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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【リア充】世にも羨ましい独裁者の末路

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失墜した後も人生を謳歌した独裁者たち 

 クーデターや政変によって権力の座から追い落とされた独裁者は、捕まって処刑されるか、国外逃亡しても不遇なまま失意の中で死んでいくのが世の常です。

権力を失った独裁者ほど惨めで哀れな者はいない。

できるなら権力を握りしめたままポックリ逝きたいものです。

しかしながら、中には失墜後も人生を謳歌した、超リア充の「元独裁者」もいます。

 

 

1. グエン・カオ・キ 1930-2011(南ベトナム)

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 アメリカでビジネスマンとして成功したベトナムの独裁者

グエン・カオ・キは、1955年にアメリカが支援して成立したベトナム共和国(南ベトナム)の空軍将校だった男で、1965年2月のクーデターで実権を握り独裁者となりました。その時の年齢はわずか35歳。

自ら航空機を操縦して北ベトナムを空爆するなど共産勢力に対しては徹底的に強硬な姿勢を見せ、また若くてオシャレで颯爽とした振る舞いは、「ベトナムの若き指導者」として西側諸国のメディアからは好評でした。

しかし、とにかく傍若無人で強引な男で、国内では堂々と密輸を行ったり、裁判なしで気に入らない人物を死刑にしたりしていたし、ある時など「規律を正すため、この国には5人のヒトラーが必要だ」などと述べたりしました。いま言ったら即失脚モノの失言ですね。

 

1971年、同じく軍人出身の大統領グエン・バン・チューと仲たがいし政治の表舞台から姿を消し、北ベトナムによる南ベトナム併合後はアメリカに移住。

カリフォルニア州で、元ベトナム航空のCA出身の美人の奥さんと酒屋をオープンしました。

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当初は業績は好調で海外にも支店を出したりしますが結局失敗し、再起を図ってニューオリンズでエビの養殖に携わります。最後はカリフォルニアに戻ってアメリカ最大のベトナム人コミュニティ、リトル・サイゴンの発展に精を出し、商業地区や学校などの建設に携わりました。

若い頃は敵も多かったんでしょうけど、人生の最期は同胞のために尽くして生涯を終えるってのは最高の生き方ですね。

 

 

2. ペータル2世 1923-1970(ユーゴスラヴィア王国)

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 アメリカで銀行家となった国王

ユーゴスラヴィア王ペータル2世は、セルビア王国のカラジョルジェヴィチ王家の血を引く男で、1934年に11歳でユーゴスラヴィア王に即位しました。

しかし幼かったため、父の従弟パブレが摂政に就き、ペータル2世の代わりに王国の指揮を執ることに。この時代、ユーゴスラヴィアは枢軸国側に付くか、連合国側に付くかで国内世論は揺れ、摂政パブレも態度を決めかねていましたが、とうとうパブレは枢軸国側に付くことを決意。これに反対するイギリスは、ペータル2世を担いでクーデターを実施。これに対抗する形でドイツ・イタリア・ブルガリア・ハンガリー・クロアチアなどの枢軸国軍がユーゴスラヴィアに攻め入り王国は解体。ペータル2世はロンドンに亡命しました。

戦後はアメリカに移住してカリフォルニアの地方銀行に入社。お金を触るのも初めてだったに違いありませんが、案外うまくやって上司にも気に入られたようです。

ちなみに、従弟のアレクサンドル皇太子は「洗濯機のセールスマン」になったそうです。 

 

関連記事:第二次世界大戦中のセルビアを統治した男ミラン・ネディッチ

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3. ファルーク1世 1920-1965(ムハンマド・アリー朝)

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亡命先でも豪遊生活を楽しんだ超リア充国王

 ファルーク1世はエジプト・ムハンマドアリー朝を最後に統治した国王。

大変贅沢好きな浪費家で、暴飲暴食を重ねてデッブリと肥えていたため、「腐ったメロン」などとあだ名されました。

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基本スタンスはイギリスの傀儡で、エジプトのための社会改革に乗り出せなかったため国民の不満が高まり、1952年にとうとう自由将校団によるクーデターが発生します。

軍によりアレクサンドリアにある王宮を取り囲まれて絶望するも、「我々は国王殿下を殺すつもりはない」と聞くと、王位を放棄して亡命することに同意。

所有するヨットにありったけの「財宝」と「ポルノ本」を詰め込み、軍に見送られながら亡命先であるイタリアに出発したのでした。

イタリアに落ち着いてからは、持ってきた財宝を資金にして贅沢な暮らしを続けました。イタリアのメシはよほど旨かったのか、とにかく食いまくりの生活を送り、知人はファルークを「脳を持つ胃」とすら呼びました

1965年に食中毒で死亡しました。

 

関連記事:ファルークを追い落とした青年将校ナセルの生涯

reki.hatenablog.com

 

 

4. ミハイ1世 1921-(ルーマニア王国)

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 亡命先で家族水入らずの生活

 ミハイ1世は1927年にわずか6歳でルーマニア国王に即位し、その後父カロル2世の帰国に伴い退位した後、1940年に国際情勢悪化に伴い再び担ぎだされて王位に就きました。

当時のルーマニアは極右の軍人政治家イアン・アントネスクの親独政策により枢軸国に立って参戦していましたが、ミハイ1世は枢軸国側からの離脱と連合国入りを目指し親政クーデターを敢行しアントネスクを追い出しますが、ソ連軍の侵入と共産党による国家成立により立場がなくなり亡命しました。

 

ミハイ1世は家族とともに各地を転々とし、結構苦労して様々な職に就いています。

ニューヨーク時代にはウォール街の証券取引所でブローカーとして9年間勤務。これは彼にとって相当過酷な仕事で「常に追いかけてくる電話」との戦いだったそうです。

 ある時にはアメリカの田舎で養鶏ビジネスを始めたり、またある時には、スペインでイベリア航空のパイロットとして勤務しました。

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Photo from "Viaţa Regelui Mihai în exil: fermier, pilot, şomer, broker. „Care a fost sentimentul la plecarea din România? Am plecat cu moartea în suflet“" ploesti

そんな中で妻( ブルボン=パルマ家のアンヌ・アントワネット)と5人の子供たち(全員女)を育て上げました。

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長女マルガレータは国連職員を経てルーマニアで貧しい人を助ける財団法人を主催。

次女エレナはイギリスで公認会計士に。

三女イリナはアメリカで牧場を経営。

四女ソフィアはフランスで芸術活動。

五女マリアは民間のコンサルティング会社で働いています。

なお、ミハイ1世は2017年現在も存命で、社会主義政権崩壊後はルーマニアに帰国。政界のご意見番的な感じで国民に大変人気があるそうです。

 

 

5. ヴァレンタイン・ストレッサー 1967-(シエラレオネ)

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Photo from "Africa's youngest dictator is now a pauper" pulse.ng

貧しいながらも両親と穏やかに暮らす

1991年、内戦中のシエラレオネで軍によるクーデターが起き、大統領ジョセフ・サイデゥ・モモは倒され、わずか27歳の青年将校ヴァレンタイン・ストレッサーが大統領に就任しました。

混乱と分離が続くシエラレオネを、若い力で再統合してくれるものと多くの国民は期待しますが、内戦は終結するどころか反乱勢力の革命統一戦線に首都近辺まで迫られ、敵に恩赦を与えて形ばかりの停戦をするなど、全く無力な男だったことが判明。

1995年に再度クーデターが発生しストレッサーは追い落とされてロンドンに亡命しました。

亡命後ストレッサーはロンドンの大学院に進学しますが、飲んだくれでロクに勉強せずに遊んでばっかで退学。シエラレオネにこっそり帰宅し、両親とバーで食事をしたり、友人らとつるんだりゲームをしたりして、カネには困っているようですが、案外楽しく暮らしてるっぽいです。

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Photo from "Africa's youngest dictator is now a pauper" pulse.ng

 

 

6.ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ 1947-(ネパール王国)

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Work by Krish Dulal

郊外の家でネットをしながら悠々自適な暮らし

 ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハはネパール王国第12代君主。

2001年に発生したネパール王族殺害事件で兄で国王のビレンドラが殺害され、王宮クーデターの首謀者ディペンドラ王太子も死亡すると国王に就任しました。

彼は兄ビレンドラが進めてきた民主化プロセスを無視し、一転して専制政治を行いました。これに反対する民主派や左派は国王に対する抗議を繰り広げ、また国際社会も圧力を加えたため、ギャネンドラは妥協を余儀なくされ、多様な政治勢力を取り入れた議会と政権を発足させ、国王の執政権も奪われ地位も象徴的なものになりました。

2008年に王制廃止によりギャネンドラは廃位となり、王宮を去って首都カトマンズ郊外の家に落ち着きました。

 最近のギャネンドラの生活は、詩を書いたり、祈祷、インターネットなどをして過ごし、近隣の森林を散策することもあるそうです。

野心家の彼からしたら物足りないかもしれませんが、一般人からすると結構羨ましい生活ではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

「出世しすぎることの危険性」を悟り、注意深く身を処して「そこそこの地位」を求めることは安全策の一つです。

 富と権力を一気に得てしまうと、後々ロクなことにはならない。

けどやりようによっては、仮に追い落とされた後もうまい具合に生きているのではないでしょうか。確かに絶対的な権力を持っていた時に比べると質素で慎ましいし、金銭の苦労も絶えないかもしれませんが、それでも死ぬよりはマシですよね。生きてるだけで儲けもの、です。

 

 

参考サイト

"Vietnamese Americans have mixed feelings about ex-leader's death" Los Angels Times

Farouk of Egypt - Wikipedia

"Viaţa Regelui Mihai în exil: fermier, pilot, şomer, broker. „Care a fost sentimentul la plecarea din România? Am plecat cu moartea în suflet“" ploesti

 "ネパール最後の国王、ギャネンドラ元国王の寂しい生活" APF通信

"5 Ruthless Dictators Hiding in Plain Sight as Normal People" Cracked

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