歴史上の人物を死なせた医療処置とは
ぼくは本当に医者という職業を尊敬しています。自分には無理だなと思います。
人体の構造や病気の仕組みにはまだ分からないことが多いのに、ほぼ全て異なる患者のケースに合わせて適切に処置しなくてはいけない。判断を誤って死なせたら医療ミスってことで罪に問われる可能性もある。請求金額ミスっても、サーバーを止めちゃっても、お客さんを怒らせてしまっても、クソ怒られるけど罪にはならないですからね。
当然、歴史上も医療ミスで死ぬ人は多くいましたが、そもそも「医療」も「ミス」の意味も定義も時代によって違います。
祈祷師が火を焚いて祈り続けたけど死んだのは医療ミスなのか?とか。
なので難しいんですが、今回は医者によって殺された歴史上の人物を集めました。
1. ジョージ5世(イギリス)
早く死んでもらわないと翌朝の朝刊に間に合わない
1936年1月20日、英国王ジョージ5世は昏睡状態にありました。
主治医のバートランド・ドーソンは家族の許可を得たうえで、これ以上苦しまずに死ぬために致死量のコカインとモルヒネを王に投与。そのせいもあり、同日の23時55分に王は息を引き取りました。
ドーソンがモルヒネとコカインを投与した決断には噂があり、イギリスの高級紙(朝刊)が大衆紙(夕刊)よりも早く王の死を報じるために、王の死亡時刻を早めさせたというのです。王の死が21日0時を過ぎてしまうと締め切りが間に合わなくなり、大衆紙に先を越されてしまうというわけです。
本当のところはどうなのかは定かではありません。
2. ジェームズ・ガーフィールド(アメリカ)
テキトーすぎる手術が原因で死亡
第20代アメリカ大統領ジェームズ・ガーフィールドは、1881年2月27日にワシントンDCの駅でチャールズ・ギトーという男に背後から射撃を受けた。危うく即死は免れましたが重傷を負い、ガーフィールドはホワイトハウスに戻って治療を受けることになりました。
医者たちはガーフィールドの体内にあるはずの弾丸を取り除こうとして探しますが、どういうわけか見つからない。
医者たちは、どこにあるんだ?と「消毒してない手」や「汚れた器具」で当てずっぽうに傷口を触りまくったため、ガーフィールドは感染症にかかってしまった。
別の医者は針でガーフィールドの肝臓に穴をあけたため、敗血症にかかってしまった。
結局ガーフィールドは80日間、感染症と敗血症に苦しみながら死亡しました。
3. ジークムント・フロイト(オーストリア)
ガンの苦痛と戦った挙句モルヒネで死亡
ユダヤ系オーストリア人のフロイトはヘビースモーカーで、晩年は体中がガンに侵され立つのも座るのも苦痛な状態が続きましたが、主治医が勧めても決して鎮痛剤を服用しようとはしませんでした。
そんな中でも意欲的に創作活動を続けていたのですが、1939年8月には食事も摂れなくなり意識も朦朧とし、いよいよ苦痛は耐えがたくなってきた。
9月21日、フロイトは主治医に依頼し「これ以上は苦痛しかない」と言って致死量のモルヒネを投与させるよう依頼。翌朝、モルヒネが打たれ、長年耐えた苦痛との戦いが終わりました。
PR
4. ジョージ・ワシントン(アメリカ)
医者の瀉血措置が原因で死亡
1799年12月12日、ワシントンは雪の降りしきる極寒の中で馬に乗って移動し、着替えもせずにビチャビチャなままで食事を摂りました。
翌朝起きると喉に痛みを感じたため、医者を呼んで見させた。医者が見たところ、喉の感染症にかかっているようでした。医者は当時感染症に最も有効と思われていた瀉血(血の排出)を行いました。しかし症状は改善しない。2番目の医者が呼ばれ、彼は喉の水泡を取り除くために再び切った。それから浣腸を打った。するとワシントンは激しく嘔吐をしだし、感染症が進行しさらに状況が悪くなってしまいました。
結局ワシントンは、感染症の拡大と大量出血によるショックが原因で死亡してしまいました。
5. チャールズ2世(イギリス)
死期の国王に施される信じられないような治療
チャールズ2世は1685年2月に心臓発作で倒れて運ばれ、医者たちによって懸命の治療が行われました。
まず瀉血がされて水泡が取り除かれ、また瀉血がされ、浣腸を打たれて嘔吐を促し、全身の毛を剃られて、ハトのウンコで作られた特別な石膏で固められた。
次の日からもこれでもかと血を抜かれ、人骨のパウダーやらヤギの胆石やら効果も怪しげな薬を飲まされ、浣腸を何本も打たれ、結局5日後に死亡しました。
チャールズ2世の治療の詳細な記録はこちらより閲覧できますが、医療行為とは全く信じられない代物ばかりです。
6. エドワード・ギボン(イギリス)
腫れ物を除去する手術に失敗して死亡
エドワード・ギボンは歴史学者で、「ローマ帝国衰亡史」の著者として非常に有名な人物です。
そんな彼には悩みがあった。キ*タマに巨大な腫れ物があったのです。その大きさは「幼児ほどの大きさ(it is almost as big as a small child)」だったそう。…ちょっと想像ができません。。
当時のヨーロッパの上流階級ではタイトなパンツを履くことが当然でしたが、腫れ物は隠しようがなく、ずっとギボンはそれをコンプレックスに思っていました。
著作の執筆がひと段落したところで、ギボンはかねてより希望していた「腫れ物の除去」を医師に依頼した。
腫れ物にメスを入れると、約3リットルほどの膿汁があふれ出てきた。しかし、しばらくするとまた同じように腫れ、そのたびにメスで切り膿汁を出しますがまた腫れ、一向に良くならない。手術は耐えがたい苦痛を伴った上、何度も切った箇所が化膿して感染症にかかり、それが原因で死亡しました。
7. ナバラ王カルロス2世(スペイン)
医者が持ってきた患者衣が原因で死亡
ナバラ王カルロス2世は、その名の通りスペインのナバラ王国の国王でしたがフランス国王の縁戚でもありました。
百年戦争中はエドワード黒太子と結んでフランス領土を切り取ったり、フランスの要人を暗殺したりと、フランス国王を獲得するために様々な陰謀を企てた男で、「悪徳王」「邪悪王」などとアダ名されています。
さて、そんなカルロス2世は55歳になったある時病に伏せてしまい、手と足が動かなくなってしまった。主治医はどういうわけか、「ブランデーに浸した患者衣」を王に着せ、なるべくブランデー成分が肌に接触するようにしっかりと縫い付けました。
ある晩、侍女が王のもとにやってきて、患者衣の長さを調整しようとしました。糸の長さを調整するために、ハサミで切ればいいものを、侍女は手元にあるロウソクの火で焼ききってしまおうとした。
糸に火をかけた瞬間アルコールが染みついた服は燃え上がり、王はのたうち回って焼け死んでしまいました。
悪徳王らしい壮絶な死に方ですね…。
まとめ
医者に殺されたといっても様々なケースがあります。
やたら血が抜かれてますが、当時はそれが当然だったし、感染症の原因もよくわかってないことが多かったから、不衛生な治療で死ぬことも多かったに違いない。
人骨のパウダーを飲めばいいとか、ブランデーに浸せばいいとか、ちょっと信じられないような治療方法も登場しますが、現代でも怪しげな治療法がまことしやかに出回っていますから、あまり昔の人を笑うことはできませんね。
参考サイト
"10 Famous People Killed By Their Doctors" LISTVERSE
" The Final Days of King Charles II" Neotorama
" 'Varnish the business for the ladies':Edward Gibbon's decline and fall" SAGE journals