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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

その気もないのに「神様」になってしまった人たち

 

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勝手に周囲の人間に神様に祭り上げられてしまった人たち 

史上、自分のことを「我こそは神なり」と言った人は大勢います。現代でもいますけど。

そんで国家樹立の正当性を得たり、教団のトップに君臨したりしたのですが、

別に自分で自分のことを神だと一言も言ってないのに、周りの人間が「あの人は神に違いない!」と言われて祭り上げられてしまった人がいます。

勝手に神様扱いされて教団のトップに据えられてしまったり、イデオロギーの中心になってしまうその心中は察するに余りありますが、そうなってしまう特殊な事情があったのでしょう。

 ということで、勝手に神様になってしまった人たちをピックアップしてみました。

 

 

1. ハーキム 985-1021(エジプト)

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イスラム教ドーゥルーズ派によって神格化されたカリフ

ハーキムはエジプトのファーティマ王朝第6代カリフ。

ファーティマ朝はシーア派の一派イスマーイール派の王朝で、カイロはスンニ派の牙城であるイラクのバグダッドのカリフと対立する存在でした。

ハーキムはカイロの権力の中心であるイスマーイール派を強調し、イスラム学者を多数育成し学問の研究を進める他、モスクを多数建設するなど、カイロのイスラム文化の向上に尽くしました。またイスラム法の履行をより厳格化し、キリスト教を含む異教は全て追い払われ、イスラム系住民にも厳しいイスラムの生活を守らせました。

一方で王自身は大変な変わり者で、夜になると貧しい身なりで従者の者もつけずにカイロの街を徘徊したり、些細なことで部下を死刑にしたり、常人には理解できない言動をとったため「実はあの方は神なのではないか?」と、ハーキムを神格化するセクトが出現しました。

1021年2月、いつものように徘徊にでかけたハーキムは砂漠に足を踏み入れた後姿を消し、二度と戻ってこなかった。

ハーキムを神格視したセクトは、ハーキムは「お隠れ」になったのだと考えた。

その後、イスマーイール派本流の弾圧を受けたハーキム信奉者たちは、シリアの山中に逃れてハーキムを神としその復活を待つ宗派「ドゥールーズ派」を設立しました。

 

 

2. フリードリヒ2世 1194-1250(神聖ローマ)

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神聖ローマきっての進歩的君主の「お隠れ」伝説

13世紀前半の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、「中世最初の近代人」とも称される人物。

キリスト教が絶対的な価値観を持っている時代において、当時からすると考えられないような近代的な取り組みをいくつも行いました。大学を設置したり学者を宮廷に招くなどして学問を推奨し、都市と農村の経済を活性化させ、宗派の区別なく人材を登用しました。

最も有名な話が、第6回十字軍において、アイユーブ朝のスルタン・アル=カーミルと「話しあい」の末エルサレムを奪回してしまうという離れ業をやってのけたことです。

結果的にエルサレムはキリスト教徒の元に帰ってきたのですが、そもそもフリードリヒ2世は教皇グレゴリウス9世に破門された身であり、しかもイスラム教徒と戦わずして敵と話し合いをしたという理由で聖職界からは罵声を浴びせられました。

聖職界からは嫌われていましたが、フリードリヒ2世の統治下で南イタリアは経済再生し、ドイツとフランスの間では不可侵条約が結ばれ安定した状態にありました。

1250年にフリードリヒ2世が死去した後、教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いではゲルフが優勢になりギベリンは弾圧され、フランスも不可侵条約を破って神聖ローマに侵攻。シチリアもフランスの手に落ちました。

皇帝の死後の不安感から、フリードリヒ2世は実は死んでおらず「シチリアのエトナ火山に身を隠している」とかドイツ北部の神秘の山と言われる「ハルツ山で眠りについている」などと噂され、復活を待ち望む声が高まり、その願望を悪用し「偽フリドーリヒ2世」が現れて人々を騙し、独自に宮廷を構えてしまう事件まで発生しました。

(※偽フリードリヒ2世事件はこちらの記事をご覧ください)

reki.hatenablog.com

 

 

3. セバスチャン1世 1554-1574(ポルトガル)

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 24歳で死んだポルトガル再生の希望の象徴

世界に先駆けて大航海時代に乗り出し大国となったポルトガルですが、16世紀半ばになると他国との競争に敗れて商圏を次々と奪われて海外貿易は衰退し、国内でも農民の貧困化が進み、暗い時代に突入していました。

1575年にジョアン3世が死亡すると、次の王となったのは前王の孫ドン・セバスチャン。

衰退する一方で何一ついいニュースがない中で生まれた待望の世継ぎにポルトガル国民は大喜びし、この暗い時代に生まれたセバスチャンはポルトガル帝国を再生してくれる王に違いないと考え「待望王」と呼びました。

ところが若王は敬虔なカトリックの母の影響もあり、時代錯誤な「対イスラム十字軍」の夢に虜になり、イベリア半島の対岸の北アフリカの征服に乗り出すようになりました。

そして1578年、セバスチャン1世は1万7000人の大軍を率いて北アフリカに上陸。迎えうったイスラム軍とクサル・エル・ケビールで衝突しました。アルカセル・キビールの戦いです。しかし「神の加護があるから必ず勝てる」と信じて疑わなかったセバスチャン1世はロクに作戦も立てずに戦ったため、ポルトガル軍は信じられない程の敗北を喫し、王自身も命を落としました。

それから半世紀後ポルトガルはさらに衰退し、とうとうフェリペ2世のスペインに併合されてしまいます。

屈辱的なスペイン支配の中で、アルカセル・キビールで「行方不明」になったセバスチャン1世が北アフリカから生還して、スペインからポルトガルを解放してくれるというメシア思想「セバスティアニズモ」が民衆に広がり信仰されるようになっていきました。

この少年漫画のような「英雄待望論」は宗教の違いを問わず存在し、人間の根源的な思いがあるような気がします。

 

 

4. ハイレ・セラシエ 1892-1975(エチオピア)

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ジャマイカの黒人に「救世主」と崇められた黒人王 

ハイレ・セラシエは1930年にエチオピア皇帝となり憲法を制定するなど帝国エチオピアの地位向上を目指しますが、1935年に「アドワの復讐」を目指すイタリア軍の侵攻を受けて追い落とされ、ロンドンに亡命。

第二次世界大戦のイタリア軍の降伏とイギリス軍によるエチオピア解放後にエチオピアに帰還し、再び帝位に就きました。

ところ変わってジャマイカ。

1920年代のジャマイカでは、「白人からの自立」「植民地からのアフリカ解放」を訴えた黒人主義・アフリカ回帰運動の運動が盛んになっていました。

その指導者マーカス・ガーベイは「奴隷状態に置かれた黒人の解放」と「全ての黒人のアフリカ帰還」を訴え支持を集めました。1927年、ガーベイはこのように予言をした。

「アフリカを見よ!黒人の王が誕生するとき、アフリカ解放の日は近い!」

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そしてタイミング良くその3年後、エチオピアで皇帝ハイレ・セラシエが戴冠しました。

予言は的中し、ジャマイカの人々はハイレ・セラシエこそ植民地状態に置かれたアフリカをヨーロッパ列強から解放してくれ、さらに自分たちをアフリカに導いてくれる救世主だと信じたのでした。

この運動を「ラスタファリアニズム」と言い、後のアメリカの公民権運動やブラックモスリム運動にも影響を与えたとされています。

 

以下は、ハイレ・セラシエが政府専用機でジャマイカに到着した時に映像です。

暴動でも起きたんじゃないかってくらい、ジャマイカの人々が熱狂している様子が収められています。

www.youtube.com

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5. アンドレ・マツワ 1899-1942(コンゴ・ブラザヴィル)

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 キリストの受難に見立てられた救世主物語

フランスの植民地となっていたコンゴ・ブラザヴィル出身の社会運動家アンドレ・マツワは、1920年代にフランス・パリ滞在中にコンゴ人の互助団体を設立し活動していましたが、1920年代後半に黒人差別反対を訴えるようになりました。

フランス植民地当局はマツワをパリから召喚し、チャドに流刑し獄に繋いでしまいました。

このフランス植民地当局の仕打ちにコンゴ人は激怒し、マツワの解放を訴えて活動を始めました。しかし13年後にマツワは獄の中で死亡。

コンゴの人々はマツワは実は救世主で受難にあって殺されたのだと理解し、キリストが復活するように、マツワの復活を祈るようになり「マツワニズム」として宗教化していきました。

同じような物語は、キンバンギズムの創始者シモン・キンバングーも持っており、ベルギー植民地当局の弾圧と指導者の受難が、イエス・キリストの物語と重ねて考えられ、指導者を神と同一視するようになったのでした。

reki.hatenablog.com

 

 

6. エディンバラ公フィリップ(イギリス)

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 Photo by  Allan warren

 バヌアツのタンナ島に伝わるフィリップ王信仰

 エディンバラ公フィリップはエリザベス女王の夫。

その王族らしからぬ破天荒な言動で、英連邦のみならず世界中の人から愛される「英王室名物おじいさん」となっています。

matome.naver.jp

さて、そんなフィリップ殿下ですが、太平洋に浮かぶ英連邦の小国バヌアツのタンナ島のヤオーナネン村では「神」として崇められています。 

この村の周辺の地域では昔から「山の聖霊の青白い肌の子」が「海の彼方に旅立って、異郷の地で結婚し強くなって戻ってくる」という伝説があるらしく、1974年にバヌアツを訪問したフィリップ殿下を見たヤオーナネン村の人々は「神が戻ってこられた!」と思い熱狂したそうです。

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Photo by  Christopher Hogue Thompson

自分が神として崇められていることを知ったフィリップ殿下は驚いたそうですが、英王室の計らいでヤオーナネン村とフィリップ殿下の交流は現在も続いているそうで、フィリップ殿下は自らの写真を贈り、ヤオーナネン村の人々は伝統の「豚殺し棍棒」を贈るのだそうです。

 

 

 

まとめ

偉大な業績を成し遂げた結果、信奉されてしまった人や、普通にしてたらある日突然神様と呼ばれるようになった人まで様々です。

実際のところどう思っていたのかわかりませんし、神様になった時はすでに死んでいた人もいるので何ともですが、実際のところ「神様!神様!」と呼ばれたらどう思うでしょうか。

もしあなたが見しらぬ集団に「神様!」と呼ばれたら。

しらねーよ!と思いつつ、慕ってくる人を無下にも出来ず、意識的にせよ無意識的にせよ、「うむ、諸君元気かね?」のような態度を取るようになるのではないでしょうか。

それに神様の威厳を持たないとと思っちゃうし、言動とかも気にするようになるに違いない。

自分でそれを望むなら別ですけど、期待されてそういう態度をとるようになるのは窮屈だしつらそう。絶対やりたくないです。

 

 参考文献・サイト

ポルトガル史 金七紀男 彩流社

ポルトガル史

ポルトガル史

 

世界の歴史6黒い大陸の栄光と悲惨 講談社

"When Emperor Haile Selassie went to Jamaica on this day in 1966" AFRICA IS A COUNTRY

"Princess Anne on the island where they think her father is a god" EXPRESS

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