読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

常人には理解できない「米大統領暗殺」の動機

f:id:titioya:20170402205035j:plain

ちょっとアブナイ暗殺者たち

アメリカ大統領ともなると、いつどこに暗殺者の魔の手があるか分かりません。

当然、常に警備は厳重なのですが、それでもリンカーンやケネディのように暗殺されてしまう場合があります。

おおよそ暗殺を行うには明確な動機があり、例えば自らの主義主張を広めるためだったり、社会改革のためだったり、大なり小なり政治的な主義思想が含まれていることが多いですが、中にはまったく理解不能な理由から大統領暗殺の実行に至った例もあります。

 

 

1. リチャード・ポール・パヴリック(1887-1975)

f:id:titioya:20170408155157j:plain

ケネディによる「悪政」を憂いて暗殺を実行

ジョン・F・ケネディは1963年にテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドによって暗殺されました。この暗殺は様々な陰謀が働き未だに全容が改名されていませんが、実は殺害される3年前に73歳のリチャード・ポール・パヴリックという老人に命を狙われていました。

長年郵便配達員として働いていた彼は、引退した後から地域の政治集会に現れては国や政治家たちに罵声を浴びせる行為を行うようになりました。

彼は反カトリック主義者で、特にアイルランド系のケネディ一家の富と名声に対して憎悪を抱いていました。

1960年の大統領選でケネディが勝利したことがきっかけで、「この国の将来を憂い」パヴリックはケネディの暗殺を決意。

7本のダイナマイトをクルマのトランクに詰め込み、マサチューセッツのケネディの自宅でケネディが外出するタイミングで車で突っ込み、一緒に吹き飛ばす計画を立てました。

12月11日日曜日、ケネディは妻と子どもたちと一緒に教会に出かけるために外に出ました。絶好のチャンスでしたがパヴリックは実行できなかった。「子どもたちを巻き沿いにしたくはなかった」。

f:id:titioya:20170402203925p:plain

そうして実行日を先送りにし、彼自身も教会に出かけますが、警察が怪しい古い車を発見し、トランクの中から7本のダイナマイトを発見。

4日後の木曜日、パームビーチの警察が町に入ってきたタイミングでパヴリックの車を取り囲み、危険物保持の現行犯で逮捕されました。

 

 

2. リネット・フローム(1948-)

f:id:titioya:20170408162806j:plain

真の環境主義者になるために暗殺を実行

リネット・フロームは少女時代はカリフォルニアではちょっと名のしれたダンサーで、ヨーロッパに公演に行くほどの実力がありました。

しかし1963年にロサンゼルスに引っ越してからは酒に溺れドラッグにハマり、チャールズ・マンソンに出会いその教えにすっかり引き込まれてしまいました。

f:id:titioya:20170408165607j:plain

チャールズ・マンソンは言わずと知れた犯罪カルト指導者。カリスマ性がある男で、自らを中心とした「ファミリー」で酒とドラッグと音楽をやりながら集団生活を営む、独自のヒッピーカルチャーを構築しました。

マンソンはテート・ラ・ビアンカ殺害事件の容疑で有罪判決を受け、ファミリーはバラバラになってしまいますが、リネットはマンソンの教えから脱却できず、「アメリカ大統領を暗殺しないと真の環境主義者ではない」と深く確信していました。ちょっと何を言ってるかよく分かりません。

 1975年9月5日の朝、大統領ジェラルド・フォードはサクラメントのキャピトル・パークで人々と語り合っていました。リネットは赤い服を着て群衆の中に紛れ込んだ。

フォードが「何か質問はないかね」と言ったところ、手前の列から手が挙がった。

次の瞬間、フォードは仰天しました。その手にはコルト・ガバメントが握られていたからです。

f:id:titioya:20170402204245j:plain

すぐさまシークレットサービスがリネットに体当りし地面に倒し、その手からピストルを奪いとった。騒然とする中で、リネットは駆けつけた警察により逮捕されました。

何ともお粗末な暗殺未遂ですが、実際の所彼女は本当にフォードを殺す意志があったのか定かでなく、「当日の朝になっても殺ろうかどうかよくわからなかった」し、弾も入ってなかったのでした。

最後までよく分からないメランコリックな暗殺者です。

 

 

3. リチャード・ローレンス(1800-1861)

f:id:titioya:20170402204407j:plain

イングランド国王の富と地位を取り戻そうと暗殺を実行

イギリス・ランカシャー生まれのリチャード・ローレンスは、12歳でアメリカに移住し、長年画家として働いていましたがある日突然仕事を辞め、口ひげを生やし、肩マントを身にまとい、「我はイングランド国王リチャード3世である」と名乗り始めました。

戸惑う人々に彼はこう説明しました。

なぜ長い伝統を持つイギリス王室がアメリカから追い落とされてしまったのか。

その理由は、小賢しいアメリカ政府がイギリス王室の富を奪ってしまったからである。大統領アンドリュー・ジャクソンはイングランド国王であった私の父を殺害し、私の財産は奪われたままなのである!

実際のところ、ローレンスの父親はアメリカに行ったことはなくもちろんイングランド国王であるというのもの彼の壮大な妄想なのですが、ローレンスはジャクソン大統領から富と王座を取り戻さなければならないと強く確信していました。

1835年1月30日、葬儀に出席するジャクソンを狙い紛れ込んだローレンス。

葬儀会場から出ようとするジャクソンの背後から近寄り、ピストルの引き金を引いた!しかし不発。

続いて懐から予備のピストルを取り出し、もう一度引き金を引いた!が、またも不発。

すぐに周りの人たちがローレンスを取り囲んで押さえ込み、現行犯逮捕されました。

しかし警察でも「イングランド国王」だと「アメリカの王座」だの意味不明の供述を続けるため、裁判が行われう前に司法取引が行われ、精神病院に入院しました。

 

PR

 

4. ジョン・ヒンクリー・ジュニア(1955-)

f:id:titioya:20170408182447p:plain

ジョディ・フォスターへの恋をこじらせて大統領暗殺実行

オクラホマ州の裕福な家庭に育ったジョン・ヒンクリーは、優秀な兄に比べて何をやらせてもダメな落ちこぼれ。高校時代は引きこもりで、大学に入学するも行かなくなり、アルバイトも長続きしない。

そんなある日、たまたま見た映画「タクシードライバー」に出演していた女優ジョディ・フォスターに一目惚れしてしまいました。

「フォスターと自分は運命の糸で結ばれている」と信じ込み、彼女が通う大学に忍び込んだり、彼女の下宿先や電話番号を入手して手紙を書いたり無言電話をかけるなどのストーキング行為を繰り返すようになりました。

そうすることでフォスターが自分に気づいてくれると期待したわけですが、当たり前ながら彼女はストーキング行為を薄気味悪がり、自宅にかかってくる電話に一切でなくなるほど怖がりました。

フォスターとの接点が消えてしまい絶望したヒンクリーは、「大統領を殺害するというデカいことを成し遂げればフォスターは自分を認めてくれるに違いない」と妄想するようになりました。

そしてとうとう、1981年3月30日、ワシントンDCのヒルトンホテルを出ようとしたレーガン大統領を至近距離から狙撃。6発放った弾の1発はレーガンの胸部に命中しましたが、緊急手術のおかげで一命はとりとめました。

ヒンクリーはその場で逮捕され、裁判にかけられますが「精神病で責任能力がない」と診断され無罪判決が出されました。

タクシードライバー (字幕版)

タクシードライバー (字幕版)

 

 

 

 

5. ジョン・フラマン・シュランク(1876-1943)

f:id:titioya:20170408194821j:plain

夢に出てきたウィリアム・マッキンリーの指示で暗殺を実行

ドイツ・バイエルン生まれで9歳の時にアメリカに渡ってきたジョン・シュランクは、青年になった直後に家族全員とガールフレンドを失ってしまい、そのショックから聖書の研究にのめり込み、東海岸を流浪しながら若い日の大部分を過ごしていました。

そんなある日、シュランクは夢を見ました。夢の中で先の大統領ウィリアム・マッキンリーの幽霊が現れ、シュランクにこう告げました。

「私はセオドア・ルーズベルトに殺されたのだ。私の無念を晴らしてくれ」

実際のところ、マッキンリーは無政府主義者のレオン・チョルゴッシュという男に暗殺されたのですが、シュランクはルーズベルト殺害は自分が課された運命だと強く信じ、その後しばらくルーズベルトをストーキングし、暗殺の機会を伺いました。

そして1912年10月14日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで9000人を前にして開かれた演説大会で、群衆に紛れ込んだシュランクはルーズベルトに向かって発砲。弾は胸部に命中しました。

シュランクはその場で取り押さえられ逮捕されました。

しかしルーズベルトは「撃たれたかどうか完全に分からない」と言ってそのまま90分間の演説を終えた後にようやく病院に行ったのでした。

 

 

6. ジュゼッペ・ザンガラ(1900-1933)

f:id:titioya:20170402205035j:plain

 アメリカ大統領が自分に不幸の呪いをかけたと信じ暗殺を実行

ジュゼッペ・ザンガラは第一次世界大戦でイタリア軍に従軍した後、叔父と一緒にアメリカンドリームを夢見てニュージャージーに移り住みました。

そこで過酷な肉体労働に励んだのですが、働きすぎで虫垂炎を患い、また慢性的な鼓腸にも悩まされ続けました。

仕事を辞めざるを得なくなり、極貧生活に身を落とした彼は、自分をこんな境遇に落としたのはアメリカ大統領ハーバート・フーバーが不幸の呪いをかけたからだ、という妄想に取り憑かれるようになりました。

彼の妄想は肥大化し、フーバーは多くの人々に不幸の呪いをかけており、自分だけでなく多くの人を苦しめている。そのため自分がフーバーを殺し、人々を救ってやらねばならないと考え始めました。

フーバーが大統領を辞職し、フランクリン・ルーズベルトが大統領になった後も彼の不幸は続いたため、ザンガラはルーズベルトが呪いを引き継いだのだと考えました。

そして1933年、地元のフロリダ州マイアミにルーズベルトが演説をしにやってきました。

 ザンガラは群衆の中から6発の弾丸を発射。シカゴ市長が即死し、1発の弾丸はルーズベルトの足に命中しました。

ザンガラはその場で取り押さえられ、電気椅子で処刑されました。

 

 

 

まとめ

なんか「大統領を暗殺する」という行為が最大級の「反権力」の象徴的行為になっている感じがします。

しかしながら興味深いのは、ここで紹介した人物は皆社会的に除外された者であり、大統領を暗殺することで自らの復讐を達成すると同時に、脱落した社会的な階層を一気に駆け上ろうとしているように見受けられる点です。

傍から見たら理解不能な狂人の暴挙なんですが、本人からしたら社会をひっくり返す「革命的行為」だったに違いありません。

 

 

参考サイト

"The 6 Most Utterly Insane Attempts to Kill a US President" Cracked

PR
電子書籍を読むなら、Paper WhiteよりFireがオススメです(絶対!)