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1814年ロンドンビール洪水事件

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ロンドン市民に襲い掛かる61万リットルのビール

ビール好きにとっては、ビールが流れる川は夢のような話です。

川辺に寝っ転がって、ビールを汲んでは飲んで酔っ払う。まるで天国だ。

1814年にロンドンで起こった「ビール洪水事件」は、そんな牧歌的な姿とは真逆のまるで地獄のような事件。

ロンドン・セントジャイルス地区にあるホース・ショー醸造所から流れ出た61万リットルのビールは、洪水となって近隣地区を遅い溺死者7人を含む9人の命を奪う凄惨な事故となりました。

 

 

1. 点検スタッフ「ん、なんか樽がおかしいけど問題ないか」

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ロンドン中心部のセントジェイルス地区にあるホース・ショー醸造所は、アイルランド系移民が18世紀後半のジョージ3世の時代に設立した歴史ある醸造所。

ポーター(焦がした麦芽とホップが効いた苦めのビール)が評判で、年間10万以上の樽を生産していました。

 

1814年10月17日午後4時半ごろ、ビールを貯蔵している倉庫の管理者ジョージ・クリックが定期点検に訪れた。樽は巨大な鉄製の輪でくくられており、中でポーターが発酵している。

上から樽を見下ろしたところ、10カ月もののポーターが入った約300kgの樽の位置がふくらみ、一部が破損していることに気づきました。これはビールの発酵の段階で起きるもので、液体が内側から保管している樽を押す力が働くのですが、醸造所で17年間働いていたクリックは、同じような現象が年間で2~3回は起きていることを知っていました。

クリックは一応上司に報告しますが、上司も「特に問題はないだろう」と言い、破損した箇所を直しておくように、と翌日部下に指示を出すためのノートに書き記しました。

 

 

2. ロンドン市民に襲い掛かるビール

1時間後の5時半、別の作業をしていたクリックは倉庫から聞こえたすさまじい爆発音に飛び上がった。

倉庫に行ってみると、100万パイントを保管する樽が破裂しており、あたり一面がビールの大洪水になっている!流れ出たビールは他の樽を揺らし、次々と樽がひっくり返り、連鎖的にビールが溢れている。もはや止めようがない!

 

醸造所の倉庫から溢れたビールは、隣接する家屋の壁を破壊し16歳でバーテンダーのエレノア・クーパーを即死させた。

ビールの洪水はグレートラッセル通りに勢いよく流れ、周辺の家の中に侵入し、床上はビールまみれに。

最も被害が出たのはニューストリートで、午後のお茶を飲んでいた30歳のメアリーと4歳のハンナが押し寄せるビールでおぼれて溺死。その近所でも、家の地下室にいたアンネ・サヴィレを含む5人が溺死。

翌日には洪水でもがいてビールをたくさん飲んでしまった1名が、急性アルコール中毒で死亡しました。

後日取り調べに応じたクリックは、その時の様子をこのように語りました。

ちょうどそのとき私は約30フィート離れたプラットフォームにいました。爆発音が聞こえすぐに私は樽が置かれた倉庫に行きました。爆発の力はすさまじく、倉庫内は恐ろしいほどの荒廃状態にありました。これによって8000から9000樽のポーターが失われました。

 

 

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3. 陪審員「ま、しょうがあるめぇ」

 

市民は流れ出たビールを飲んだのか?

事件の翌日、多くの野次馬がホース・ショー醸造所に詰めかけ、破裂した樽を見学しようとしたそうですが、見張り人はしっかりと見物料として1~2ペニー取っていたそうです。

そこかしこに流れ出たビールが溜まっており、流れ出たビールを市民はすくって飲んでビールパーティを楽しんだ、という話が語れることがあるようですが、マーティン・コーネル氏の" The History of Britain’s Great Beers"によると、それは事実ではないらしい。

当時のロンドンの新聞紙で、市民が流れ出たビールを飲んだ、と報じたところはどこもなかった。後世に群衆が流れ出たビールを飲んだなどというウソが作られて語られるようになった。実際に起こったことではなく、起こっていたはずだ、と人々が思ったのだ。

 

まさかの無罪判決

事件の2日後、陪審員は現場を調査してクリックを始めホース・ショー醸造所の主だった者を取り調べました。

その結果、この悲劇は「不可抗力(Act of God)」であった、と結論付けられました。

それによって亡くなった犠牲者は「不運であった」の一言で片づけられ、今ではまったく考えられませんが、醸造会社は賠償金を一切払わなかったばかりか、イギリス政府から流れ出たビールの「賠償金」まで受け取ったのでした。

遺族は怒らなかったのでしょうかね…?

今だったら大問題ですよこれ。

 

後日、モーニング・ポスト紙に「フレンド・オブ・ヒューマニティ」というペンネームの投書が掲載されました。

我々の意見として、多くの醸造所がロンドン市の中心部にあることが懸念されます。最も危険な施設の一つであり、町の中心部に立つことを許可すべきではありません。

 

事件を起こしたホース・ジョー醸造所はその後もビール生産を続けましたが、98年後の1912年に倒産。現在跡地にはドミニオン・シアターが建っています。

 

 

 

まとめ

死者を出しておきながら、醸造所は全くその責任を取らなかったのは今では全く考えられませんが、当時は醸造所があるセント・ジェイルス地区は貧民街であり、貧乏人の命はまったく軽視されていたみたいです。

ビールの川が流れてきた、と文字だけ読めば何か楽しいことのように思えますが、8000から9000樽のビールが洪水のように流れてきたら、実際本当に恐ろしいです。

 

参考文献

" What really happened in the London Beer Flood 200 years ago?" INDEPENDENT

"The London Beer Flood" HISTORY

パブとビールのイギリス

パブとビールのイギリス

 

 

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