グエン・アイ・クォック(阮愛國)」という名前で、「愛国者グエン」みたいな意味のアダ名です。

1942年グエン・アイ・クォックは、中国共産党と連絡を取るために「ホー・チ・ミン(胡志明)という偽名で北ベトナムから中国に密入国を試みました。ところがすぐに中国国民党に捕まってしまい、その後約2年間捕囚生活を送ることになってしまいました。

蛇足ですが、ヴェトナムの革命の仲間たちは、行方知れずになったグエン・アイ・クォックの安否を求めますが、捜査担当者が中国担当者が「死了(スーラ)」と言ったと伝え、てっきり死んだものと思っていました。ところが実は彼はかくしゃくと生きており、「死了(スーラ)」は「是的(シーダ)」の聞き間違いだったことが後に分かったそうです。

1944年に彼はベトナムに帰還しますが、けっこう辛い体験だったに違いありませんが、中国と関係を重視する姿勢を打ち出す目的もあり、その後ホー・チ・ミンという中国風の名前を名乗るようになったのでした。

 

 

7. パンチョ・ビリャ(改名前:ドロテオ・アランゴ)

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山賊団に入るために改名 

メキシコ革命の英雄でチワワ州の伝説的な義賊パンチョ・ビリャは、現在でもメキシコ人に人気がある人物です。

当初はしがない山賊の首領だったビリャは、独裁者ディアスに抵抗する革命家フランシス・マデロに感銘を受け、メキシコの国と人々のために人生を捧げることを誓いました。マデロを倒した軍人ウエルタを打倒した後、かつての同志カランサと対立し内戦の末敗れ、配下のチンピラを抱えて反政府活動を行いました。

さてビリャの本名はドロテオ・アランゴと言い、なぜパンチョ・ビリャと名乗り始めたかはいくつかの説があります。

一つには、ビリャの名前は彼が殺したチンピラの名前という説。

ドロテオが16歳になったとき、ロペス・ネグレテ一家という山賊に属するパンチョ・ビリャというチンピラが彼の12歳の妹をレイプしようとしました。ドロテオは妹を守るために男を銃で売って殺しました。このまま放っておいたら山賊が報復に来るに違いない。そこでドロテオは自分が殺した男の名前をいただき、山に入って山賊の首領になった、というもの。

もう一つは、山賊の首領の名前がパンチョ・ビリャだったという説

若きドロテオ少年は、16歳で農園主と喧嘩して出奔して山に入ってしまい、パンチョ・ビリャという男が首領の山賊団に加わりました。後に山賊団は警官隊と戦闘になり激戦の末、首領パンチョ・ビリャは銃殺されてしまいました。そこでドロテオは「二代目」パンチョ・ビリャとして名前を授かり、壊滅寸前の山賊団を率いるようになった、というものです。

いずれにせよ、オリジナルのパンチョ・ビリャという男が別にいたことは確かなようです。

 

 

 

まとめ

改名とまではいきませんが、ネットユーザーだったら結構、知人に知られていないアカウントで別の人格の名前を持ってる人も多いと思います。

 表の顔と裏の顔を分ける感じで、名前を使い分けてる感じです。

実生活では確かに名前を変える必要性は感じないかもしれませんけど、たまにクリエイティブ系の人だと独自の名乗り名を持ってる人がいたりして、カッコいいなーと思います。

恵美さんが「エミリー」とか名乗ったり。個人的には「歴ログ」がぼくの裏の名前な感覚なんですが、そういう本名とは違う別の名前持ってたほうが楽しいですよね。

 

 

参考文献

物語 ヴェトナムの歴史- 一億人国家のダイナミズム 小倉貞夫 中央公論社

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

 

 

 参考サイト

"10 Historical Figures Who Changed Their Names" LISTVERSE

 

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